笠間六体仏を求めて・・・(その四)岩谷寺
笠間の六体仏の3寺目は、笠間市来栖地区にある真言宗の寺「岩谷寺(いわやじ)」です。
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ここには2体の国の重要文化財に指定されている仏像が安置されています。
その1体が笠間時朝が寄進した薬師如来立像です。

笠間市来栖のこの岩谷寺(いわやじ)も少し奥まった地区にあり、車で向かうにも少し狭い道路を走ります。
まわりは田園地帯の奥の山間と言った場所です。
寺の入り口はこのようなのどかな景色が広がります。

真言宗智山派 岩谷寺 山門
この寺に残る最古の建造物のようで、江戸時代の1769年に建てられたものです。
寺の本堂などの建物(江戸時代の最盛期には14の堂宇があった)は1828年と1883年の火災で焼失してしまいました。

山門の右側に置かれている石標には「平城天皇勅願所」と彫られています。
寺の境内には寺の由緒が書かれた大きな岩が置かれています。

「岩谷寺」
平安時代の初め、平城天皇の勅願寺として秀悦(しゅうえつ)阿闍梨が 佐白山のふもとに開山したと伝えられている。
その後笠間城築城の時、正福寺とともに廃されたが、鎌倉時代の初期、忠圓阿闍梨によって今の地に再興された。
江戸時代には寺領三十石を賜わり、堂塔が立ち並んでいたが、その後再度の火災にあいもとの建物は山門だけとなった。
本尊薬師如来像は、平安末か鎌倉初期の作といわれ、薬師如来立像は建長五年(1253年)初代笠間城主笠間時朝が寄進したもので 坐像と共にすぐれた彫刻である (笠間市)

門を入ると正面奥に寺の本堂がありますが、左手の少し離れたところに「薬師堂」があります。

ここにも薬師堂の入り口に釈迦誕生仏が置かれていました。
薬師堂の堂内に置かれていた本尊などの仏像は、この裏手にあるコンクリート製の保管庫に安置されています。

古木の根元などには古びた石造が置かれていましたが、壊れたものも多くありました。
廃仏稀釈の影響もありそうです。


保管庫は普段は扉が閉じていますが、このお釈迦様の誕生日4月8日と笠間市の文化財公開日(隔年秋の2日間)に扉が開かれて、内部にも入ることができます。
仏像の裏側にも廻れます。

ここには2体の国の重要文化財の薬師如来像が安置されています。
1体は鎌倉時代の造られた立像で、笠間時朝が寄進したものです。

もう一体は坐像で、寺の本草とされる仏像で、製作年代はもう少し古く、平安時代末期頃と言われています。

2体の薬師如来像のまわりには眷属である十二神将像(像高:60.8~71.0cm)が如来像を守護するように配置されています。
この像の表情もなかなか面白いです。
このお寺も「撮影をご遠慮ください」との張り紙がありました。
ただ文化財公開時などのパンフレットなどには写真も載せられており、完全な秘仏扱いとはなっていないようです。
NHKのテレビなどでも公開されていました。


薬師如来立像【重文】(鎌倉時代1253年制作 ヒノキ材の寄木造 漆箔・玉眼、白毫水晶嵌入)〈像高185cm〉
本像の頭には螺髪が彫られ、額には白毫をつけ、衲衣(のうえ)の上に袈裟を懸けています。
左手の掌には薬壺(やっこ)が載せられており、薬師如来像です。

薬師如来坐像【重文】(平安末期 ヒノキの割矧(わりは)ぎ造)〈像高84.3cm〉
こちらは笠間時朝の六体仏ではありませんが、国の重要文化財に指定されています。
螺髪は通常埋め込まれた物が多いようですが、この像は直接彫り出して造られています。
表情がやさしく全体的にかわいらしい感じを受ける像です。
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ここには2体の国の重要文化財に指定されている仏像が安置されています。
その1体が笠間時朝が寄進した薬師如来立像です。

笠間市来栖のこの岩谷寺(いわやじ)も少し奥まった地区にあり、車で向かうにも少し狭い道路を走ります。
まわりは田園地帯の奥の山間と言った場所です。
寺の入り口はこのようなのどかな景色が広がります。

真言宗智山派 岩谷寺 山門
この寺に残る最古の建造物のようで、江戸時代の1769年に建てられたものです。
寺の本堂などの建物(江戸時代の最盛期には14の堂宇があった)は1828年と1883年の火災で焼失してしまいました。

山門の右側に置かれている石標には「平城天皇勅願所」と彫られています。
寺の境内には寺の由緒が書かれた大きな岩が置かれています。

「岩谷寺」
平安時代の初め、平城天皇の勅願寺として秀悦(しゅうえつ)阿闍梨が 佐白山のふもとに開山したと伝えられている。
その後笠間城築城の時、正福寺とともに廃されたが、鎌倉時代の初期、忠圓阿闍梨によって今の地に再興された。
江戸時代には寺領三十石を賜わり、堂塔が立ち並んでいたが、その後再度の火災にあいもとの建物は山門だけとなった。
本尊薬師如来像は、平安末か鎌倉初期の作といわれ、薬師如来立像は建長五年(1253年)初代笠間城主笠間時朝が寄進したもので 坐像と共にすぐれた彫刻である (笠間市)

門を入ると正面奥に寺の本堂がありますが、左手の少し離れたところに「薬師堂」があります。

ここにも薬師堂の入り口に釈迦誕生仏が置かれていました。
薬師堂の堂内に置かれていた本尊などの仏像は、この裏手にあるコンクリート製の保管庫に安置されています。

古木の根元などには古びた石造が置かれていましたが、壊れたものも多くありました。
廃仏稀釈の影響もありそうです。


保管庫は普段は扉が閉じていますが、このお釈迦様の誕生日4月8日と笠間市の文化財公開日(隔年秋の2日間)に扉が開かれて、内部にも入ることができます。
仏像の裏側にも廻れます。

ここには2体の国の重要文化財の薬師如来像が安置されています。
1体は鎌倉時代の造られた立像で、笠間時朝が寄進したものです。

もう一体は坐像で、寺の本草とされる仏像で、製作年代はもう少し古く、平安時代末期頃と言われています。

2体の薬師如来像のまわりには眷属である十二神将像(像高:60.8~71.0cm)が如来像を守護するように配置されています。
この像の表情もなかなか面白いです。
このお寺も「撮影をご遠慮ください」との張り紙がありました。
ただ文化財公開時などのパンフレットなどには写真も載せられており、完全な秘仏扱いとはなっていないようです。
NHKのテレビなどでも公開されていました。


薬師如来立像【重文】(鎌倉時代1253年制作 ヒノキ材の寄木造 漆箔・玉眼、白毫水晶嵌入)〈像高185cm〉
本像の頭には螺髪が彫られ、額には白毫をつけ、衲衣(のうえ)の上に袈裟を懸けています。
左手の掌には薬壺(やっこ)が載せられており、薬師如来像です。

薬師如来坐像【重文】(平安末期 ヒノキの割矧(わりは)ぎ造)〈像高84.3cm〉
こちらは笠間時朝の六体仏ではありませんが、国の重要文化財に指定されています。
螺髪は通常埋め込まれた物が多いようですが、この像は直接彫り出して造られています。
表情がやさしく全体的にかわいらしい感じを受ける像です。
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