天狗湯を探せ!(その五)
<清水町>
前回の和田山不動堂近くにあった「下谷食堂」にいたお客さんより得た天狗湯の情報は、その前に数人に聞いていた情報とは違う場所の方向でした。
でも半信半疑で言われた方向を探してみることにしました。
食堂前の道を港とは逆方向に上るとすぐに少し広い道と交差します。
そこを右に行った右側だといわれましたので早速行ってみましょう。
すぐに「清水坂上」という信号になり、その少し先に「清水坂下」という信号のある比較的交通量のある道です。
この道は銚子駅の南を走る香取(佐原)方面から利根川沿いを通っている国道をそのまま東に進んだ道です。
国道は飯沼観音を過ぎて「御飯町」信号で2つに分かれます。
右に行くと銚子電鉄の線路を越えて、犬吠埼方面に行きます。
ここを曲がらずに真っ直ぐ進むと,道幅が少し狭くなって坂を登るような感じでこの道に出ます。
そして黒生(くろはえ)海岸へと続く道なのです。
この御飯町から少し上りとなり崖の中腹に添うように走る道です。
昔からある道のような気がしません。
また、天狗湯のあったらしき場所とみられる清水坂上から清水坂下信号間の海寄りは崖のようになっていてあまり家はありません。
でも、教えていただいたので半信半疑でそれらしき建物や空き地を探してみました。

通り沿いにある古びた建物を探していると見つけたのはこんな廃墟。
車を近くに停めて中を覗き込むとここにはカラオケスナックのような施設があったことがわかりました。
この飯沼観音(坂東33観音霊場、飯沼は銚子にあった陣屋の名前)は江戸時代から非常に参拝客が多く、一つ手前の霊場札所が、土浦の清滝観音ですからかなり離れており、宿泊客も多かったようです。
そのため、昔から呑み屋さんの数は多かったようです。

高台のため、このあたりからは湊の街並みが良く見渡せます。
天狗湯の場所も「利根川の向こう岸も良く見渡せる風光明媚なところ」とありましたからイメージにはよく合います。
さて、この日はもう時間がないので探すのは次回以降にすることにしました。
通りの右側にそれらしき建物や銭湯をやっていたらしき面影の場所があまりないのです。
何しろすぐ崖が迫っていて、下へ降りる舗装階段もいくつかりますので、この階段を下りるのかもしれません。
また、何せ、もう60年も前に廃業したらしい銭湯がまだ建物が残っているというのもあまり信用できそうにないんです。
もう少し周りを固める必要がありそうです。
また、この先御飯町から犬吠埼に向かう街道沿いの右側にも銭湯があり、こちらは一昨年の年末まで営業していたので、それと勘違いしているということも考えられそうに思えたのです。
少し自信がなくなりましたので、ある程度地形を頭に入れて後日また訪れました。
もう一度庚申様1のある港近くにやって来ました。
すると一軒の食堂が目に入りました。
地図を見て来ていたのですが、地図にも載っていない食堂です。
看板もなく、入口の暖簾が風にはためいて店の名前もわかりません。
入口の戸を開けると年配のご夫婦が迎えてくれました。
「やっていますか?」
「はいよ!」というわけで土間のテーブル席の椅子に腰かけました。
座敷にはテレビが点いており、マンガ本が無造作に積んであります。
いかにも港町の漁船に乗り込んで作業をしているあんちゃんたちが使っていそうなお店です。

ちょっと通っただけではわからなかった食堂です。
すぐこの先が銚子の第二漁港(川口漁港)です。
源長食堂と言います。 上の写真の手前右側です。
の線だけがわずかに食堂で営業中ということがわかります。

一般的な中華屋さんといったメニューです。

肉ソバ(600円)を注文しました。
「ここ昔からやっているのですか?」
「はいもうだいぶなりますね」
「大昔に近くでやっていたという”天狗湯”というのを探しているのですがご存じありませんか?」
「ああ、知ってるよ。たしかにあったね。」
「え! どのあたりですか?」
「この先駅の方に向かって行って、最初の信号を左に曲がる。すると正面突き当りに信号があり、そこを左に行って100m位のところだ」
「まだ建物はあるんですか?」
「いや、もうだいぶ昔だから残っていないんじゃないかな」
またまた貴重な情報をゲット。やはりご年配のご主人と奥さまに感謝!
この言われたところはまさに前の時に聞いた場所と同じです。
突き当りの信号というのが「清水坂下」信号です。この左側だそうです。
じゃあヤッパリあの崖っぷちにあったのだろうか。
そこでまたその場所へ行ってみました。

清水坂下と清水坂上の中間あたりのようです。
ここには割烹いとうという料理屋さんがあります。このあたりなのでしょうか。
割烹と聞くと昼時に一人で入るのは少し気が引けます。
(後で調べるとそうでもなさそうだし、評判も良いようですが入りませんでした)

(割烹いとう:魚料理がおいしいらしい)

割烹料理屋さんの駐車場からの眺め 天気が良ければ波崎の方までよく見渡せそうだ。

少し先に行くと道が二股の分かれており分かれ道の角にお宮があった。

お宮の中には邪気を踏みつけた金剛像のような石像が2体。
これもやはり道祖神や庚申塔などと同じなのか。
地図にはやはり庚申様となっていました。

わかれ道ということで石の大きな追分が置かれていた。
「左 ふとう 川口明神」?? と書かれているのか?
もう一つの面には「四国同行」と彫られていた。
ということは結構昔からこの道もあったのか?

また何本かこのように坂を下りていく道もあります。
この少し下りたあたりなのかもしれません。
また、この通りから少し下がったところに数軒の木造の気になる建物がありました。



この気になる門の建物は結構古そうです。
昔の誰れかの別荘のような気もします。
今は誰もおらず、草ぼうぼうで、よく見ると昔塾をやっていたような貼り板があります。
聞くところによるとこの塾の建物は昔文化財に登録する動きもあったらしいが、そのままとなり今では結構あれてしまったとのこと。
でもほかにはそれらしき建物がない。
やはり昔この湯に通ったらしい近くの人を探すのが一番だろう。
ところで、「清水町」という名前は昔は泉がわきだしていたところだという。
海寄りに真水の泉がわきだすところはかなり貴重だったはずで、この泉があったから天狗湯もここにできたのだろうことは容易に推察できる。
もう次回は少し周りも固めておこう。
(2019年6月24日)
さて、このブログの目的は、只、昔懐かしい天狗湯の場所を足しかけて終わりなのでしょうか。
どうもこの天狗湯探しをしているうちに目的も少し変わってきたように感じます。
あまりすぐ見つかっては面白くないと思えてきたのです。
見つかってしまえばこのような場所に足を運ぶことはもうないかもしれません。
何かもったいないんですよね。
埋もれた歴史の小さな跡などを掘り起こすのが本来の私のブログテーマだったはずです。
探して行くうちにそこに眠った昔話なども見つけてみたいですよね。
ではもう少し続きます。
本日(7/25)はまた銚子に出かけます。
でも仕事だし、記事書いていると仕事の宿題(プログラミング)が終わりません。
また帰ってきたら続きを書きます。
前回の和田山不動堂近くにあった「下谷食堂」にいたお客さんより得た天狗湯の情報は、その前に数人に聞いていた情報とは違う場所の方向でした。
でも半信半疑で言われた方向を探してみることにしました。
食堂前の道を港とは逆方向に上るとすぐに少し広い道と交差します。
そこを右に行った右側だといわれましたので早速行ってみましょう。
すぐに「清水坂上」という信号になり、その少し先に「清水坂下」という信号のある比較的交通量のある道です。
この道は銚子駅の南を走る香取(佐原)方面から利根川沿いを通っている国道をそのまま東に進んだ道です。
国道は飯沼観音を過ぎて「御飯町」信号で2つに分かれます。
右に行くと銚子電鉄の線路を越えて、犬吠埼方面に行きます。
ここを曲がらずに真っ直ぐ進むと,道幅が少し狭くなって坂を登るような感じでこの道に出ます。
そして黒生(くろはえ)海岸へと続く道なのです。
この御飯町から少し上りとなり崖の中腹に添うように走る道です。
昔からある道のような気がしません。
また、天狗湯のあったらしき場所とみられる清水坂上から清水坂下信号間の海寄りは崖のようになっていてあまり家はありません。
でも、教えていただいたので半信半疑でそれらしき建物や空き地を探してみました。

通り沿いにある古びた建物を探していると見つけたのはこんな廃墟。
車を近くに停めて中を覗き込むとここにはカラオケスナックのような施設があったことがわかりました。
この飯沼観音(坂東33観音霊場、飯沼は銚子にあった陣屋の名前)は江戸時代から非常に参拝客が多く、一つ手前の霊場札所が、土浦の清滝観音ですからかなり離れており、宿泊客も多かったようです。
そのため、昔から呑み屋さんの数は多かったようです。

高台のため、このあたりからは湊の街並みが良く見渡せます。
天狗湯の場所も「利根川の向こう岸も良く見渡せる風光明媚なところ」とありましたからイメージにはよく合います。
さて、この日はもう時間がないので探すのは次回以降にすることにしました。
通りの右側にそれらしき建物や銭湯をやっていたらしき面影の場所があまりないのです。
何しろすぐ崖が迫っていて、下へ降りる舗装階段もいくつかりますので、この階段を下りるのかもしれません。
また、何せ、もう60年も前に廃業したらしい銭湯がまだ建物が残っているというのもあまり信用できそうにないんです。
もう少し周りを固める必要がありそうです。
また、この先御飯町から犬吠埼に向かう街道沿いの右側にも銭湯があり、こちらは一昨年の年末まで営業していたので、それと勘違いしているということも考えられそうに思えたのです。
少し自信がなくなりましたので、ある程度地形を頭に入れて後日また訪れました。
もう一度庚申様1のある港近くにやって来ました。
すると一軒の食堂が目に入りました。
地図を見て来ていたのですが、地図にも載っていない食堂です。
看板もなく、入口の暖簾が風にはためいて店の名前もわかりません。
入口の戸を開けると年配のご夫婦が迎えてくれました。
「やっていますか?」
「はいよ!」というわけで土間のテーブル席の椅子に腰かけました。
座敷にはテレビが点いており、マンガ本が無造作に積んであります。
いかにも港町の漁船に乗り込んで作業をしているあんちゃんたちが使っていそうなお店です。

ちょっと通っただけではわからなかった食堂です。
すぐこの先が銚子の第二漁港(川口漁港)です。
源長食堂と言います。 上の写真の手前右側です。
の線だけがわずかに食堂で営業中ということがわかります。

一般的な中華屋さんといったメニューです。

肉ソバ(600円)を注文しました。
「ここ昔からやっているのですか?」
「はいもうだいぶなりますね」
「大昔に近くでやっていたという”天狗湯”というのを探しているのですがご存じありませんか?」
「ああ、知ってるよ。たしかにあったね。」
「え! どのあたりですか?」
「この先駅の方に向かって行って、最初の信号を左に曲がる。すると正面突き当りに信号があり、そこを左に行って100m位のところだ」
「まだ建物はあるんですか?」
「いや、もうだいぶ昔だから残っていないんじゃないかな」
またまた貴重な情報をゲット。やはりご年配のご主人と奥さまに感謝!
この言われたところはまさに前の時に聞いた場所と同じです。
突き当りの信号というのが「清水坂下」信号です。この左側だそうです。
じゃあヤッパリあの崖っぷちにあったのだろうか。
そこでまたその場所へ行ってみました。

清水坂下と清水坂上の中間あたりのようです。
ここには割烹いとうという料理屋さんがあります。このあたりなのでしょうか。
割烹と聞くと昼時に一人で入るのは少し気が引けます。
(後で調べるとそうでもなさそうだし、評判も良いようですが入りませんでした)

(割烹いとう:魚料理がおいしいらしい)

割烹料理屋さんの駐車場からの眺め 天気が良ければ波崎の方までよく見渡せそうだ。

少し先に行くと道が二股の分かれており分かれ道の角にお宮があった。

お宮の中には邪気を踏みつけた金剛像のような石像が2体。
これもやはり道祖神や庚申塔などと同じなのか。
地図にはやはり庚申様となっていました。

わかれ道ということで石の大きな追分が置かれていた。
「左 ふとう 川口明神」?? と書かれているのか?
もう一つの面には「四国同行」と彫られていた。
ということは結構昔からこの道もあったのか?

また何本かこのように坂を下りていく道もあります。
この少し下りたあたりなのかもしれません。
また、この通りから少し下がったところに数軒の木造の気になる建物がありました。



この気になる門の建物は結構古そうです。
昔の誰れかの別荘のような気もします。
今は誰もおらず、草ぼうぼうで、よく見ると昔塾をやっていたような貼り板があります。
聞くところによるとこの塾の建物は昔文化財に登録する動きもあったらしいが、そのままとなり今では結構あれてしまったとのこと。
でもほかにはそれらしき建物がない。
やはり昔この湯に通ったらしい近くの人を探すのが一番だろう。
ところで、「清水町」という名前は昔は泉がわきだしていたところだという。
海寄りに真水の泉がわきだすところはかなり貴重だったはずで、この泉があったから天狗湯もここにできたのだろうことは容易に推察できる。
もう次回は少し周りも固めておこう。
(2019年6月24日)
さて、このブログの目的は、只、昔懐かしい天狗湯の場所を足しかけて終わりなのでしょうか。
どうもこの天狗湯探しをしているうちに目的も少し変わってきたように感じます。
あまりすぐ見つかっては面白くないと思えてきたのです。
見つかってしまえばこのような場所に足を運ぶことはもうないかもしれません。
何かもったいないんですよね。
埋もれた歴史の小さな跡などを掘り起こすのが本来の私のブログテーマだったはずです。
探して行くうちにそこに眠った昔話なども見つけてみたいですよね。
ではもう少し続きます。
本日(7/25)はまた銚子に出かけます。
でも仕事だし、記事書いていると仕事の宿題(プログラミング)が終わりません。
また帰ってきたら続きを書きます。
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