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下駄ころりからりきやつらが夕涼 No.16 & <三愚集について>

≪三愚集≫No.16 下駄ころりからりきやつらが夕涼(小林一茶)

七番日記に 「下駄からり/\夜永のやつら哉」 とある。

夕涼(ゆうすずみ)の季語は「晩夏」で、「夜長」は秋分を過ぎたと考えられ、秋の季語になる。
上の二つは同じ季節では無ようだが、意味合いは同じようなものなのだろう。

「きやつら」「やつら」とは誰なのか?

一茶もこの句をいろいろに変えて楽しんだのかもしれない。

三愚集_35P
(夏目漱石 書)

三愚集_36P
(小川芋銭 絵)

「三愚集」について少し説明をしておきます。

三愚集は大正7年(1918年)に流山市の実業家で俳人でもあった秋元梧樓(ごろう)が企画し、小林一茶の句を27句選択し、それを夏目漱石が書し(揮毫し)、そこに小川芋銭(うせん)がしゃれた絵をつけたものを 大倉半兵衛が木版におこして版画版として制作されたものです。
ただこれは非売品として配ったもののようで製作された部数もわかっていません。

流山市で醸造業で財をなし、みりんの開発者としても知られる秋元三左衛門(俳号:双樹)は一茶の親しい支援者として知られ、小林一茶は何度もこの秋元家を訪れています。
秋元梧樓(ごろう)はこの秋元家に養子に入り、漱石とは俳人高浜虚子を通じて知り合ったといわれています。

しかし、結構豪華な体裁(見開きで右に漱石の書、左に芋銭の絵)の書で、復刻版が平成4年と10年に限定出版されています。

書の序文にはやはり漱石の書で達筆のためよく読めませんが、以下のようなことが書かれています。

「句は一茶 畫は芋銭 書は漱石それ故に三愚集という 句を作りて後世に残せる一茶は気の知れぬ男なり。
 その句を畫にする芋銭は入らざる男也 頼まれて不得已一茶の句を写せる漱石は三人のうちにて一番の大馬鹿也。
三愚を一堂に会して得意なる秋元梧樓に至つては賢か愚か、殆んど判じかたし。

 四十五年五月   漱石」


三愚集_02P

三愚集_03P

最初に刊行されたのは大正3年7月ですので、昨年7月に100年を迎えました。
現在白黒版ですが国会図書館のデジタルコレクションとして公開されています。
(国立国会図書館デジタルコレクション三愚集 ⇒ こちら
ここに載せている書と絵はこのデジタルコレクションのものです。

季節に添って27句が選ばれていますが、句が選ばれた背景や、芋銭(うせん)の絵との関係もよく見ていくととても奥が深そうです。ここでは少し調べて分かったことなどを記していますが、私にとっては結構難解です。

解釈が間違っているところも多々あると思いますが、気楽に楽しんでいただけたら嬉しく思います。

三愚集 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/05/27 06:36
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