天狗湯を探せ!(その七)
<いよいよ天狗湯の場所判明>
前回からまた1週間以上たちました。
天狗湯の大まかな場所はわかったので、そろそろ具体的な場所の特定をしたいと思います。
その前にすぐ近くの銚子電鉄の「本銚子(もとちょうし)駅」に行ってみることにしました。
ここは一昨年(2017年)夏の24時間テレビで地元の小学生からの希望で、ヒロミが駅舎をリニューアルしていた場所ですので覚えている方も多いのではないかと思います。
銚子電鉄はぬれせんべいでも有名になりましたが、銚子から外川までの短い区間を運航している路線で、ほとんどの駅が無人駅です。

ここ本銚子駅も無人駅で駅前広場なるものはありません。
山の上を切り開いた切通しの中に、1923年(大正12年)に線路が敷かれ駅舎もその時に建てられたという。

これが24時間テレビで新しくリニューアルされた駅舎。
何ともかわいらしい。
地元ではきれいになってよかったという声が多いようだが、大正末期の駅舎の雰囲気が損なわれたと嘆く鉄道ファンもいるという。

駅内部の待合室。

タイルと子供たちが製作したステンドグラスが飾られていた。

外壁は赤レンガで、結構大正ロマン風に工夫されていた。
これはこれでいいんじゃないかな。

跨線歩道橋「清愛橋」上からは眺めた駅舎と線路
もちろん単線です。

銚子電鉄の駅は赤字解消のため、駅名をネーミングライツで募集し、いろいろ変わった名前がついている。
ここも時々変わりますが、現在は「上り調子 本調子 京葉東亜薬品」となっていました。
ちなみに隣の「笠上黒生(かさがみくろはえ)駅」は「髪毛黒生」となっています。
ちょこっと笑ってしまいますね。

ここから次の笠上黒生駅までは切通しで紫陽花が目を楽しませてくれるという。

直ぐ駅の横にある市立清水小学校です。
駅前で少し広々しているかとも思いましたが、広場もなく狭い道でした。
さて、本題に戻って、やはり年配の近くに住む人を見つけて訪ねてみようと思い、清水坂下信号から一方通行を下りたあたりで聞いてみることにしました。
それにしてもあまり聞けそうなお店もなく、歩いている方もほとんどいません。
たまに軽トラに乗ったおじさんが通るくらいです。
そんな中ふと見ると魚の卸か何かをやっている店の中で年配のお年寄り(女性)が一人で作業しているのが目にとまりました。
なかなか声をかけづらいのですが、思い切って声をかけてみました。
「すみません。 昔このあたりにあったといわれている天狗湯という銭湯を探しているのですがご存じありませんか?」
「はいはい よく知っていますよ! 車ですか?」
「車は少し離れたこの先の空き地に停めて、歩いてきています。」
「じゃあ 案内しますよ。」
「え! 本当ですか?ありがとうございます。」
そのおばあさん腰もしゃんとして、家から出てきてすたすたと歩いて道案内してくれました。
結構お歳も召されていると思うのですが、軽い足取りで前を歩いていきます。
店から出てすぐに細い道を曲がって、この先きだというのです。
そして上の通りに出る上り階段をそのまま登っていくではありませんか。
そう、ここは前に上から見ていたお屋敷のところです。
そして、上の通りまで上がる前に、「ここから入ったんですよ」と門を指さしてくれました。

竹で組んだ塀に門も趣があります。
そして中はシダのような草が生い茂っています。
門の扉につけられたマークもとても印象的です。
このあたりの家やお店などでも同じような家紋?をよく見かけます。
丸に木瓜紋(もっこうもん)?ではないかと思います。
またもしかしたら天狗小僧寅吉が異界において見聞した七生舞(御柱舞)の図を表現したものかも・・・・
「あっ! ここは塾の貼り紙がしてある家ですね。」
「そう、前に若いお兄ちゃんが塾をやっていたの。 もうやめちゃったのかしら・・・」
それからこの手前の家も確か後から別な方が建てて、今は住んでいないのだけれど、近くにいますよ。
しかしこちらの天狗湯の方は今はどこに関係した方がおられるかは知らないようでした。
おばあさんにここまで上がってきてもらい大変感謝してお礼を言い、分かれた後写真撮ってきました。

屋敷内には古木や竹林があり、かなり昔裕福な方がいた別荘と言った雰囲気です。

屋敷のまわりは竹の垣根で仕切られており、いい雰囲気です。通りからは見下ろすような感じです。

上の街道からは別に門があり、屋敷にはこのように下へ降りるようになっています。
通りからは見下ろすような感じです。

この感じだとつい数年前まではここで塾を開いていたのではないかとさえ思えます。
でもこの塾は2000年の電話帳には載っていましたが、2007年の電話帳には記載されていませんでした。
ということは辞めてから10年以上経つのかな・・・・

門扉は簡単に開け閉めできそうなので、せっかく来たのだから少し下に降りてみましょう。

郵便ポストも残されていました。最近まで使っていたかのようです。


屋敷にはクーラー(屋外機)が設置され、「伸学セミナー教室」という貼り紙がまだ残っています。

裏には竹林がありちょっとした趣のある家です。

しかし、建物の裏側に廻ってみると、残念ながらかなり破損していました。
もったいないですね。
銚子市でも残してほしい建物だと思います。
また、銭湯をしていた建物はこの建物の横にあったのかもしれません。
少し草に埋もれた建物の跡もあるように見えました。

この上の通りから下の街を眺めたところです。
天気があまりよくなかったので常陸の方は良く見えませんでした。
きっと昔は風光明美な場所だったのでしょう。

(住所は銚子市清水町2726です)

それにしても元気なおばあちゃん(丸亀鮮魚店さん)ありがとうございました。

(2019年7月16日)
<エピローグ>
7回にも分けてこの天狗湯探しのお話を書いてきましたが、このあたりで終わりにしましょう。
最初は常陸国の岩間山に伝わる13天狗の話からこの天狗小僧の子孫が銚子で銭湯をやっていたという情報を頼りに、ちょこちょことゆる~く探す紀行文を書いてきたのですが、途中からゆる~くしすぎて締まりのない文章になってしまいました。
でも私のブログの多くがこんな調子で、行く先々で気になったところを掘り返し(調べ)、そこで過ごしてきた昔の人たちの気持ちや生活を想像することによって「本当の姿や小さな歴史を見る」ということにあります。
現代社会は一見便利にはなりましたが、機械的に作られたような世界で、あまり面白みがないんです。
そして歴史的には嘘も多く、それがまた本当のことのように語られていたりします。
明治維新以降はこの国の歴史が大きく変えられてしまいました。廃仏稀釈がそのよい例です。
でもやはり昔の姿を見ることができないのですから、このように歩き回ることで何かの真実らしきものに行き当たります。
今回の真実は何か?
それは人それぞれで、この先を知りたければ自分の足で調べるのがいいでしょう。
図書館でも、住所登録の台帳でも、知っている人を探すでもいろいろな方法はあります。
これはほんの入り口を示しただけです。
各地域に埋もれた歴史が隠されています。そんなものをこれからも探して行きたいと思います。
最後に近くにあった「割烹いとう」さんにランチでお邪魔しましたので紹介しておきましょう。

この割烹とある料理屋さんは地元の漁師との間で魚を仕入れているようですので魚が新鮮なのが売りです。
場所は天狗湯の直ぐよこなのです。
店ののれんにつけられた紋も天狗湯跡の扉の紋と同じようです。
これは丸に木瓜紋(もっこうもん)でしょう。
気になってからはこのあたりの家などにも同じ家紋がつけられた家が多数ありました。

比較的昼には早い時間でしたが、女性のおばさんたちの4人組がにぎやかにおしゃべりしていました。
正面のテーブル席に案内されましたが、そこから港や波崎の方が良く見渡せます。

窓側におすすめメニューが書かれていました。
やはり割烹料理屋さんですからランチメニューはありません。

すぐにお茶とおしぼりに一般のメニュー表を持ってきてくれました。
まあそれほど高くはないですね。
比較的リーズナブルでしょう。

刺身定食(1200円)をいただきました。
やはり魚は美味しいですね。
地元で40年以上魚料理の店を続けているそうです。

となりのご婦人たちが出された料理に感嘆の声を上げていました。
でもどんな料理が出されたのかは知りません。

この店からの眺めはいいです。
天狗湯も昔はこのような眺めが見られたのかもしれません。
この日は天気も良くなり、利根川の向こう岸の常陸国(波崎)の風車もよく見えました。
隣りにあった天狗湯さんのことも訪ねてみましたが、名前は聞いて知っているそうですが、あまり詳しいことはご存じないとのことでした。このお店も40年ほど前からやっているそうです。
天狗湯の深探記はひとまずこれで終わりです。
前回からまた1週間以上たちました。
天狗湯の大まかな場所はわかったので、そろそろ具体的な場所の特定をしたいと思います。
その前にすぐ近くの銚子電鉄の「本銚子(もとちょうし)駅」に行ってみることにしました。
ここは一昨年(2017年)夏の24時間テレビで地元の小学生からの希望で、ヒロミが駅舎をリニューアルしていた場所ですので覚えている方も多いのではないかと思います。
銚子電鉄はぬれせんべいでも有名になりましたが、銚子から外川までの短い区間を運航している路線で、ほとんどの駅が無人駅です。

ここ本銚子駅も無人駅で駅前広場なるものはありません。
山の上を切り開いた切通しの中に、1923年(大正12年)に線路が敷かれ駅舎もその時に建てられたという。

これが24時間テレビで新しくリニューアルされた駅舎。
何ともかわいらしい。
地元ではきれいになってよかったという声が多いようだが、大正末期の駅舎の雰囲気が損なわれたと嘆く鉄道ファンもいるという。

駅内部の待合室。

タイルと子供たちが製作したステンドグラスが飾られていた。

外壁は赤レンガで、結構大正ロマン風に工夫されていた。
これはこれでいいんじゃないかな。

跨線歩道橋「清愛橋」上からは眺めた駅舎と線路
もちろん単線です。

銚子電鉄の駅は赤字解消のため、駅名をネーミングライツで募集し、いろいろ変わった名前がついている。
ここも時々変わりますが、現在は「上り調子 本調子 京葉東亜薬品」となっていました。
ちなみに隣の「笠上黒生(かさがみくろはえ)駅」は「髪毛黒生」となっています。
ちょこっと笑ってしまいますね。

ここから次の笠上黒生駅までは切通しで紫陽花が目を楽しませてくれるという。

直ぐ駅の横にある市立清水小学校です。
駅前で少し広々しているかとも思いましたが、広場もなく狭い道でした。
さて、本題に戻って、やはり年配の近くに住む人を見つけて訪ねてみようと思い、清水坂下信号から一方通行を下りたあたりで聞いてみることにしました。
それにしてもあまり聞けそうなお店もなく、歩いている方もほとんどいません。
たまに軽トラに乗ったおじさんが通るくらいです。
そんな中ふと見ると魚の卸か何かをやっている店の中で年配のお年寄り(女性)が一人で作業しているのが目にとまりました。
なかなか声をかけづらいのですが、思い切って声をかけてみました。
「すみません。 昔このあたりにあったといわれている天狗湯という銭湯を探しているのですがご存じありませんか?」
「はいはい よく知っていますよ! 車ですか?」
「車は少し離れたこの先の空き地に停めて、歩いてきています。」
「じゃあ 案内しますよ。」
「え! 本当ですか?ありがとうございます。」
そのおばあさん腰もしゃんとして、家から出てきてすたすたと歩いて道案内してくれました。
結構お歳も召されていると思うのですが、軽い足取りで前を歩いていきます。
店から出てすぐに細い道を曲がって、この先きだというのです。
そして上の通りに出る上り階段をそのまま登っていくではありませんか。
そう、ここは前に上から見ていたお屋敷のところです。
そして、上の通りまで上がる前に、「ここから入ったんですよ」と門を指さしてくれました。

竹で組んだ塀に門も趣があります。
そして中はシダのような草が生い茂っています。
門の扉につけられたマークもとても印象的です。
このあたりの家やお店などでも同じような家紋?をよく見かけます。
丸に木瓜紋(もっこうもん)?ではないかと思います。
またもしかしたら天狗小僧寅吉が異界において見聞した七生舞(御柱舞)の図を表現したものかも・・・・
「あっ! ここは塾の貼り紙がしてある家ですね。」
「そう、前に若いお兄ちゃんが塾をやっていたの。 もうやめちゃったのかしら・・・」
それからこの手前の家も確か後から別な方が建てて、今は住んでいないのだけれど、近くにいますよ。
しかしこちらの天狗湯の方は今はどこに関係した方がおられるかは知らないようでした。
おばあさんにここまで上がってきてもらい大変感謝してお礼を言い、分かれた後写真撮ってきました。

屋敷内には古木や竹林があり、かなり昔裕福な方がいた別荘と言った雰囲気です。

屋敷のまわりは竹の垣根で仕切られており、いい雰囲気です。通りからは見下ろすような感じです。

上の街道からは別に門があり、屋敷にはこのように下へ降りるようになっています。
通りからは見下ろすような感じです。

この感じだとつい数年前まではここで塾を開いていたのではないかとさえ思えます。
でもこの塾は2000年の電話帳には載っていましたが、2007年の電話帳には記載されていませんでした。
ということは辞めてから10年以上経つのかな・・・・

門扉は簡単に開け閉めできそうなので、せっかく来たのだから少し下に降りてみましょう。

郵便ポストも残されていました。最近まで使っていたかのようです。


屋敷にはクーラー(屋外機)が設置され、「伸学セミナー教室」という貼り紙がまだ残っています。

裏には竹林がありちょっとした趣のある家です。

しかし、建物の裏側に廻ってみると、残念ながらかなり破損していました。
もったいないですね。
銚子市でも残してほしい建物だと思います。
また、銭湯をしていた建物はこの建物の横にあったのかもしれません。
少し草に埋もれた建物の跡もあるように見えました。

この上の通りから下の街を眺めたところです。
天気があまりよくなかったので常陸の方は良く見えませんでした。
きっと昔は風光明美な場所だったのでしょう。

(住所は銚子市清水町2726です)

それにしても元気なおばあちゃん(丸亀鮮魚店さん)ありがとうございました。

(2019年7月16日)
<エピローグ>
7回にも分けてこの天狗湯探しのお話を書いてきましたが、このあたりで終わりにしましょう。
最初は常陸国の岩間山に伝わる13天狗の話からこの天狗小僧の子孫が銚子で銭湯をやっていたという情報を頼りに、ちょこちょことゆる~く探す紀行文を書いてきたのですが、途中からゆる~くしすぎて締まりのない文章になってしまいました。
でも私のブログの多くがこんな調子で、行く先々で気になったところを掘り返し(調べ)、そこで過ごしてきた昔の人たちの気持ちや生活を想像することによって「本当の姿や小さな歴史を見る」ということにあります。
現代社会は一見便利にはなりましたが、機械的に作られたような世界で、あまり面白みがないんです。
そして歴史的には嘘も多く、それがまた本当のことのように語られていたりします。
明治維新以降はこの国の歴史が大きく変えられてしまいました。廃仏稀釈がそのよい例です。
でもやはり昔の姿を見ることができないのですから、このように歩き回ることで何かの真実らしきものに行き当たります。
今回の真実は何か?
それは人それぞれで、この先を知りたければ自分の足で調べるのがいいでしょう。
図書館でも、住所登録の台帳でも、知っている人を探すでもいろいろな方法はあります。
これはほんの入り口を示しただけです。
各地域に埋もれた歴史が隠されています。そんなものをこれからも探して行きたいと思います。
最後に近くにあった「割烹いとう」さんにランチでお邪魔しましたので紹介しておきましょう。

この割烹とある料理屋さんは地元の漁師との間で魚を仕入れているようですので魚が新鮮なのが売りです。
場所は天狗湯の直ぐよこなのです。
店ののれんにつけられた紋も天狗湯跡の扉の紋と同じようです。
これは丸に木瓜紋(もっこうもん)でしょう。
気になってからはこのあたりの家などにも同じ家紋がつけられた家が多数ありました。

比較的昼には早い時間でしたが、女性のおばさんたちの4人組がにぎやかにおしゃべりしていました。
正面のテーブル席に案内されましたが、そこから港や波崎の方が良く見渡せます。

窓側におすすめメニューが書かれていました。
やはり割烹料理屋さんですからランチメニューはありません。

すぐにお茶とおしぼりに一般のメニュー表を持ってきてくれました。
まあそれほど高くはないですね。
比較的リーズナブルでしょう。

刺身定食(1200円)をいただきました。
やはり魚は美味しいですね。
地元で40年以上魚料理の店を続けているそうです。

となりのご婦人たちが出された料理に感嘆の声を上げていました。
でもどんな料理が出されたのかは知りません。

この店からの眺めはいいです。
天狗湯も昔はこのような眺めが見られたのかもしれません。
この日は天気も良くなり、利根川の向こう岸の常陸国(波崎)の風車もよく見えました。
隣りにあった天狗湯さんのことも訪ねてみましたが、名前は聞いて知っているそうですが、あまり詳しいことはご存じないとのことでした。このお店も40年ほど前からやっているそうです。
天狗湯の深探記はひとまずこれで終わりです。
天狗湯を探せの巻、家内の実家のそばの話なので、いろいろと風景を思い浮かべながら楽しく読ませていただきました。
階段を上って銭湯に行った話を亡くなった義母から聞いたような気がします。もしかしたら天狗湯だったのかな?なんて事も思いました。
厚さ真っ盛りの折、熱中症などに気を付けてお過ごしください。
このお近くが奥さまのご実家でしたか。
階段を上った銭湯と言えばやはりこの銭湯しかないでしょうね。
今回は少し趣向を変えての記事としrてみたのですがたまにはこんな風な記事もおもしろいかも・・・
異常気象で暑さも急激に来ましたね。
でも来週になれば立夏ですので、なんとか夜だけでも涼しくなってほしいなどと願っています。
また時々ご連絡ください。