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倭名類聚抄

 最近地名の本を書いたりしていると手元に持っていなくて気になるものが結構あります。
でも懐具合が寂しいとついネットで安いものを捜します。(日本の古本屋)

結構便利ですね。
これもどこか安いものがないかと捜したものですが、平安時代に書かれた辞書(百科事典?)である
「倭名類聚抄」
この読みは「わみょうるいじゅしょう」と少し舌を噛みそうになり発音しにくい。
一般には「わみょうしょう」と言っているようだ。

全20巻が10冊にまとめられていて発売されているが、古本でも4万円弱位する。
これでは手が出ないが、幸いなことに古いので国会図書館のデジタルアーカイブに保存され公開されている。
まあPDFにおとしてみればよいが、どうも紙と同じようにはいかない。

そこで、これを冊子に印刷して、自分用の本としてしまった。

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10冊に分かれているが、当時の国名や郡名、地名などについては、5巻~9巻までなので、これに相当する第三~第五までをとりあえず印刷してみた。

PB230002s_201911231247562da.jpg

この中で常陸国については東海道の終点国であり 東海郡第六十一に伊賀國から始まり、十五番目に書かれている。
この十五の中には最初に東山道に分類されていた武蔵國も入っている。

常陸國 國府在茨城郡 行程 上三十日 下十五日 田四萬九十二町六段百十二歩・・・・・

とあり、郡名は、眞壁(萬加倍)、筑波(豆久波)、河内(甲知)、信太(志多)、茨城(牟波良岐國府)、行方(奈女加多)、鹿島(加之末)、那珂、久慈、多珂と記載されている。

他の国を見ても、上り行程と下り行程の日数に差があり、何故このようになっているのかが良く理解できない。
下りは海流があるので船でも使うのか? 馬でも使うのか? 常陸国府の石岡までは30日と15日と倍半分である。
どなたかご存知でしたらご教授をいただけるとありがたい。

それと私が古東海道を地図で巡ってみた時には、東京湾を船で渡った後、上総国(国府:市原)から下総(国府:市川)へ出て、そこから常陸国(国府:石岡)へ行くルートを探していたが、これが見つからず謎となっていた。
しかし、この倭名抄によれば
 上総国国府、下総国府、常陸国国府の行程はいずれも 上三十日 下十五日となっているのだ。
これはいったいどういうことなのだろうか。

ちなみに 
 駿河国  上十八日 下九日
 伊豆国  上二十三日 下十一日
 甲斐国  上二十五日 下十三日
 相模国  上二十五日 下十三日
 武蔵国  上二十九日 下十五日
 安房国  上四十四日 下十七日
である。

郡名の読み方も
 「茨城」は、牟波良岐 となっており、これを「むばらき」または「うばらき」と読むとの解釈が一般的のようだ。

まあ、茨城郡の名称は常陸国が成立する前から存在し、律令制の8世紀初期には那賀郡にあり、編入替えで、現在の石岡の茨城(ばらき)地区に近い所に移したとされている。
石岡が県名発祥の地というのは少しおかしなことななる。

まあこんな手間隙のかかる冊子つくりもそろそろ手を抜きたいものなのだが、なかなかそうも行かないようだ。
どなたか手づくり冊子を欲しい方がおられれば相談にのりますよ。

PB230003s.jpg

書籍 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/11/23 13:36
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