笹川の諏訪大神
銚子での天狗湯を探せの関連で少し記事を追加しています。
昨日銚子に出かける途中で、東庄町(とうのしょうまち)にある「諏訪大神」に立ち寄ることにしました。
天狗小僧寅吉が後にここで神社の神職をしながら妙薬による治療などもしていたと書かれていたので、数年前に何度か訪れたことがあるのですが、改めて立ち寄ることにしたのです。
「大神」とありますが、この地方は大きな神社は皆「大神」と表記されています。
銚子に行くときに最近は神栖の先端 波崎から銚子大橋を渡ることが多いのですが、今回は潮来の手前から国道51号線で利根川を渡り、佐原(香取)から利根川沿いに千葉県側を走りました。
佐原、小見川(共に現在は香取市)を過ぎ、東庄町(とうのしょうまち)に入り、成田線を横切る手前に「わが町に 相撲がある」という看板が目にとまります。
東庄町は平成の大合併では合併せず、香取市と銚子市に挟まれた場所に位置しています。
もともと中世に東の荘園があったようですが、千葉氏の一族「東氏(とうし)」がこの地を治めていました。
そしてここの少し内陸にある「東大神・東大社(とうだいしゃ)」がこの町の中心の神社です。
この東大社と銚子の雷神社、 香取市(旧小見川町)の豊玉姫神社の三社の間で20年に1度の式年三社神輿渡御が行われています。

東庄町の諏訪大神は国道356線(利根水郷ライン)沿いの笹川の中心地にあります。
かなり大きな神社です。
前に訪れた時に比べ駐車場も最近きれいに整備されています。

広い境内の奥に拝殿が見えます。
辺りは静かで近くの木々から盛んにミンミンゼミの鳴声が聞こえてきました。

拝殿の裏手が本殿ですが、かなり大きな本殿です。

やはり諏訪大神の名前の通り、長野県の諏訪大社の系列でしょうから出雲系なのでしょう。
香取神宮にも近い場所ですが、結構、ここのほかにも近くに諏訪神社があります。

拝殿の入り口横には「澪つくし(みおつくし)」の醤油が奉納として置かれていました。
普通はお酒が多いですが、これはNHKの朝ドラ「澪つくし」の撮影場所となった醤油場(江戸時代から続く)が近くにあるのです。

そして左手には「神楽殿」があり、その奥に立派な土俵が見えます。
これが「わが町の相撲場」です。
出羽海部屋の夏合宿がここで行われます。

夏合宿(稽古)の予定は8月10日~22日の朝です。御嶽海が最後の2日間参加するようです。
チラシは下記をご覧ください。
土俵のまわりにはテントなどが張られていました。

神社では昔は相撲が奉納されていた歴史がありますが、ここの相撲も歴史が長いようです。
テントに隠れるようになっていましたが、相撲の始祖といわれる野見宿禰の石碑が置かれています。
この碑を設置したのがここ笹川の親分「笹川繁蔵」のようです。
大利根河原で銚子の隣りの飯岡の助五郎との決闘は浪曲や三波春夫の詩でも大昔に流行ったので年配の方はご存じでしょう。
三波春夫など前回の東京オリンピックのテーマ曲が有名なくらいですからもうだいぶ昔ですね。
ここでは「天保水滸伝」として語り継がれています。

神社境内には「天保水滸伝伝承館」が置かれています。

天保水滸伝については ⇒ こちら を参照してください。
昔歩き回って調べたことがあります。

笹川繁蔵がこの神社の境内で日本の大親分(清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎など)たちを集めて大花会を開いたという。
これも、天保の大飢饉で財政的にも困っていた人たちを救うための資金集めだったようです。
天狗小僧寅吉がここにいたかどうかはよくわかりませんが、平田篤胤は東国三社(香取・鹿嶋・息栖)めぐりの時にここにも来ているようです。
地元の有力者などを集めて学問を教えているようです。
1816年:平田篤胤、東総をめぐる
1818年:江戸に天狗小僧が現る
1838年:大原幽学(おおはらゆうがく)が農協を世界で初めて創設(平田篤胤の教えた人もこれに参加していたという)
1844年:大利根河原の決闘(飯岡助五郎勢を打ち破るが、助五郎は十手を預かる身で、繁蔵は笹川を離れる)
1847年:笹川に戻った笹川繁蔵が助五郎一味に暗殺される
この諏訪大神のすぐ横に「延命寺」というお寺があり、ここに笹川繁蔵の供養塔があり、両脇に子分・勢力富五郎の供養碑と大利根河原の決闘で死去した平手造酒の墓があります。
繁蔵も暗殺されたときに死体はなく持ちされれていました。当時は仕方なく土を持ち帰り供養塔を建てたのですが、最近になり銚子や飯岡で首や胴が埋葬されていたことが判明し、こちらに遺骨を返却したようです。

延命寺にある笹岡繁蔵の碑

延命寺は諏訪大神のすぐ隣ですが、あまり目印もなく小さなお寺です。
寺の裏手は神社と繋がっています。
昨日銚子に出かける途中で、東庄町(とうのしょうまち)にある「諏訪大神」に立ち寄ることにしました。
天狗小僧寅吉が後にここで神社の神職をしながら妙薬による治療などもしていたと書かれていたので、数年前に何度か訪れたことがあるのですが、改めて立ち寄ることにしたのです。
「大神」とありますが、この地方は大きな神社は皆「大神」と表記されています。
銚子に行くときに最近は神栖の先端 波崎から銚子大橋を渡ることが多いのですが、今回は潮来の手前から国道51号線で利根川を渡り、佐原(香取)から利根川沿いに千葉県側を走りました。
佐原、小見川(共に現在は香取市)を過ぎ、東庄町(とうのしょうまち)に入り、成田線を横切る手前に「わが町に 相撲がある」という看板が目にとまります。
東庄町は平成の大合併では合併せず、香取市と銚子市に挟まれた場所に位置しています。
もともと中世に東の荘園があったようですが、千葉氏の一族「東氏(とうし)」がこの地を治めていました。
そしてここの少し内陸にある「東大神・東大社(とうだいしゃ)」がこの町の中心の神社です。
この東大社と銚子の雷神社、 香取市(旧小見川町)の豊玉姫神社の三社の間で20年に1度の式年三社神輿渡御が行われています。

東庄町の諏訪大神は国道356線(利根水郷ライン)沿いの笹川の中心地にあります。
かなり大きな神社です。
前に訪れた時に比べ駐車場も最近きれいに整備されています。

広い境内の奥に拝殿が見えます。
辺りは静かで近くの木々から盛んにミンミンゼミの鳴声が聞こえてきました。

拝殿の裏手が本殿ですが、かなり大きな本殿です。

やはり諏訪大神の名前の通り、長野県の諏訪大社の系列でしょうから出雲系なのでしょう。
香取神宮にも近い場所ですが、結構、ここのほかにも近くに諏訪神社があります。

拝殿の入り口横には「澪つくし(みおつくし)」の醤油が奉納として置かれていました。
普通はお酒が多いですが、これはNHKの朝ドラ「澪つくし」の撮影場所となった醤油場(江戸時代から続く)が近くにあるのです。

そして左手には「神楽殿」があり、その奥に立派な土俵が見えます。
これが「わが町の相撲場」です。
出羽海部屋の夏合宿がここで行われます。

夏合宿(稽古)の予定は8月10日~22日の朝です。御嶽海が最後の2日間参加するようです。
チラシは下記をご覧ください。
土俵のまわりにはテントなどが張られていました。

神社では昔は相撲が奉納されていた歴史がありますが、ここの相撲も歴史が長いようです。
テントに隠れるようになっていましたが、相撲の始祖といわれる野見宿禰の石碑が置かれています。
この碑を設置したのがここ笹川の親分「笹川繁蔵」のようです。
大利根河原で銚子の隣りの飯岡の助五郎との決闘は浪曲や三波春夫の詩でも大昔に流行ったので年配の方はご存じでしょう。
三波春夫など前回の東京オリンピックのテーマ曲が有名なくらいですからもうだいぶ昔ですね。
ここでは「天保水滸伝」として語り継がれています。

神社境内には「天保水滸伝伝承館」が置かれています。

天保水滸伝については ⇒ こちら を参照してください。
昔歩き回って調べたことがあります。

笹川繁蔵がこの神社の境内で日本の大親分(清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎など)たちを集めて大花会を開いたという。
これも、天保の大飢饉で財政的にも困っていた人たちを救うための資金集めだったようです。
天狗小僧寅吉がここにいたかどうかはよくわかりませんが、平田篤胤は東国三社(香取・鹿嶋・息栖)めぐりの時にここにも来ているようです。
地元の有力者などを集めて学問を教えているようです。
1816年:平田篤胤、東総をめぐる
1818年:江戸に天狗小僧が現る
1838年:大原幽学(おおはらゆうがく)が農協を世界で初めて創設(平田篤胤の教えた人もこれに参加していたという)
1844年:大利根河原の決闘(飯岡助五郎勢を打ち破るが、助五郎は十手を預かる身で、繁蔵は笹川を離れる)
1847年:笹川に戻った笹川繁蔵が助五郎一味に暗殺される
この諏訪大神のすぐ横に「延命寺」というお寺があり、ここに笹川繁蔵の供養塔があり、両脇に子分・勢力富五郎の供養碑と大利根河原の決闘で死去した平手造酒の墓があります。
繁蔵も暗殺されたときに死体はなく持ちされれていました。当時は仕方なく土を持ち帰り供養塔を建てたのですが、最近になり銚子や飯岡で首や胴が埋葬されていたことが判明し、こちらに遺骨を返却したようです。

延命寺にある笹岡繁蔵の碑

延命寺は諏訪大神のすぐ隣ですが、あまり目印もなく小さなお寺です。
寺の裏手は神社と繋がっています。
今度いなよし?寄ってみます。
前から噂には聞いていたのですが、笹川からだと12時10分頃までに食べ終わるくらいでないと次が間に合いません。
11時半に滑り込んで何とかなるでしょうから一度トライしますね。
トンカツは大昔、親父から新宿勤めていた頃に、美味いトンカツ屋があると連れて行ってもらったことがあります。
ヒレカツを始めて食べてそのうまさに驚きました。
もう50~50年くらい前の話です。