fc2ブログ

八郷盆地と柿岡湖

今回の台風19号は大雨による河川の氾濫で今までの日本の災害の歴史でも類を見ないほど広範囲に大きな爪あとを残した。
これは超大型台風という前触れを私を含め多くの人々が甘く見すぎていたように感じた。
被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げたいと思います。
自分として何が出来るのかはわかりませんが、心はいつも被災者側にありたいと常に思います。

わが町である石岡市はいち早く全員(約7万五千人)に避難勧告を出しました。
私のところは高台でもあり増水の危険はなく、がけ崩れの危険箇所はなくなぜこのような勧告を他市に先駆けて出すのか疑問に思っていました。
台風が迫る中、家の戸締りを今回は厳重にして、通り過ぎるのを待ちましたが、この判断で基本的には良かったのだろうと今でも思っていますが、少しいま住んでいる地形を考察し、歴史を振り返って見たくなりました。

もし以下参考になることがあればご活用ください。

下の立体図(写真?)は筑波山地域が日本ジオパークに認定され、この筑波山地域を立体的に現した「ジオアート 筑波山地域」(北海道地図株式会社製作 1100円)の一部の八郷地域を取り出したものです。

PA220019s.jpg

上の左側が筑波山、足尾山、加波山と続く山並みl、上側が真中の板敷峠から吾国山、難台山、(愛宕山)、鐘転山の山並みです。
旧石岡の市街地はこの山並みの右側の平野部から霞ヶ浦続く比較的なだらかな台地上にあります。

yasato_20120205182133635.jpg

YAHOOの地図で見ると上図のように山に囲まれた旧八郷地域と右側に広がる旧石岡地域に区分され、その境目は、南側には「龍神山」や「常陸風土記の丘公園」などがあり、北側は園部地区や献上柿栽培で知られる真家地区があります。

yasato01_20120205155650_201910220929358d7.jpg

上の写真は北側の吾国山付近の尾根から眺めて八郷盆地です。
また西側の峰寺山西光院からもこの八郷盆地が良く見下ろせます。

やさと

上の写真は石岡市街地側から県道7号線で下林地区から柿岡方面を眺めたものです。
このように朝などはよく山沿いに霞、霧が発生しており、のどかな反面、この林地区からも少し下がった盆地の地形をしているのがわかります。
また近年開通した朝日トンネルを土浦市小町地区から石岡に抜けた辺りからもこの盆地一体が広がっているのが解ります。

地図を見てまるでカルデラ地形をしているから、大昔に火山でもあったのかもしれないと感じる方もおられるようですが、火山の跡は確認されていません。

日本ジオパークでの説明では、大昔地下にあったマグマが固まって深成岩となり、それが深成岩体が地の変動によって隆起し、侵食されて今のような山の形となったとされています。そのため山頂付近の巨石・奇岩は、海底時にマグマの冷却過程で形成されたもので、それが地表に露出した後に、風化・侵食がつくり出したものとされています。
実は、筑波山以外に八郷地区も同じように隆起したように考えられていて、これが隆起した後、川による侵食により形成されたと考えられています。

ではいつ頃かというと、まず海底には2~3億年前には堆積してできた砂岩、泥岩がありましたが、そこに約6千万年前頃に大量のマグマが入り込んで固まり、深成岩が出来、この硬い部分だけが残って現在の筑波山になったといいます。

八郷盆地は大きく3段の高さに分類され、十数万年より前に八郷地区が海に面していて、海岸の砂地であったと考えられる海抜50~70m地域、また、12~13万年前に始まった海進により陸地が広がり、柿岡を中心とした湖(柿岡湖)が存在した海抜27~45mの地域、またさらに海進が進み、恋瀬川などの河口部分に砂や土砂が堆積して出来た標高12~28mの地域(恋瀬川がつくった河岸段丘)に分類されます。

ではこの中位高さの標高27~45mの地区には大昔柿岡湖といわれる湖があったといわれているのを少し検証してみたいと思います。
使うのはFlood Mapsという地図ソフトで、これはGoogleMapで海面を上昇させてシュミレーションでき、無料で利用できます。

それではまず、海面を+40m上昇させて見ます。

柿岡湖40
上の地図は海面の高さを+40m上昇させたものです(Flood Maps)

どうですが、大きな柿岡湖(柿岡の地名は何時出来たのかはわかりませんので、この柿岡の名前は後から付けられたものです)
湖は恋瀬川が五輪堂橋上流側に滝のような物が存在してこのような湖地形となっていたものと考えても良いのではないでしょうか。
八郷盆地の中にある富士山はこの湖に飛び出した島であったと思われます。

柿岡湖30
上の地図は海面の高さを+30m上昇させたものです(Flood Maps)

では海面の水位を少しさげて、+30mとしてみました。
やはり湖の大きさは小さくはなりましたが、同じような形が残りました。
この時もやはり恋瀬川は五輪堂橋と方の地区の間が狭くなっていて滝が存在したように思います。

柿岡湖20
上の地図は海面の高さを+20m上昇させたものです(Flood Maps)

では、古代よりもう少し有史に近い年代を考えるため、海面の高さを+20mまで下げてみました。
この図の柿岡湖で表示された地区が恋瀬川の氾濫時によく浸水が起こる地区です。
これはやはり恋瀬川が一部狭くなっているために大量の雨が降ると恋瀬川が流せ切れずにその部分が氾濫することを表しています。
まだこの地域(筑波山系)に降る水だけが流れ込むため、今回の台風ではこの地域には恐れていたより雨の量が少なかっただけで、もしもっと大量に降ればこの地区は水害をまぬかれなかったのかもしれません。
霞ヶ浦の水位はかなりコントロールがなされており、霞ヶ浦周辺の堤防は整備が終っています。
後は、この狭くなった部分を広げるか、または別なバイパス水流を作るかしかないようです。

少し心配なのはこの恋瀬川のこの場所は地形が複雑で、石岡市とかすみがうら市の市境であり、扱いが複雑です。
でも何とか安心して住めるように対策は早急にして欲しいと思います。

柿岡の市役所支所近くの恋瀬川に「百目鬼橋(ざわめきばし)」という橋が架かっています。
円山古墳のすぐ西側です。(+20mの地図に表記した)

百目鬼=ざわめき という名前は川の流れの音から名付けられたもので、各地に似た名前の地名が散見されます。
同じ漢字を使うとことでもその多くの読みは「どどめき」「どうめき」「どめき」などと呼ばれていますが、石岡の地名では「ざわめき」と呼ばれています。

先日の台風19号の翌日に見に行ってきました。


百目鬼橋(ざわめきばし)

PA130028s.jpg
(橋より上流側を眺める)

水量はかなり多く濁っており、少し周辺には水が溜まった痕跡はありましたが、車の通行も危険なところはありませんでした。
この橋には自動で監視できる水位計が設置されていましたので、無人で遠隔でも水位が分かるのでしょう。

PA130027s.jpg
(橋より下流側:柿岡の街方面を眺める)

記録によるとこの百目鬼(地名では高友)で川は堰き止められ、滝があったようです。この滝の音からザワメキと名付けられたようです。このため、この上流側も小さな沼となっていたそうです。
そして昭和初期まで水車がおかれ、精米、精麦、穀物製粉所があったそうです。

PA130026s.jpg

一方もっと下流の片野地区も恋瀬川が堰き止められて「大江沼」とよばれる沼が江戸時代頃迄残されていたようです。
その頃から何度か恋瀬川の工事も行われて来たようですが、今の豪雨の傾向を見ると更なる改善が必要ですね。

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/10/22 11:56
コメント

管理者のみに表示