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下総の四國廻りや閑古鳥 No11

≪三愚集≫No.11

下総の四國廻りや閑古鳥(小林一茶)

七番日記には「下総の四國廻りやかんこ鳥」とある。

さて、この句はどのようなことを詠っているのでしょうか?

まず「下総(しもふさ=しもうさ)の四国巡り」をまず理解しなければなりません。
下総は今の千葉県の北西部(南東部は上総(かずさ))です。
江戸時代にこの下総に四国八十八箇所に相当する霊場が出来ました。
そして、この寺々を巡礼して廻るという「札所めぐり=弘法大師巡礼」がかなり流行したようです。

一茶の七番日記の文化7年4月の日記にこの句が書かれており、
「寅刻雨、巳刻ヨリ晴 大南吹、水戸候牛久ヨリ若柴通小金泊」
とあり、一茶は水戸から牛久宿、若柴宿(現在の龍ヶ崎市若柴)を通って小金(我孫子と松戸の間)に泊まっています。

この時に取手宿に近くの「長禅寺」に立ち寄っているのですが、ここがこの「下総新四 国相馬霊場八十八ケ所巡り」の総本山となっているのです。

現在この寺にこの一茶の句碑が置かれています。

長禅寺は取手駅のすぐ東側にあり、931年に平将門が祈願寺として建立したと伝わる古刹です。
ここには三世堂というお堂があり、これが現存する日本で5カ所しかない「さざえ堂」の一つです。
ただ、このお堂も内部は毎年4月1日だけの公開だそうです。
(平将門は下総相馬氏の祖とも言われています)

江戸時代の頃、四国のお遍路だけではなく、この下総八十八箇所巡礼(お遍路)が流行したといいます。

新四国相馬八十八カ所霊場は、現在の取手市〜我孫子市周辺に現在も多くが残されています。
この霊場は今から約250年前頃に、観覚光音禅師が四国八十八ヶ所を訪れ札所の砂を持ち帰り、利根川の流れに沿った寺院・堂塔にうめて開基したといわれています。
この霊場巡りは利根川の両岸に沿って比較的狭い範囲に集中しており、徒歩と渡し舟で二泊三日をかけて廻ることができたそうです。このため、ミニお遍路として江戸でも人気になりました。

さて、一茶の句ですが「閑古鳥」とでてきますが、読みは「かんこどり」ですが、「カッコー」のことです。夏の季語になります。

今では暇なときは「かんこどりが鳴く」などといいますが、この句の意味は暇というわけではありません。
夏に、のどかな(長閑)な雰囲気がしたのでしょうね。


三愚集_25P
(夏目漱石 書)

三愚集_26P
(小川芋銭 絵)

三愚集 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/05/24 11:32
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