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宮沢賢治

今日は南からの暖かい風が強く吹いている。原発の放射性物質は遠くに飛んでいってほしいものだ。
春の嵐といったところだろうが、我が家の屋根のブルーシートが飛ばされないか心配である。
明日は雨が降るというので、修理も急がなければならないかもしれない。

今日ネットで「宮沢賢治 地震」などとして検索してみたら今回の地震被害の後に書かれたブログがかなりの数ヒットした。
宮沢賢治は岩手県花巻で生まれたのが、明治29年8月であり、明治三陸津波で、岩手県で1万8千人以上が犠牲になった年です。津波は生まれる2か月前であり、生まれてすぐに陸羽地震という内陸型の大地震があった。岩手県は当時は日本の中でも貧しい暮らしのところが多かった。災害がこのような所に集中するのは理不尽と思ったのかもしれない。

きっとこの地震の被害のことが賢治の記憶にあったのだろう。そして今回の大震災で思い起こされてくるのかもしれない。
このブログでは「我欲」のところで取り上げたが、こんな繋がりがあったというのも興味深い。

当時は3ヶ月後の内陸地震であり、江戸時代後期の安政の東南海大地震では、津波の1年後に安政の江戸大地震が起っている。
鎌倉の大仏さんも津波で動き、まわりの建物も全部流されたという信じられないような小田原地震も昔あったという。
歴史は繰り返すというから、用心しなければならない。
 

地震・津波全般 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2011/04/08 18:54
コメント
帰郷
ROMAN様
突如急用発生のため、週末の予定を繰り上げ帰郷。
実家の片付けなどしながらうとうとしたところ突如突き上げるようにドン。参りました。
今日は午後墓参り、そのまま国分寺に。
街中の罹災状況見てまいりましたが、古い土蔵が
やられているのは御紹介いただいた通り、しかし
墓石、灯篭の転倒が想像以上。場所によっては
まさになぎ倒されているような状況。
泉橋を渡って泉町側の歩道からマンホールが
二基隆起しているは、石岡駅の回り液状化の
砂の痕跡あるは。愕然としました。
国分寺は花祭りと言うのに、当然のことながら
テキヤさんもおらず、参道も境内も閑散として
います。
それでも薬師堂の前にはお釈迦様が祀られ
右手を天に上げていらっしゃいました。
多分40年ぶり以上でしょう。
お水をおかけし、お祈りさせていただきました。

テキヤさんたちも生活大変だろうな、と思った
ところで、ひょっとして彼らは炊き出しやって
いるのだろうか、と思いました。
いや、お金持ちがスポンサーになって、彼らに
炊き出しキャラバンさせたら被災地よろこぶだろうとも。全国渡り歩いている方たちですし、野外
大量調理もお手の物です。自衛隊なみの給食
能力があり、しかもメニューが豊富。
お祭りはできなくても、こういう楽しみはあって
も良いでしょう。

先ほどもどりましたが、石岡駅キオスクで納豆
買えました。
ホームの状況もつらつらの見ましたが、JRの
復旧能力の凄さつくづく感じます。
感謝感謝。

Re: 帰郷
行徳様
やっと帰ってこられたのですね。
またよりによって最大の余震に襲われてしまったようで・・・。
このコメントで初めて国分寺の花まつりを思い出しました。
4月8日でしたね。
今年はまだ桜が遅かったし、人でもなく寂しい花まつりとなってしまいました。
まあ、桜が満開になったら花見をするのも良いですよね。
気分転換も必要だし。最近は酒も飲まなくなったので何が楽しみだか??

「フーテンの寅さん被災地へ行く!」なんていうのもいいですね。
No title
Roman様
有難うございます。
寅さんいいですねえ。
でも東北は意外とあまり行っておらず、今回被害の大きかった場所には行ってないのですね。
Wikiで見てみました。
今ご存命であれば御歳いくつであっても、皆さん
大喜びで迎えるでしょうね。
でも83歳のじいさんに恋はさすがに、、、、。
(不謹慎?)
http://ameblo.jp/peek-a-boo-0107/entry-10849156989.html
同じようなことを考えている方も多々いるようで
現実になるかもしれませんね。
やきそば、たこ焼き、イカ焼きなんかの匂い、
これは絶対元気くれます。
自分、今でもテキヤ、屋台見るとそわそわします。

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