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ウミガメと神社

 銚子の屏風岩の南側の海岸などでもウミガメの産卵する砂浜があるという。
四国の日和佐海岸のようにたくさんのウミガメが産卵するほどでは無いようだが、毎年のようにあまり人のいかない同じ浜で卵を産むようだ。

また銚子の漁師の間では昔からウミガメに遭遇すると大変縁起が良いとされ、こんな話が伝わっている。

<亀のまくら>
漁師が船を出しているとたまに沖に浮かんでいる浮き木にウミガメがつかまって休んでいることがあるとという。
これは大変縁起が良い流木とされ、船には別な木をいつも積んでいて、亀の休んでいた流木を回収し、代わりに持ってきた木と交換するという。

この流木を「亀のまくら」と呼び、亀のように長生きができ、子孫繁栄を願って神社に奉納するという。

またウミガメが死んで浜に流されてきたときには、丁寧に神社に墓を掘って埋めて供養するという。

さて、私がこの話に興味を持ったのは、銚子で天狗湯の跡地を探していたときに見つけた一つの神社を後から調べていて初めて知った。

それは川口神社と和田山不動尊のちょうど中間くらいの山の中にポツンと建てられていた「御嶽神社」という神社です。

この神社はどうやら「御嶽丸」という船の持ち主である「西広家」が建立したものらしい。
西広家は和歌山から出てきて、金貸しで土地を手に入れ、この御嶽山を信奉していたため、持ち船の名前も「御嶽丸」と名付け、「治郎吉」の屋号で船主、およびイワシの缶詰工場で戦前には大きくなっていったようだ。

この御嶽神社にもう数か月前に立ち寄っていたのだが、簡単に立ち寄った程度で調べてから先日また行きたくなり立ち寄った。

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西広家の裏山の奥、住宅街から竹藪を切り開いたように神社への参道続いている。
しばらく前まではこのような舗装はされていなかったようだが、今はきれいになっていた。

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鳥居の奥にお宮が一つポツンとある。

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お宮の手前には治郎吉漁業の西広秀行 (御嶽丸)の施工主名碑が置かれている。
ただこの石碑は比較的新しそうだ。

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神社名は「御嶽山」

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祭られているのは、国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱であるが、元々御嶽神社は山岳信仰(修験道)の神である「蔵王権現」がこれらの日本古来の神と習合したものである。

明治維新後は蔵王権現が表面から消えてしまったものと理解している。

西広家は天狗少年寅吉とのかかわりなどもあり、やはりこの修験道信仰があったように感じる。
この大きな石碑は明治三年のもので、ちょうどそんな時期とダブるようだ。

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裏には「御神歌」が彫られ、西広治郎吉の銘がある。

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さて、この神社の参道横の竹やぶの中に大きな石碑がいくつか置かれている。
これはすべてウミガメの墓である。

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「海神亀之霊 御嶽丸」  船主や、乗組員の名前も彫られている

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「神愛亀之霊 (大正三年)」

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「大海亀之霊」

やはりかなりの海亀信仰が続いているようだ。

天狗湯を探せ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/10/02 23:04
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