天狗湯を探せ!(その三)
<庚申様>
前回の銚子訪問から1週間後にまた銚子にやってきました。
しかし、生憎の梅雨模様であまり天気も良くありません。
散策には不向きでした。
まあ少しの情報を追加しておこうと前回の五叉路の西側の2本の道を右(海寄り)を少し散策してみることにしました。
前回、西広家住宅を見学後に訪れた「こころ」での情報から、川口の五叉路を右側(銚子駅側)に2つの銭湯があったと聞いていたからです。
また別の方よりも同じような情報を得ていました。
右側の2本の道の左側には滝の湯という銭湯があったことはほぼ間違いなさそうなのでもう1本の道を探索してみることにしました。
こちらの道はすぐに「通町(とおりちょう)」となり、そのまま進むと飯沼観音の南側のロータリーに出る道で、今は海(利根川)に沿った道がメインですが、昔はこちらの通町の通りが銚子の商店街にもつながっていました。
別なところで聞いた話で、この道を少し行った床屋さんの近くに昔銭湯があったようだとの情報もあったので床屋さんを探して行きました。
しかし、この通りも昔の面影はなく、かなりさびしい道となってしまっていました。
昭和30年頃というと、もう60年以上も前ですよね。
天狗湯を知っている方も70歳以上ではないでしょうか?
私も小学校の前半は家に内風呂がなく、銭湯に通っていました。
その銭湯も結構遠く、家から1駅離れた所で、母親と歩いて通っていたと思うのですが、その場所を聞かれたら大体の場所はわかりますが、そんな細かな場所までとても覚えていません。
やはり銭湯の近くに住んでおられた方に聞かなくてはダメだと思います。
まずは大雑把でも覚えている方を探さねばなりません。
名前を憶えている方は何人かわかったのですが、あの辺だとか、この辺だとか大雑把で意外に特定できなかったのです。
それで、その候補地の1つがこの通町の方でした。
でも、開いているお店も少なく、天候が良くないと歩いている方もあまりおりません。
そんな中少し変わったお宮を見つけました。
「庚申(こうしん)様」と鳥居の額に書かれたお宮です。
地図では旧道と港沿いの道が最も接近した場所です。

銚子には各地に「庚申様」を祀った神社やお宮、石塔が数多く残されているようです。
庚申塚などは道教信仰の一つとされているようで、各地で道祖神などと同じように祀られています。
茨城の方でも庚申塚とか庚申塔といったものは結構ありますが、このようにお宮として祀られたものはあまり見かけません。

中に祀られていたのはこの庚申塔です。
見ざる・言わざる・聞かざるの三猿の上に青面金剛?が置かれています。
江戸時代には結構各地で流行ったようです。
60日おきにやってくる庚申の日に、体の中に棲む虫が天帝様に自分の悪事を夜中に知らせに行かれないように眠らずに番をするのだそうです。
これも夜中に飲食をするのも目的になったのでしょうか。二十三夜塔などの似たようなものでしょうか。
この庚申様のある場所から少し狭くなった旧道(横道)があり、何か由緒ありげな建物が残されています。
これが天狗湯の跡などと言われたら、そう思い込みそうです。
近くを通る人も見つからないのでとりあえず今回は散策だけで戻ります。

苔むした廃墟のような建物。
壁からは何本もの小さなボイラー用煙突が出ており、もしかしたらなんて思いましたが違っているようです。
その前は地図には「クレープ屋」の文字があるのですが、店はやっていないようです。
こうして歩いてみるとこのあたりの家も空き家が結構ありますね。
もうだいぶ前から空き家となっていると壁が壊れたり、草木が生い茂ったり、蔦で覆われていたりしています。
昔こちらは本銚子町(もとちょうしまち)となっており、銚子町に組み込まれて一緒になったのは1933年(昭和8年)だそうです。
この頃の地図ではまだ港沿いの道路は無かったようです。



ここは川口漁港まですぐです。
銚子第一漁港と違って少し大型の舟が多く停泊していました。


通町の道を銚子駅方面に進み、飯沼観音横へ出ました。
ランチは入梅イワシを食べたくなり観音食堂「丼屋七兵衛」さんにお邪魔しました。
「真イワシの漬丼(単品)」800円でした。
漬丼ならここが一番おいしいです。
銚子を活性化したいと始めたお店です。
冬場なら鯖が美味しいですよ。

(2019年6月3日)
前回の銚子訪問から1週間後にまた銚子にやってきました。
しかし、生憎の梅雨模様であまり天気も良くありません。
散策には不向きでした。
まあ少しの情報を追加しておこうと前回の五叉路の西側の2本の道を右(海寄り)を少し散策してみることにしました。
前回、西広家住宅を見学後に訪れた「こころ」での情報から、川口の五叉路を右側(銚子駅側)に2つの銭湯があったと聞いていたからです。
また別の方よりも同じような情報を得ていました。
右側の2本の道の左側には滝の湯という銭湯があったことはほぼ間違いなさそうなのでもう1本の道を探索してみることにしました。
こちらの道はすぐに「通町(とおりちょう)」となり、そのまま進むと飯沼観音の南側のロータリーに出る道で、今は海(利根川)に沿った道がメインですが、昔はこちらの通町の通りが銚子の商店街にもつながっていました。
別なところで聞いた話で、この道を少し行った床屋さんの近くに昔銭湯があったようだとの情報もあったので床屋さんを探して行きました。
しかし、この通りも昔の面影はなく、かなりさびしい道となってしまっていました。
昭和30年頃というと、もう60年以上も前ですよね。
天狗湯を知っている方も70歳以上ではないでしょうか?
私も小学校の前半は家に内風呂がなく、銭湯に通っていました。
その銭湯も結構遠く、家から1駅離れた所で、母親と歩いて通っていたと思うのですが、その場所を聞かれたら大体の場所はわかりますが、そんな細かな場所までとても覚えていません。
やはり銭湯の近くに住んでおられた方に聞かなくてはダメだと思います。
まずは大雑把でも覚えている方を探さねばなりません。
名前を憶えている方は何人かわかったのですが、あの辺だとか、この辺だとか大雑把で意外に特定できなかったのです。
それで、その候補地の1つがこの通町の方でした。
でも、開いているお店も少なく、天候が良くないと歩いている方もあまりおりません。
そんな中少し変わったお宮を見つけました。
「庚申(こうしん)様」と鳥居の額に書かれたお宮です。
地図では旧道と港沿いの道が最も接近した場所です。

銚子には各地に「庚申様」を祀った神社やお宮、石塔が数多く残されているようです。
庚申塚などは道教信仰の一つとされているようで、各地で道祖神などと同じように祀られています。
茨城の方でも庚申塚とか庚申塔といったものは結構ありますが、このようにお宮として祀られたものはあまり見かけません。

中に祀られていたのはこの庚申塔です。
見ざる・言わざる・聞かざるの三猿の上に青面金剛?が置かれています。
江戸時代には結構各地で流行ったようです。
60日おきにやってくる庚申の日に、体の中に棲む虫が天帝様に自分の悪事を夜中に知らせに行かれないように眠らずに番をするのだそうです。
これも夜中に飲食をするのも目的になったのでしょうか。二十三夜塔などの似たようなものでしょうか。
この庚申様のある場所から少し狭くなった旧道(横道)があり、何か由緒ありげな建物が残されています。
これが天狗湯の跡などと言われたら、そう思い込みそうです。
近くを通る人も見つからないのでとりあえず今回は散策だけで戻ります。

苔むした廃墟のような建物。
壁からは何本もの小さなボイラー用煙突が出ており、もしかしたらなんて思いましたが違っているようです。
その前は地図には「クレープ屋」の文字があるのですが、店はやっていないようです。
こうして歩いてみるとこのあたりの家も空き家が結構ありますね。
もうだいぶ前から空き家となっていると壁が壊れたり、草木が生い茂ったり、蔦で覆われていたりしています。
昔こちらは本銚子町(もとちょうしまち)となっており、銚子町に組み込まれて一緒になったのは1933年(昭和8年)だそうです。
この頃の地図ではまだ港沿いの道路は無かったようです。



ここは川口漁港まですぐです。
銚子第一漁港と違って少し大型の舟が多く停泊していました。


通町の道を銚子駅方面に進み、飯沼観音横へ出ました。
ランチは入梅イワシを食べたくなり観音食堂「丼屋七兵衛」さんにお邪魔しました。
「真イワシの漬丼(単品)」800円でした。
漬丼ならここが一番おいしいです。
銚子を活性化したいと始めたお店です。
冬場なら鯖が美味しいですよ。

(2019年6月3日)
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