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イノシシと神社(その二)

 最近はすっかり埋もれた歴史などの記事も書くことができなくなっています。
昨年はいろいろありました。まあいいわけでしかありませんが・・・・
でもまた少しづつ書いていきたいと思っています。

イノシシの話題でもう一つ書いておきたいことがあります。
摩利支天(まりしてん)です。

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この像はフランスにあるギメ東洋美術館所蔵の摩利支天(まりしてん)像です。

摩利支天はもともとはインドの神で太陽や月の光線(陽炎)を神格化したもので、女神としてとらえられ、日本でも山岳信仰の神として祀られてきました。
中世以降は戦においても身を守ってくれると信じられ、武士の間での信仰が広がったとみられています。

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この像は茅野市にある権現の森に置かれている摩利支天像です。
イノシシに乗って弓を射る姿がえがかれています。女神ではなくなっています。
このように摩利支天を描いた絵にも女神と男神の2種類があります。

実は私がこの摩利支天に興味を持つようになったのは私の住む石岡にも摩利支天を祀った祠があったと聞いていたからです。

昔書かれた「府中雑記」という地誌に、
「長峰寺摩利支天観音堂、東の畑中に在り、御郡奉公井上源蔵殿、京の馬場へ移す。古跡には畑中に小塚あり。故に今京の馬場を摩利支天と覚えたる人あり。後故有て又龍光院に造立し、往古より龍光院支配也」
との記述があるそうです。

長峰寺というのは現在の若松町の旧名で、江戸時代に名称が変更されました。
そしてこの長峰寺(長法寺)という寺が明治初期までありましたが、明治3年の大火で焼失してしまい、現在県指定文化財の十一面観音像が残され、その保管庫と石岡馬車組合の碑が建てられています。

昔は柿岡方面からの柿岡街道や宇都宮から瓦会を通って国分尼寺を通る宇都宮街道がこの長峰寺町の北側でで合流し、近隣などからも多くの人が集まる馬市などが境内で行われていたようです。

その寺の東側の畑の中に摩利支天観音堂という祠が残されていたようですが、これを「京の馬場」へ移したとなっています。
さて、この京の馬場とはどのあたりなのでしょうか。
昔の長峰寺町は現在の若松町のような広範囲ではなく、この長峰寺や東耀寺、若宮八幡宮あたり一帯を指していたようで、それより北は「京の馬場」と呼ばれていたようです。

特に府中松平藩の武家屋敷が広がっていたあたり(鹿の子の北側)あたりまでを呼んでいたようです。
しかし、文献では、この摩利支天があったのはもう少し高速道路わきだとか、若松にあるスーパーの近くの裏通りだとか記事を読んだことがあったのですが、探しても見つからずにいました。

しかし、これが昨年若宮八幡宮に合祀されていることを聞き見に行ってきました。

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八幡宮の拝殿に向かって左側に置かれている小さな祠が「摩利支天尊」が祀られています。

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これがその摩利支天尊堂です。

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中には、「摩利支天尊」と書かれており、これは毎年11月に常陸国総社宮によって祭礼が執り行われています。

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この祠の裏には昭和61年(1986年)に京の馬場から遷宮したと書かれていました。

京の馬場についても昔の図説石岡市史 などでは「庁の馬場」と書かれていたり、他に「長の馬場」などという表現もあるようです。

昔ここで正月に祭礼がおこなわれ、弓で矢を射って鬼払いを行っていた記録などもあるようです。
まあ江戸時代には千手院の行事として行われていたようでもありますが、この千手院も今では立派な門が国分寺境内に残されているだけですのであまりよくわかりません。

石岡も歴史の里などと言いますが、歴史の記述などを残し、それを紐解いていく博物館のようなもの、人がどうしても必要に思われてなりません。


番外編 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/02/01 10:31
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