天狗湯を探せ!(その一)
天狗湯を探せ! っていったい何? と思いますよね。
実は今回から数回に亘って千葉県銚子市で、「天狗湯」というもう大昔に無くなってしまった銭湯を探した探訪記を載せようと思います。
これは、私の記録的な内容ですので興味のある方はお付き合いください。
<プロローグ>
江戸時代の終わり頃(文政3年:1820年)、江戸の街中に天狗に攫(さら)われて数年して戻ってきたという少年が現れた。
少年の名は「寅吉」といい、戻ってきたときは15歳であった。
当時、神道思想の研究をしていた国学者の「平田篤胤(あつたね)」はこれを知って、すぐにこの少年を家に招いた。
そして少年の話す天狗の世界の体験談を聞き取り、これを『仙境異聞』という書物にまとめたのだ。
寅吉少年の話によると、寅吉は江戸下谷池の端七軒町のたばこ売り越中屋與惣次郎の子であり、7歳の時に上野池の端の五条天神前で遊んでいると、そこで不思議な男が毎日のように丸薬を売っていた。この男は仕事が終わると小さな壺に道具と共に自分も入って、その壺ごと、どこかに飛んで行ってしまった。
あまりの不思議さに、この術を知りたくなった寅吉は、数日後また薬売りにやってきていたこの男に話しかけ、誘われるままにこの男と、この小さな壷に入ってしまった。
そしてたどり着いた場所が、茨城県の南台丈(現難台山)で、その後に近くの岩間山(現:愛宕山)に連れて行かれた。
そして、ここには13人(疋)の天狗が暮らしており、この男はその13天狗の首領で「杉山僧正」といった。
そして、この岩間山で天狗と共に約8年間過ごし、この間に、この杉山僧正から天狗界(神仙界)の話を聞き、天狗の修行もし、また天狗に背負われて世界各地の見物をしたという。そして、15歳に時に浅草観音堂前にもどされたという。
戻ってきた寅吉少年の話を聞き取ってそれをそのまままとめたかたちで書かれている仙境異聞(1822年刊行)だが、寅吉少年は、それからもちょくちょく岩間山にも戻っていたらしく、この本には篤胤が、この杉山僧正宛てに手紙を書き、それを寅吉少年に託したという手紙も含まれている。
平田篤胤は、この約20年後の1843年に他界しているが、この寅吉少年がその後どうなったかということを調べた人がいる。
心霊研究で知られる浅野和三郎氏だ。
浅野氏は明治7年に利根川下流の現茨城県河内町の医者の家に生まれ、東京帝国大学英文学科を卒業後海軍学校の英語教師をしていた。
しかし、大正4年に三男が原因不明の熱病になり、多くの医者にかかっても治らず、三峰山の女行者の言葉により快癒した事から熱心に心霊研究をするようになったといわれています。
この浅野和三郎氏がこの寅吉少年のその後を調べ、さらに門下の河目妻蔵氏によって追跡調査がなされ、大正14年10月の「心霊と人生」誌(10号)に「寅吉の晩年」と題して発表された。
それによると、寅吉は天狗の首領である杉山僧正からもらった名前「嘉津間」を名乗り(石井嘉津間)、平田篤胤の弟子のひとりの五十嵐という神職を兼ねた医者からの要請で、千葉県笹河村の諏訪神社(香取市笹川の諏訪大神)で神職をしながら、天狗直伝の法術で病気治しを行っていたのだそうです。
これが近隣はもとより遠方まで評判を呼んでいたといいます。
そして53歳の時に奉公していた女中しほとの間に男の子が生まれ、「嘉津平」と名付けました。
この後、寅吉は安政6年(1859年)12月に「僧正からの急なお召だ」と言いながら死去したそうです。
その際に、天狗秘伝の薬の処方箋とともに薬湯をはじめよとの遺言を残し、子孫は銚子で二神湯(通称:天狗湯)という銭湯を始めました。
そしてこの湯は皮膚病や火傷、冷え性に薬効があると評判になり昭和30年代頃まであったそうです。
では、この「天狗湯」がどのような場所で営業されていたのか、調べてみようというのがこの「天狗湯をさがせ!」のテーマです。
なんだか頼りない情報ですが、銚子には毎月3回ほど通っています。
午後一番からは仕事の打ち合わせで、この湯の探索は昼飯を含めた1回午前中1時間ほどの時間しかありません。
しかし、調べていくうちに銚子の歴史の足跡を追いかけているような不思議な気持ちになりました。
もう、天狗湯にあまりこだわるのではなく、そこに生活をしている方達との会話などの方がとても気持ちよく感じました。
ここからは、あまり知られていない銚子の歴史などにも触れた記録を残して行きたいと思います。
単なる紀行文としての面白さが表現できるようになるといいのですが。
次回から数回に分けて書いていきます。

(岩間山の飯綱神社裏手の十三天狗を祀った祠と六角殿)

岩間山の13天狗の民話については以下のサイトなどを参照ください。
茨城の民話Webアーカイブ:http://bunkajoho.pref.ibaraki.jp/minwa/minwa/no-0801200005
笠間市(『いわまの伝え話』岩間町教育委員会):https://www.city.kasama.lg.jp/page/page000170.html
愛宕神社(岩間)-十三天狗の杜:http://www.rekishinosato.com/iwamaatago.htm
長楽寺の天狗: http://www.rekishinosato.com/essayW_16.htm
<天狗湯を探せ!> シリーズ全体は ⇒ こちら から
実は今回から数回に亘って千葉県銚子市で、「天狗湯」というもう大昔に無くなってしまった銭湯を探した探訪記を載せようと思います。
これは、私の記録的な内容ですので興味のある方はお付き合いください。
<プロローグ>
江戸時代の終わり頃(文政3年:1820年)、江戸の街中に天狗に攫(さら)われて数年して戻ってきたという少年が現れた。
少年の名は「寅吉」といい、戻ってきたときは15歳であった。
当時、神道思想の研究をしていた国学者の「平田篤胤(あつたね)」はこれを知って、すぐにこの少年を家に招いた。
そして少年の話す天狗の世界の体験談を聞き取り、これを『仙境異聞』という書物にまとめたのだ。
寅吉少年の話によると、寅吉は江戸下谷池の端七軒町のたばこ売り越中屋與惣次郎の子であり、7歳の時に上野池の端の五条天神前で遊んでいると、そこで不思議な男が毎日のように丸薬を売っていた。この男は仕事が終わると小さな壺に道具と共に自分も入って、その壺ごと、どこかに飛んで行ってしまった。
あまりの不思議さに、この術を知りたくなった寅吉は、数日後また薬売りにやってきていたこの男に話しかけ、誘われるままにこの男と、この小さな壷に入ってしまった。
そしてたどり着いた場所が、茨城県の南台丈(現難台山)で、その後に近くの岩間山(現:愛宕山)に連れて行かれた。
そして、ここには13人(疋)の天狗が暮らしており、この男はその13天狗の首領で「杉山僧正」といった。
そして、この岩間山で天狗と共に約8年間過ごし、この間に、この杉山僧正から天狗界(神仙界)の話を聞き、天狗の修行もし、また天狗に背負われて世界各地の見物をしたという。そして、15歳に時に浅草観音堂前にもどされたという。
戻ってきた寅吉少年の話を聞き取ってそれをそのまままとめたかたちで書かれている仙境異聞(1822年刊行)だが、寅吉少年は、それからもちょくちょく岩間山にも戻っていたらしく、この本には篤胤が、この杉山僧正宛てに手紙を書き、それを寅吉少年に託したという手紙も含まれている。
平田篤胤は、この約20年後の1843年に他界しているが、この寅吉少年がその後どうなったかということを調べた人がいる。
心霊研究で知られる浅野和三郎氏だ。
浅野氏は明治7年に利根川下流の現茨城県河内町の医者の家に生まれ、東京帝国大学英文学科を卒業後海軍学校の英語教師をしていた。
しかし、大正4年に三男が原因不明の熱病になり、多くの医者にかかっても治らず、三峰山の女行者の言葉により快癒した事から熱心に心霊研究をするようになったといわれています。
この浅野和三郎氏がこの寅吉少年のその後を調べ、さらに門下の河目妻蔵氏によって追跡調査がなされ、大正14年10月の「心霊と人生」誌(10号)に「寅吉の晩年」と題して発表された。
それによると、寅吉は天狗の首領である杉山僧正からもらった名前「嘉津間」を名乗り(石井嘉津間)、平田篤胤の弟子のひとりの五十嵐という神職を兼ねた医者からの要請で、千葉県笹河村の諏訪神社(香取市笹川の諏訪大神)で神職をしながら、天狗直伝の法術で病気治しを行っていたのだそうです。
これが近隣はもとより遠方まで評判を呼んでいたといいます。
そして53歳の時に奉公していた女中しほとの間に男の子が生まれ、「嘉津平」と名付けました。
この後、寅吉は安政6年(1859年)12月に「僧正からの急なお召だ」と言いながら死去したそうです。
その際に、天狗秘伝の薬の処方箋とともに薬湯をはじめよとの遺言を残し、子孫は銚子で二神湯(通称:天狗湯)という銭湯を始めました。
そしてこの湯は皮膚病や火傷、冷え性に薬効があると評判になり昭和30年代頃まであったそうです。
では、この「天狗湯」がどのような場所で営業されていたのか、調べてみようというのがこの「天狗湯をさがせ!」のテーマです。
なんだか頼りない情報ですが、銚子には毎月3回ほど通っています。
午後一番からは仕事の打ち合わせで、この湯の探索は昼飯を含めた1回午前中1時間ほどの時間しかありません。
しかし、調べていくうちに銚子の歴史の足跡を追いかけているような不思議な気持ちになりました。
もう、天狗湯にあまりこだわるのではなく、そこに生活をしている方達との会話などの方がとても気持ちよく感じました。
ここからは、あまり知られていない銚子の歴史などにも触れた記録を残して行きたいと思います。
単なる紀行文としての面白さが表現できるようになるといいのですが。
次回から数回に分けて書いていきます。

(岩間山の飯綱神社裏手の十三天狗を祀った祠と六角殿)

岩間山の13天狗の民話については以下のサイトなどを参照ください。
茨城の民話Webアーカイブ:http://bunkajoho.pref.ibaraki.jp/minwa/minwa/no-0801200005
笠間市(『いわまの伝え話』岩間町教育委員会):https://www.city.kasama.lg.jp/page/page000170.html
愛宕神社(岩間)-十三天狗の杜:http://www.rekishinosato.com/iwamaatago.htm
長楽寺の天狗: http://www.rekishinosato.com/essayW_16.htm
<天狗湯を探せ!> シリーズ全体は ⇒ こちら から
記事の内容は、時間が取れたときに読ませていただきます。