天狗湯を探せ!(その四)
<和田山不動堂と滝の湯>
天狗湯の近くにもう一つあったという「滝の湯」の場所はすぐに分かったので今回はまずこちらへ行ってみることにした。
川口に五叉路を西に行く左側の道方向にあるという。
それも道路が坂を登る直ぐ近くで、その近くに大きなお宮があるという。
少し車を走らせると右は次第に左にカーブし、登り坂となった。
ここに地図では「不動堂」と書かれた場所があるはずだが、郵便局と小学校がすぐに表れて、その手前にあるはずの大きな不動堂への入り口がない。
また戻ってみると、少し手前に斜めに入る道があった。
入口に大きな石灯篭がありました。

入口が通りから入りにくくなっていて、最初に入口がわかりませんでしたが、入口に入ってみるとなかなか大きなお不動さんのようです。

この階段を上った先に不動堂があり、森が広がっています。
しかしこの上には小学校や団地もできています。
昔はこの森が川口神社の方まで続いていて、次第に上の方が開発されて小学校(明神小学校)、中学校(第一中)や団地(植松町市営住宅)ができたようです。

この石段の入り口に石橋が架けられており、下には水が溜まっています。

右手に刀に巻き付いた蛇の像があり、その上の方に水が落ちる口のようなものが見えます。
しかし、今はここから水は落ちていないようで、これが昔(江戸時代?)人口でつくられた滝だということがわかりました。
この滝があったので、近くにできた銭湯が「滝の湯」という名前であることに納得しました。


波切不動尊です。
波の荒い海岸近くによくみかけます。

この不動堂をかなりのパワースポットという雰囲気がします。
色々な石仏などが所狭しと道沿いに並んでいます。


ここが不動堂の本堂のようです。立派な建物があります。


入口に置かれた狛犬もなかなか面白い表情です。

首が落とされた石仏がいくつもありました。
廃仏稀釈で壊されて物でしょう。


虚空蔵

ここも新四国霊場の一つなのでしょうか


この不動堂から遊歩道のように森の中に整備された道が続いています。
ここがこのまま西広家の方の西宮神社へつながっているのでしょうか。
夏場にはこの不動堂のまわりでお祭りが開かれているといいます。

では滝の湯の場所を近くの食堂に入って確かめることにしました。
地図を調べても食堂はこの1軒だけです。もう50年ほどはやっているらしい。



親子丼(700円)をいただきました。
まあ昔ながらの味でしょうか。
早速、女将さんに聞いてみました。
「この近くに昔 滝の湯 という銭湯があったと聞いていますが、ご存知ですか?」
「はい知ってますよ」
「場所はどのあたりですか?」
この通りの左へ坂を下りたところに魚屋さんがあるけど、その前にあったですよ。」
「いつごろまであったの?」
「そうね。もうずっと前に辞めてしまったから・・ ・40年くらい前かしら?」
「今は何か残っていますか?」
「いや何も残っていないね」
「もう一つ天狗湯というのがあったと聞いているのだけれど ご存じありませんか?」
「そうね。 ねえ!(常連の年配のおじさんに) 知ってる?」
年配のおじさん:「ああ知ってるよ!」
「え! どこにあったのですか?」
「この店を出て右に少し上ったところの交差点を右に行ったところにあったよ。」
「え! 通町の方ではないのですか?」
「いや、全然違うよ。 駅の方にその道を行って右側だよ。今も建物が残っているよ。」
「え! 本当に。 ありがとうございます。探して行ってみます。」
その道は、清水坂上から御飯町を通って銚子の街に至る道です。
さて、食事が終わったので、まずは滝の湯の跡を見てきましょう。

少し左に戻って坂を下ったところに魚屋さんがありました。

この前にあったというのですが、今は一般の住宅が建っています。
写真に見える奥の森が 和田山不動堂の森です。

下谷(したや)食堂で有力情報をゲットしましたので 調べに行きたいのですが、今日の時間はあまりなくなってしまいました。
長くなってしまいましたのでこの先は次回に回しましょう。
(2019年6月11日)
天狗湯の近くにもう一つあったという「滝の湯」の場所はすぐに分かったので今回はまずこちらへ行ってみることにした。
川口に五叉路を西に行く左側の道方向にあるという。
それも道路が坂を登る直ぐ近くで、その近くに大きなお宮があるという。
少し車を走らせると右は次第に左にカーブし、登り坂となった。
ここに地図では「不動堂」と書かれた場所があるはずだが、郵便局と小学校がすぐに表れて、その手前にあるはずの大きな不動堂への入り口がない。
また戻ってみると、少し手前に斜めに入る道があった。
入口に大きな石灯篭がありました。

入口が通りから入りにくくなっていて、最初に入口がわかりませんでしたが、入口に入ってみるとなかなか大きなお不動さんのようです。

この階段を上った先に不動堂があり、森が広がっています。
しかしこの上には小学校や団地もできています。
昔はこの森が川口神社の方まで続いていて、次第に上の方が開発されて小学校(明神小学校)、中学校(第一中)や団地(植松町市営住宅)ができたようです。

この石段の入り口に石橋が架けられており、下には水が溜まっています。

右手に刀に巻き付いた蛇の像があり、その上の方に水が落ちる口のようなものが見えます。
しかし、今はここから水は落ちていないようで、これが昔(江戸時代?)人口でつくられた滝だということがわかりました。
この滝があったので、近くにできた銭湯が「滝の湯」という名前であることに納得しました。


波切不動尊です。
波の荒い海岸近くによくみかけます。

この不動堂をかなりのパワースポットという雰囲気がします。
色々な石仏などが所狭しと道沿いに並んでいます。


ここが不動堂の本堂のようです。立派な建物があります。


入口に置かれた狛犬もなかなか面白い表情です。

首が落とされた石仏がいくつもありました。
廃仏稀釈で壊されて物でしょう。


虚空蔵

ここも新四国霊場の一つなのでしょうか


この不動堂から遊歩道のように森の中に整備された道が続いています。
ここがこのまま西広家の方の西宮神社へつながっているのでしょうか。
夏場にはこの不動堂のまわりでお祭りが開かれているといいます。

では滝の湯の場所を近くの食堂に入って確かめることにしました。
地図を調べても食堂はこの1軒だけです。もう50年ほどはやっているらしい。



親子丼(700円)をいただきました。
まあ昔ながらの味でしょうか。
早速、女将さんに聞いてみました。
「この近くに昔 滝の湯 という銭湯があったと聞いていますが、ご存知ですか?」
「はい知ってますよ」
「場所はどのあたりですか?」
この通りの左へ坂を下りたところに魚屋さんがあるけど、その前にあったですよ。」
「いつごろまであったの?」
「そうね。もうずっと前に辞めてしまったから・・ ・40年くらい前かしら?」
「今は何か残っていますか?」
「いや何も残っていないね」
「もう一つ天狗湯というのがあったと聞いているのだけれど ご存じありませんか?」
「そうね。 ねえ!(常連の年配のおじさんに) 知ってる?」
年配のおじさん:「ああ知ってるよ!」
「え! どこにあったのですか?」
「この店を出て右に少し上ったところの交差点を右に行ったところにあったよ。」
「え! 通町の方ではないのですか?」
「いや、全然違うよ。 駅の方にその道を行って右側だよ。今も建物が残っているよ。」
「え! 本当に。 ありがとうございます。探して行ってみます。」
その道は、清水坂上から御飯町を通って銚子の街に至る道です。
さて、食事が終わったので、まずは滝の湯の跡を見てきましょう。

少し左に戻って坂を下ったところに魚屋さんがありました。

この前にあったというのですが、今は一般の住宅が建っています。
写真に見える奥の森が 和田山不動堂の森です。

下谷(したや)食堂で有力情報をゲットしましたので 調べに行きたいのですが、今日の時間はあまりなくなってしまいました。
長くなってしまいましたのでこの先は次回に回しましょう。
(2019年6月11日)
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