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怪談話「こんな晩」「六部殺し」など(その二)

ではもう少し違った観点の話しも探ってみましょう。

怪談話「こんな晩」「六部殺し」などの<その一>は ⇒ こちら

(5) 小泉八雲「持田の百姓」 (出雲の昔話)

 昔、出雲の持田浦という村に貧乏な百姓がいた。
子供が次々と生まれたが、育てられる余裕がないので、夜に、こっそりと川に流して殺した。
こうして6人の子供を殺した。やがて、百姓は少し暮らしが楽になった。
そこで、7人目に生まれた男の子は育てることにした。
子供はすくすく育ち、百姓はこの子をとても可愛いと思った。
ある夏の夜、百姓は5ヶ月になる息子を腕に抱いて庭へ散歩に出た。
大きな月が出て、美しい夜だった。
百姓は「ああ、今夜めずらしい、ええ夜だ」と言った。
するとその子が、父親の顔を見上げて、急に大人の口調で言った。
「御父つぁん、わしを仕舞いに捨てさした夜も、ちょうど今夜の様な月夜だたね」そう言って、また元のような赤ん坊に戻った。
…百姓は出家して僧になった。

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この話は六部ではなく、貧しくてわが子を処分してしまった話です。
小泉八雲(ラフカディオハーン)が出雲地方の昔話として書いています。恐らく日本で結婚した妻から聞いた話なのでしょう。

次は落語から一つ紹介します。

(6) 落語「もう半分」 (三遊亭圓朝作の怪談噺 5代目古今亭志ん生などの演目)

千住小塚っ原に、夫婦二人きりの小さな酒屋があった。
こういうところなので、いい客も来ず、一年中貧乏暮らし。

その夜も、このところやって来る棒手振り(ぼてふり)の八百屋の爺さんが
「もう半分。へえもう半分」
と、銚子に半分ずつ何杯もお代わりし、礼を言って帰っていく。

この爺さん、鼻が高く目がギョロっとして、白髪まじり。
薄気味悪いが、お得意のことだから、夫婦とも何かと接客してやっている。

爺さんが帰った後、店の片づけをしていると、なんと、五十両入りの包みが置き忘れてある。

「ははあ、あの爺さん、だれかに金の使いでも頼まれたらしい。気の毒だから」
と、追いかけて届けてやろうとすると、女房が止める。

「わたしは身重で、もういつ産まれるかわからないから、金はいくらでもいる。
ただでさえ始終貧乏暮らしで、おまえさんだって嫌になったと言ってるじゃないか。
爺さんが取りにきたら、そんなものはなかったとしらばっくれりゃいいんだ。
あたしにまかせておおきよ」

女房に強く言われれば、亭主、気がとがめながらも、自分に働きがないだけに、文句が言えない。

そこへ、真っ青になった爺さんが飛び込んでくる。

女房が気強く「金の包みなんてそんなものはなかったよ」と言っても、爺さんはあきらめない。

「この金は娘が自分を楽させるため、身を売って作ったもの。
あれがなくては娘の手前、生きていられないので、どうか返してください」
と泣いて頼んでも、女房は聞く耳持たず追い返してしまった。

亭主はさすがに気になって、とぼとぼ引き返していく爺さんの後を追ったが、すでに遅く、
千住大橋からドボーン。
身を投げてしまった。

その時、篠つくような大雨がザザーッ。

「しまった、悪いことをしたッ」と思っても、後の祭り。

いやな心持ちで家に帰ると、まもなく女房が産気づき、産んだ子が男の子。

顔を見ると、歯が生えて白髪まじりで「もう半分」の爺さんそっくり。

それがギョロっとにらんだから、女房は「ギャーッ」と叫んで、それっきりになってしまった。

泣く泣く葬式を済ませた後、赤ん坊は丈夫に育ち、あの五十両を元手に店も新築して、
奉公人も置く身になったが、乳母が五日と居つかない。

何人目かに、ようようわけを聞き出すと、赤ん坊が夜な夜な行灯(あんどん)の油をペロリペロリとなめるので
「こわくてこんな家にはいられない」と言う。

さてはと思ってその真夜中、棒を片手に見張っていると、
丑三ツの鐘と同時に赤ん坊がヒョイと立ち、行灯から油皿をペロペロ。

思わず「こんちくしょうめッ」と飛び出すと、
赤ん坊がこっちを見て

「もう半分」

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こんな話です。金は娘が身を売ってこさえた金という。

まあいずれにしても西洋では死んだ人の霊が乗り移るとされる話はたくさんありますが、仏教ではどうも生れ変わり思想が強いようです。
少し話のルーツを探るために、もう少し古い話を調べてみましょう。
奈良時代の説話から一つ

(7) 日本霊異記(中) 中田祝夫 
   第30 行基大徳、子を携ふる女人の過去の怨みを視て、淵に投げしめ、異(めづら)しき表(しるし)を示しし縁

 (現代語訳より)
 行基(大徳)は、難波の江を掘り広げて船津(船着場)を造り、仏法を説いて人々を教え導いていた。そこには、道俗貴賎(僧、俗人、高貴人、貧しいもの)を問わず、みな集まって来て法を聞いた。
 そのころ、河内国若江郡の川派(かわまた)の里に、一人の女人がいた。子をつれて法会に出席し、法を聞いていた。子供は泣きわめいて母親は法を聞くことができないでいた。またその子は10歳を過ぎていたがまだ歩くことが出来ず、絶え間なく泣いて、乳を飲み、ものを食べていた。
すると、行基(大徳)は「やあ、女人よ。そなたの子を連れ出して淵に捨てよ」とおっしゃった。
これを聞いた回りの人々は「慈悲深い聖人様が、どんな訳があってこんな無慈悲なことをおっしゃるのだろうか」とぶつぶつ不満をささやきあった。そしてその女人もわが子かわいさで、子を捨てに行くことができず、説法を聞いていた。
 あくる日もまた子供をつれて来て説法を聞いていた。子供はまた泣きわめいて、説法を聞くことが出来なかった。
するとふたたび、行基は女を責めて、「その子を淵に投げ捨てて来なさい」といった。
その母親は、聖人の言葉を不思議に思いながらも、子供を淵に投げ捨てに行った。
淵に投げ込まれた子供は、流れの上に浮き上がり、足をばたつかせて、目を大きく見開いて悔しがり、
「残念だ。もう三年間、お前から取り立て、食ってやろうと思っていたのに」と叫んだ。
そして、法会に戻ると、行基聖人は「子は投げ捨てたか」と聞いた。そこで、女人は詳しくいきさつを話した。
行基聖人は
「そなたは前世で、あの者に、なにか物を借りて返さなかったために、この世で貸主が子供の姿となり、その負債を取り立てて食っていたのです。」と教えられた。
 ああ恥ずかしいことよ。人から借りたものを返さないで、死ぬことなど出来ない。後の世で必ずその報いを受けるだろう。
そのような訳だから、「出曜経」に、「他人から銭一文の塩を借りたままにしたので、その後世では、牛に生れ変わり、塩を背負って使われて、貸主に支払った」と書かれているのは、まさにこのようなことをいうのである。

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ここでは仏教説話ですから行基菩薩の話となっていますが、この中に「出曜経(しゅつようぎょう)」の話が出てきます。
この出曜経はインドの経典を4世紀末頃に中国語に翻訳されて伝わったようで、かなり古いものといえます。
そんな中に因果応報(いんがおうほう)の話としていくつも語られてきたようです。

こちらの話は、一般には金を奪われたり、借金を踏み倒されたりした者が、その相手の子供に転生して、奪われたり、踏み倒されたりした金額だけ蕩尽したところで早死にするという話です。少し霊として乗り移ることと似ていますね。
「討債鬼故事」として中国の古典などにもいくつか話があるそうです。

(参照:福田素子 討債鬼故事の成立と展開―我が子が債鬼であることの発見―) ⇒ こちらに文献(Pdf)あり

まあざっと調べただけですが、いろいろな話につながりますね。

昔話について | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/02/17 14:22
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