明月の御覧の通り屑家かな No.22
≪三愚集≫No.22 明月の御覧の通り屑家かな(小林一茶)
文化五年八月句日記に 「明月の御覧の通り屑家(くづや)也」 とある
小林一茶は故郷長野(柏原)の父の遺産を巡って1801年から1814年までの長い間、腹違いの弟との間で財産をめぐって争いが続いた。これは結構どろどろした話し合いとなったとされています。
そして財産を分けて柏原(豪雪地帯)の土蔵を得たという。
この土蔵で一茶は亡くなっています。
上の俳句は裏にこの得た家はこんなボロ屋だと言っているかもしれません。
わびさびなどの趣を句に感じますが、一茶の気持ちとしてはどんなだったのでしょうか。

(夏目漱石 書)

(小川芋銭 絵)
文化五年八月句日記に 「明月の御覧の通り屑家(くづや)也」 とある
小林一茶は故郷長野(柏原)の父の遺産を巡って1801年から1814年までの長い間、腹違いの弟との間で財産をめぐって争いが続いた。これは結構どろどろした話し合いとなったとされています。
そして財産を分けて柏原(豪雪地帯)の土蔵を得たという。
この土蔵で一茶は亡くなっています。
上の俳句は裏にこの得た家はこんなボロ屋だと言っているかもしれません。
わびさびなどの趣を句に感じますが、一茶の気持ちとしてはどんなだったのでしょうか。

(夏目漱石 書)

(小川芋銭 絵)
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