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石岡より星信仰の民族は北極星を目指して?

大昔、常世の国(常陸国)に暮らしていた古代人はどこへ行ったのでしょうか。
大和民族に虐げられたり、従属させられたり、捕まって都に送られたり、または新たな土地を開拓したりして行ったのでしょう。

もし逃げ出したとしたら、どこを通ってどのように逃げたのでしょうか?

その中に星や森を信仰して暮らしていた人々が多かったようです。もちろん暮らしは今から見れば原始的な暮らしで、穴を掘って暮らしている人たちも多かったようです。
また皮膚には刺青をしていたといわれています。
大和からやってきた人々は山猿とか、野の佐伯、山の佐伯などとこの人たちを呼びました。

大和朝廷に抵抗して戦った、星を信仰していた星のカカセオなどという部族の長もいました。

捕まって奈良の都に送られた佐伯たちは、四国などに送られ、砂鉄を掘り、佐伯部という集団が出来、優れた人物も誕生しました。
空海(弘法大師)はこの佐伯氏の出とも言われています。

さて、常陸の都「石岡」から真北へ北極星を目印に北上をしてみましょう。

まず、石塚街道をまっすぐに進み、イオンモール(赤塚)を通り、有賀神社、古墳公園、クレフシ山(朝房山)脇を通って木葉下(アボッケ)を通ります。
そして、その先に小松信号があり、少し入った所に平重盛の墓のある小松寺があります。

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小松寺の入口には大きなシダレ桜があり立ち寄りましたが、すでに花は終わってしまったようです。

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境内のシダレ桜も、とても小さな花ビラですが、ほぼ散っていました。
境内にはオオアラセイトウ(花ダイコン、諸葛菜、紫金草)の紫色の花が1区画にまとまって咲いていました。

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更に北上すると、御前山近くで那珂川大橋を渡り、さらに北上すると旧美和の「鷲子」という信号に出ます。
鷲子と描いて「トリノコ」と読みます。
鷲子山上神社は最近はフクロウ神社といわれるようになりました。フクロウグッツがいっぱいあります。
フクロウ=不苦労というわけです。

しかし、この信号のそばに「三浦杉」という天然記念物の大杉があります。

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入口に三浦杉公園があり、その駐車場に車を停めて、神社に参拝していきます。
この公園はアヤメを植えた公園で、もう少ししたらアヤメもきれいに咲くことでしょう。

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100段ほどの石段を上ります。

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100段ほどの石段を上ります。
神社の拝殿前には、参道の両脇に本当に見事な2本の杉の木が天に向かって伸びています。
数年前からこの杉の木の下は枝が落下したりすると危ないということで通行止めとなっています。
手前に遥拝所が設けられて、その左記は進入禁止です。神社の方も脇のほうの道から行くようです。

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三浦杉の名付け親は水戸黄門さんといわれています。
三浦半島の豪族三浦氏の三浦大介が那須の悪狐(九尾狐)退治に勝利して、この杉の木を奉納したと伝えられるからです。

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さて、私はここから更に山道に入り袋田(大子)方面に向かいます。
ここは常陸大宮市と大子町の境に「タバッコ峠」という日本に数少ないカタカナ地名の峠を越えます。

ヤビツ峠とタバッコ峠 どうですか? なかなか地名も面白いですよね。
大子町は「栃原」という集落を通ります。

山は新芽がふきだしだいぶ春色になって来ました。
林業が今でも盛んで、このように杉の木などの木材がトラックで運ばれています。

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この栃原には佐竹氏の残した隠れ金山といわれた「栃原金山」がありました。
一時は観光金山としても脚光を浴びた時期も合ったようですが、今では廃墟となり道も悪く、金山跡を訪れる人は滅多におりません。

この栃原で絶品の奥久慈手づくりコンニャクを仕入れて、帰りは上小川駅近くに出て、久慈川沿いに水戸方面に出て帰ってきました。
昔は何度もこの道を通りましたが、数年ご無沙汰でしたが、今年は2度目です。

鷲子・美和・高部 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/04/13 12:40
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