歌人としての笠間時朝(息栖神社にて)
東国三社参りとして鹿島神宮・香取神宮・息栖神社を巡る参拝が、江戸時代には伊勢参りに呼応してかなり流行ったらしい。
今でも時々ツアーなどが旅行会社などで組まれて訪れる方もまだ多いという。
いつも銚子に行く時に何回も近くを通っているが、まああまり立ち寄ることも少ない。
先日久しぶりに立ち寄ってみた。
以前に比べて、大分境内が綺麗になってきたように感じた。
今回はこの神社に置かれている歌碑に「笠間時朝」に関係する歌が4点ある。
茨城県の笠間市では笠間時朝は笠間を治め、笠間城建設した初代笠間氏として知られている。
藤原氏系列の宇都宮氏からこの笠間に入り、笠間氏18代の基礎を築いたとして知られるが、鎌倉幕府ではかなり力を持ち、こんな地方に数々の文化人としての足跡を遺しているあまり知られていない。
京都の三十三間堂に運慶など慶派やその他の仏師が協力して1001体の千手観音像が祀られているが、この像を寄進したとしてこの笠間時朝の名前が明らかになっているし、鎌倉時代には時朝の名前以外はわかっていない。
この息栖神社の歌碑を見るとその当時の笠間氏の力を感じることができる。

鹿島潟 沖洲の森の ほととぎす 船をとめてぞ 初音ききつる (藤原時朝)
これは鎌倉時代の新和歌集に納められた 藤原時朝こと笠間時朝の和歌である。
当時鹿島神宮詣にこの息栖神社(神宮)の沖合いで詠んだものだと言う。
当時は恐らく神仏習合でこの息栖神社も寺と同じように僧侶がいたのだろうと思う。
当時の息栖神宮寺僧であったされる理然法師の歌も載せられている。
海原や 沖つ潮合に 立浪の 鎮めがたきは 心なりけり (理然法師)

また一緒に鹿島詣に帯同した?僧侶の歌もある。
われのみと 待ちつる暮を 郭公(ほととぎす) またたか為に 鳴てすくらん (諦如法師)
里とをき 山のすそのの ほとときす たか為になく 初音成らむ (稱佛法師)
この2人の僧侶がどのような人物であったのかはチョッと調べただけではわからなかったがかなり興味深い。
笠間周辺にはこの時朝が残した幻の六体仏があり、これは時朝をモデルにして仏像を製作して寺に遺したとも言われている。
現在は六体のうち三体のみが保存されているが、2年に1回と、毎年お釈迦様の誕生日(4/8)に一般公開されている。
今年はこの公開年にあたり、10月下旬の土日に行われそうだ。
今年4月に拝顔した時の記事は下記にあります。
関連記事 その一 : 笠間六体仏を求めて
関連記事 その二 : 弥陀教会
関連記事 その三 : 楞厳寺
関連記事 その四 : 岩谷寺
このような文化的な遺産を遺した人物はこのような地方にはあまり存在しないと思う。
今でも時々ツアーなどが旅行会社などで組まれて訪れる方もまだ多いという。
いつも銚子に行く時に何回も近くを通っているが、まああまり立ち寄ることも少ない。
先日久しぶりに立ち寄ってみた。
以前に比べて、大分境内が綺麗になってきたように感じた。
今回はこの神社に置かれている歌碑に「笠間時朝」に関係する歌が4点ある。
茨城県の笠間市では笠間時朝は笠間を治め、笠間城建設した初代笠間氏として知られている。
藤原氏系列の宇都宮氏からこの笠間に入り、笠間氏18代の基礎を築いたとして知られるが、鎌倉幕府ではかなり力を持ち、こんな地方に数々の文化人としての足跡を遺しているあまり知られていない。
京都の三十三間堂に運慶など慶派やその他の仏師が協力して1001体の千手観音像が祀られているが、この像を寄進したとしてこの笠間時朝の名前が明らかになっているし、鎌倉時代には時朝の名前以外はわかっていない。
この息栖神社の歌碑を見るとその当時の笠間氏の力を感じることができる。

鹿島潟 沖洲の森の ほととぎす 船をとめてぞ 初音ききつる (藤原時朝)
これは鎌倉時代の新和歌集に納められた 藤原時朝こと笠間時朝の和歌である。
当時鹿島神宮詣にこの息栖神社(神宮)の沖合いで詠んだものだと言う。
当時は恐らく神仏習合でこの息栖神社も寺と同じように僧侶がいたのだろうと思う。
当時の息栖神宮寺僧であったされる理然法師の歌も載せられている。
海原や 沖つ潮合に 立浪の 鎮めがたきは 心なりけり (理然法師)

また一緒に鹿島詣に帯同した?僧侶の歌もある。
われのみと 待ちつる暮を 郭公(ほととぎす) またたか為に 鳴てすくらん (諦如法師)
里とをき 山のすそのの ほとときす たか為になく 初音成らむ (稱佛法師)
この2人の僧侶がどのような人物であったのかはチョッと調べただけではわからなかったがかなり興味深い。
笠間周辺にはこの時朝が残した幻の六体仏があり、これは時朝をモデルにして仏像を製作して寺に遺したとも言われている。
現在は六体のうち三体のみが保存されているが、2年に1回と、毎年お釈迦様の誕生日(4/8)に一般公開されている。
今年はこの公開年にあたり、10月下旬の土日に行われそうだ。
今年4月に拝顔した時の記事は下記にあります。
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このような文化的な遺産を遺した人物はこのような地方にはあまり存在しないと思う。
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