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石岡の景観(高浜の海)

 台風のおかげで久しぶりの雨となった。一部激しく降ったりしているが、恵みの雨でもある。野菜などは助かっているだろう。さて、昨日に続いて石岡の景観について書いてみたい。今回は「高浜の海」である。江戸時代に利根川の東遷工事で銚子へ流れが変更されるまでは、今の霞ケ浦は海水で大きな内海であった。香取の海と呼ばれていた。高浜も「国府の浜」が「こうのはま」となり「たかはま」に名前が変わったと考えられている。昨日の恋瀬橋からの筑波山の眺めを紹介したが、ここ高浜から見た筑波山はまた違った美しさがある。
takahama.jpg
この写真は、今の6号国道のバイパス工事前の写真であり、この景色は大分変ってしまうかもしれない。
常陸風土記の書かれた頃(奈良時代初期)にはもっと水は豊かであったと思われ、交通も歩く以外は牛車や舟であるので今の鉄道や車の社会で想像するのは難しくなってきている。しかし、奈良時代を想像できる景観を残していかなければならないと思うのは私だけではないだろう。
高浜神社の看板に書かれた常陸風土記の口語訳を紹介しよう。
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<高浜の海>
そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉の色づき散りしく秋になると、あるいは駕(のりもの)を命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸という岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯(うぐいす)の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海人(あま)の娘は、浜辺を逐(お)い走って群れつどい、商人と農夫は、小舟に棹(さお)さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れになると。友を呼び僕(しもべ)を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめやる。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の憂(う)さを風に払い、岡を照らしていた日影がしだいに動いて行くにつれ、涼を求める者は、喜びの心を動かすのである。
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☆ 高浜に 来寄する浪の 沖つ浪 寄すとも寄らじ 子らにし寄らば

(高浜に寄せ来る波が、どんなに沖から寄せ来ても(他の女が寄って来ても)、私の心が動かないのは、あの娘に心を寄せてるからだ。)

☆ 高浜の 下風(したかぜ)さやぐ 妹を恋ひ 妻と言はばや しこと召しつも

(高浜の浜辺の下を騒がしく吹く風ではないが、恋するあの娘を妻と呼びたい気持ちがこみあげてくる。こんな私だのに。)

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/08 20:35
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