日本語と縄文語(7)姥皮(うばかわ)と化けの皮
日本語になった縄文語の説明を鈴木健さんのご本より入口部分のみ6回に亘って説明してきました。
でもまだまだ理解には達していません。
このまま続けても益々隘路にはまってしまうかもしれませんので、少し息抜きをしていきたいと思います。
前回、カエルの呼び方の話をしました。
地方によっては、「ビキ、ビッキ、ビキタン、バッケ・・・」などと呼ばれ 「ウバ」などと呼ばれる地域も存在するそうです。
また、「化けの皮」という言葉も気になります。どこから生まれた言葉なのか?
「化けの皮が剥がれる」「化けの皮を剥ぐ」などと使うが、表面的につくろっていた姿(皮をかぶっていた姿)から、その皮をはぎ取って本来の姿をあばく時などに使う。
どうもこれが昔話の「姥皮(ウバカワ)」と関係しているかもしれないというので、この昔話を調べてみました。
1)姥皮(ウバカワ) 山形県の昔話
日本昔話「姥皮」より YouTubeは ⇒ こちら
(あらすじ):<日本むかしばなしデータベースより抜粋>

村に日照りが続き、水が枯れてしまった。
そこに男がやってきて、雨を降らせてやる代わりに娘を嫁によこせと言う。
村人は承諾し、雨が降った。しかし、男は大蛇の化身であった。
村人は困り果てるが三人娘の末娘が自分が嫁にいくと言う。
末娘は千のひょうたんと千の針を持ち、大蛇の住む淵へ向った。
淵につくとひょうたんをすべて淵に浮かべ、大蛇に沈めてみせろと言う。
大蛇は奮闘するものの沈められず、やがて力つきて岸にのびてしまった。
娘はそこを蛇の嫌う鉄気である千の針で刺し、大蛇は死んでしまった。
体よく大蛇は討ったものの、嫁に行くといった以上帰る訳にもいかず、しばし山中を行くと、一軒の家があった。
そこにすむ老婆に次第を話すと、老婆は自分は実は件の淵の大ガマで、蛇に追い出されていたのだと喜んだ。
老婆はこれを被っていれば難は降りかからないと自分の「姥皮」(かぶると老婆の姿になる)を娘に授け、道を行った先に優しいお大尽の屋敷があるからそこへ行く様に勧めた。
お屋敷では見た目は老婆の娘を雇ってくれ、娘もよく働いた。
しかしある日、屋敷の若旦那が姥皮を脱いで髪を梳いていた娘を見てしまい、恋の病に伏してしまう。
やがて実は老婆がその娘だったことが知れ、二人は夫婦になった。
(ポイント)
ここで、この話しの気になるポイントは
(1) ガマの皮を被ると醜い老婆に変身する。何故(ガマ)カエルなのか?
(2) 大蛇の嫁になるということ
(3) このブログで「昔話について」と題して最初に書いた「蟹の恩返し」(記事は ⇒ こちら)との関連
こちらの話は、東北文教大学短期大学部民話研究センターの民話アーカイブとして「佐藤家の昔話(一)」にもう少し詳しく収録されています (⇒ こちら) こちらの方が元の話に近いと思われます。
2)姥つ皮(うばっかわ) 新潟県 (フジパン提供 ⇒ こちら)
むかし、あるところに、大層気だての良い娘がおったそうな。
娘の家は大変な分限者(ぶげんしゃ)での、娘は器量も良かったし、まるでお姫様のようにしておった。
じゃが、夢のような幸せも永くは続かないもんでのぉ、可哀そうに、母が、ふとした病で死んでしもうた。
しばらくたって継母(ままはは)が来だがの、この継母には、みにくい娘がいたんじゃ。
なもんで、継母は、器量の良い娘が憎(にく)くてたまらんようになった。
事あるごとにいじめてばかり。
父も、これを知っていたが、継母には何も言えんかった。
それで、可哀そうだが、この家においたんではこれからどうなるかも知れんと思ってな、お金を持たせて、家を出すことにしたんじゃ。
乳母(うば)もな、 「あなたは器量もいいから、よっぽど用心しなければ危ないことに出逢うかも知れんから」
と、言って、姥(うば)っ皮(かわ)という物をくれた。
娘は、それを被って、年をとった婆様(ばあさま)の姿になって家を出た。
こうして、娘はあちらこちらと歩いているうちに、ある商人の家の水くみ女に雇(やと)われることになったそうな。
娘はいつも姥っ皮を被って働いた。
風呂(ふろ)に入る時も、家中の者が入ったあとで入ることにしていたので、それを脱(ぬ)いでも誰にも見つけられんかった。
ある晩のこと。
娘がいつものように姥っ皮を脱いで風呂に入っていると、ふと若旦那が見つけてしまった。
さあ、それ以来若旦那は、一目(ひとめ)見た美しい娘のことが忘れられん。とうとう病気になってしまった。医者でも治(なお)らんのだと。大旦那が心配して占師に占ってもらった。
すると占師は、 「家の内に気に入った娘があるすけ、その娘を嫁にしたら、この病気はすぐに治ってしまうがな」、と言う。
大旦那はびっくりして家中の女という女を全部、若旦那の部屋へ行かせてみた。が、気に入った者はなかったんじゃと。
最後に、大旦那はまさかと思いながら、水汲み婆さんを若旦那の部屋へ連れて行った。
すると、若旦那はすぐに見破っての、姥っ皮をとってしまったんじゃ。
中から、それは美しい娘が現われたもんで、家じゅう大嬉びでの、 娘は、その家の嫁になって、いつまでも幸せに暮らしたそうな。
こんでちょっきり ひとむかし。
(ポイント)
(1) 姥(うば)と乳母(うば)が同じ発音なので、1)から変化した?
(2) 継母(ままはは)は乳母から連想されたものか?
(3) 御伽草子にある「はちかつぎ姫」やグリム童話のシンデレラ(灰かぶり姫)の話と同じ継子いじめの要素が強くなっている。
3)姥皮(うはかわ) 御伽草子(平安時代)
⇒ こちら より
御伽草子の「うはかわ」は私が持っている岩波文庫の御伽草子には載っていない。
そこでネットで捜してみた。元はほとんどひらがなばかりの文のようだ。
いくつかのサイトでこれを載せて、漢字交じりに変換したりしておられたが、上のリンク先 ブログ「円環伝承」のブログ記事より取らせてもらった。
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応永の頃のことであるが、尾張の国岩倉の里に、成瀬左衛門清宗と申す人がいたが、長年連れ添った妻は亡くなり、忘れ形見の姫君が一人あった。
その後、そうあるべきことであれば、姫君が十一の年、清宗はまた妻を設けた。
まもなく清宗は都へ仕事で上ることになったが、北の方に向かって言うことには、
「まだ姫は幼いのだから、とにもかくにも良く気遣って育てておくれ」と細々と指示して、都へ上っていった。
その後、継母がこの姫を憎むことに限りはなかった。
姫君が心に思うことと言えば「父御前がここにいたら、こうはならないのに」ということばかりで、明ければ父恋し、暮れれば亡き母恋しと、涙の乾く暇もなかったのである。
このように嘆いていればますます憎み、食事さえも与えなかったので、十二になった春の頃、姫君は岩倉の里を夜の闇に紛れて忍び出て、行く先はないけれども足に任せてさ迷っているうちに、甚目寺の観音堂に辿り着いた。
姫君は「これこそ、母上が常々参っておられた御仏だわ。
朝晩足を運んでおられたのは、私の将来について祈っていたのだと聞いているわ。
どうせもはや悪意を受けている身。母上のおられるところにすぐに行ってしまおう」
と思って、内陣の縁の下に人目を忍んで潜り込んだ。
「本当にね、大慈大悲に御誓願すれば、現世安穏、後生善処して護ってくださると聞いているわ。
私は、この世の望みは今更ないわ。後生(死後、来世)を助けたまえ」と、常々母上が教えておいてくれた観音経を、少しも休まずに読んだ。
三晩こもった夜明け、戸口に金色の光を放って、もったいなくも観世音菩薩が姫の枕元に立った。
「汝の母は、いつもここに足を運んでは姫の行く末を案じて祈っていたのに、このように迷うとは哀れなことよ。
汝の姿は世に類ないほど美しいのだから、どこかで人に襲われるだろう。これを着なさい」と言って、木の皮のようなものをくれた。
「これは、姥皮というものだ。これを着て、我が教える場所へ行きなさい。近江の国、佐々木民部隆清門前に立ちなさい」
と教えて、かき消すようにいなくなった。
さて姫君は、「それにしても有難いお告げだわ」と伏し拝んで、夜が明けると姥皮を着て縁の下から出た。
この様子を見た人は、「この婆さんは不気味な姿だな」と嘲笑った。
こうして姫君は、教えに従って近江の国へ上った。
不気味な姥の姿なので、野に寝ようが山に寝ようが、目を止める人もいなかった。
どうにか、さ迷ううちに佐々木民部隆清の家に着いて、門の側で休んで経文を唱えていた。
隆清の子に、佐々木十郎隆義といって、年は十九になる者がいたが、その時、門の辺りに佇んでいて、侍を呼んで言った。
「さても不思議なことがあるものよ。あの姥が経を読んでいるが、姿に似ずに声の美しさは迦陵頻(歌声が美しいとされる天上の半人半女)のようだ。中に呼び入れて、釜の火焚きをさせよ」
侍は承知して、「どうした姥よ。この屋敷にこのまま留まって、釜の火を焚け」と言ったところ、姫君は中に入って釜の火を焚いた。
そのうちに、頃は三月十日あまりになった。
南面の花園には様々な花が植えてある。散る桜があれば咲く花もあり、水際の柳は萌黄の糸を垂れ、夜更け頃に山の端に沈む月も、花の美しさと競い合っていた。
さて姫君は、夜更け、人が寝静まると花園に出て、月や花を眺めて、過去を恋しく思って、
月花の 色は昔に変はらねど 我が身一つぞ衰えにける
(月や花の色は変わらないのに、我が身だけは落ちぶれてしまいました)
とこのように詠じて佇んでいた。
一方、十郎隆義は詩歌・管弦の道にも明るく、優しい人であったので、沈む月を惜しんで花見の御所の御簾を高く巻き上げていたのだが、花園に怪しい人影があるのを見て太刀を押っ取り、忍び出てみると、火焚きの姥である。
「これは怪しいやつだ。どうしたことか」と思い、そっと窺った。
姫君は人が見ているとも知らないで、月の光に向かって、少し姥皮を脱いで、美しい顔だけを出して、またこのように
月一人 あはれとは見よ姥皮を いつの世にかは脱ぎて返さん
(月だけは哀れんで下さい、この『姥皮』に身をやつした私を。姥皮をいつの日にか脱いで返しましょう)
と詠むのを見ると、辺りも輝くほどの姫君である。
「これはどうしたことだ」と思い、もとより大剛の人であったので、持っている太刀の鍔を押し上げて、するすると近寄って、
「お前をこの間の火焚きの姥だと見ていたところ、そうではなく、美しい女房だ。
魔物であろう。逃がさんぞ」と怒鳴りつけた。
姫君は騒ぐ様子もなく、「お待ちを。落ち着いて下さい。私は魔物ではありません。
私の身の上をお話しいたします」とて、事の仔細をありのままに語った。
隆義はじっと聞いて、ならば観音の御利生であるなと手を合わせ、感動の涙を流した。
もとより、隆義は未だに奥方も娶っていなかったので、寝所の傍らは寂しく、独りで寝起きしていたのだが、姫君の手を引いて花見の御所に上がり、姥皮を脱がせて、火を灯して眺めると、全く上界の天人が天下りしたかと思えるもので、世に例えられるものがない。辺りも輝くばかりである。
隆義が 「さては、噂に聞く成瀬左衛門清宗なるせのさえもんのきよむねの姫でありますか。
突然に申すことではありますが、あなたも今は何かと苦しんでいるはず。
今からは私と夫婦の契りを結んで下さい」と、行く末の事までも事細かに話せば、
姫君は
「私ごとき落ちぶれ者にお言葉をかければ、ご両親のお咎めはどれほどのものでしょう。
いつまでも屋敷に召し置いてくだされば、この姥の姿で釜の火を焚きます」と言う。
隆義は
「このように出逢ってしまったのです。たとえ父母の不興を買う身になろうとも、野の末・山の奥までも、片時もあなたから離れまい」と、姫君の側に寄り伏して嘆いたところ、姫君も断りきれず、身を任せた。
かくして、鴛鴦(えんおう)の衾(ふすま)の下で比翼の契りを結んだ。
その夜も次第に明けていくと、後朝(きぬぎぬ)の名残を惜しんで互いの涙は止まることがなかった。
既にもう夜は明け、下働きの者たちが起き出す音がするので、再び姥衣を引き被り、釜の火を焚きに出ようとしたが、隆義は姫の袖を引き止めて、このように詠んだ。
観音の 御置きたりし姥皮を 末頼もしく我や脱がせん
(観音様が置いていった姥皮を、末頼もしい思いで私は脱がせた)
姫君、返歌。
憂きことを 重ねて着たる姥皮を 君世になくば誰が脱がせん
(憂いごとを重ねて着ていた姥皮を、あなたがいなければ誰が脱がせることが出来たでしょうか)
このように詠じて、火を焚きに出て行ったのは、哀れなことであった。
そのうちに、隆義の父母は、かねてより定めていた通りに都の今出川の左大将殿の姫君を嫁に迎えようと、乳母めのとの宰相を使いにして手紙を送ってきて、都へ上るように伝えたところ、隆義はとやかくは言わないで、「父母の仰せに背くのは恐れ多いことですが、私はただ出家したいと思っております。このようなことはできません」と言う。
父母はこれを聞いて、「これはどうしたことか。とは言うものの、若い身の習いとて、想いを寄せる方がいるのかもしれない。詳しく訊ねよ」と、乳母の宰相に言った。
宰相は隆義を訪ねて、「ご両親にご心配をおかけするのも罪です。
若い身の習いとて、お心を寄せる方があっても無理はありません。
貴人の身の習いとて、賎しかろうと心の優れた者を召し上げて、奥方にもします。
このようなことは世間にあることなのですから、父母様もさしてお恨みいたしません」と、丁寧に語ったところ、隆義は聞き入れて、「今は何を隠そう。誰もが驚くことだが、この屋敷にいる釜の火を焚く姥を召し上げたいのだ」と言った。
宰相はこれを聞いて相当に呆れ果てて物も言わず、涙を流して走り帰り、父母にこのことを申したところ、「これは何としたことか。つまり我が子は気が狂ってしまったのか」とて、それぞれにうち伏して泣いたが、父、隆清はしばらくして「いやいやとにかく、火焚きの姥をこれからは嫁だと定めて、心を見よう」と言って、「然らば、明日は吉日なのだから、姥を召し上げて北の方に定めなさい」と使いを送ってきたので、隆義が狂喜することに限りはなかった。
急いで網代の輿を調えて、祝いの儀式は様々だった。
屋敷の人々は実に釈然としないことであったが、主命であるので、様々に準備を執り行った。
とうとうその日になれば、隆義は例の姥を召し上げて、自分の住んでいる所へ入れて、人に見せずに、二人一緒に着替えや化粧をした。
夜が明けると、被かずき衣を深々と被って、輿に乗って、母屋へと移った。
座敷まで輿で乗り付けて出てきたのを見れば、件くだんの姥のようではない。
これはどうしたことだと、見る人々も父母もポカンとした。
舅の隆清が、側近くに来た嫁を見てみると、この世の人のようではない。
天人か、菩薩が天下ったのか。これほどに美しい人は昔話にも聞いたことがない。
年の頃は十三か十四ほどに見える。鮮やかなる顔かんばせ。姿を絵に描こうとしても筆が及ぶだろうか。
言葉には、よもや出来ない。隆清夫婦は彼女を見て、驚き喜ぶことに限りがなかった。
その日の引き出物として、隆清は代を息子に譲った。このことは天下に知れ渡った。
帝がこれを聞いて、「さては観音のお引き合わせによって、隆義は妻を得たのだ。大変なことよ」とて、急いで隆義を召し上げて佐々木右兵衛督の位を与え、近江の国と越前の国を相添えて与えた。
その他にも所領を増やしていって、お目出度いことである。
その後、子供も沢山もうけて末長く繁栄した。
これは即ち、大慈大悲の御慈悲である。
この物語を読む人は、南無大悲観世音菩薩と、三遍唱えるようにすべし。
現世安穏、後生善処、疑いなし。
(ポイント)
(1) こちらの話は平安時代の仏教説話が元になっているように思われる。
(2) このころから「継母」にいじめられる話が入ってきたようだ。
(3) 姥皮はこの話しでは、カエルがかぶっているものではなく「木の皮のようなもの」となっている。
さて、姥皮(ウバカワ、ウバッカワ、ウハカワ)の話を3つ載せたが、それぞれ少しずつ違いがあるが、元の話はどこから来たものだろうか。
御伽草子は平安時代後半頃と思われるが、観音信仰がかなり色濃く出ている。
さて似た話しで「カエルの皮」(ガエルッカワ)という昔話が新潟にある。
4、カエルの皮(越後の昔話) ⇒ サイトはこちら
カエルの皮 ―高橋ハナ昔話集―
あったてんがな。あるどこにおっとさんとお嬢さんがあったてんがの。おっとさんが
「きょうは天気もいいし、花見にいってこうかな」
とようてお嬢さんを連れて行ったと。ほうしたら、でっこいヘビがカエルを飲もうとしているんだんが、お嬢様が
「かわいげらねか。カエルがヘビに飲まれるが」
とようたれば、おっとさんが
「ヘッビ、ヘッビ、んな(おまえ)、そのカエルはなしてやれば、この娘を嫁にやるが」
といわしゃったと。ほうしると、ヘビは、くわえていたカエル放したと。かえるは、喜んでギクシャクしながら逃げていったと。
おっとさんは、
「はあてまあ、おら娘を嫁にくれるなんてようてしまったが、おおごとら」
ほうして、二、三日もめいたれば、いつかの男が来て、「おらこないだカエルを飲もうとした時のヘッビだが、お嬢さんを嫁にくれるとようたすけ、約束通り今日は、もらいにきた」
とようたと。おっとさんは困ってしもうて、
「娘、娘、おれがほんとうにようたがらすけ、仕方がない。ヘビのどこへ嫁にいってくれ」
とようたと。娘も承知して、おっとさんから針千本買ってもらって、男のあとへくっついていった。ほうして広い池へ出ると、男が
「おれここに先入るが、おまえ、おれの後からついて入ってこい」
というて飛び込んだと。その時娘は、針千本を池の中に投げ込んだ。ヘビはその針飲み込んで死んでしもうたと。
ほうして、日もくれるし、家にも帰らんないし、困っていると、向こうから、年寄りのばさが来て
「お嬢様、お嬢様、私はおまえさんに助けられたカエルだ。今夜おらどこへ一晩、泊まっていってくれ」
とようて泊めてくれたと。
翌朝になったら、ばさが
「おまえのようなきれいな子は、道中に悪者がいてあぶないすけ、おれがカエルの皮をやる。これを着れば、年寄りのきったねばさになる」
とようてカエルの皮をくれたと。お嬢様は、その皮を着てズンズン行くと、道端に山賊(さんぞく)がいて
「きったなげのばさがきた」
とようて、棒の先に引っかけて投げたら、ばさはだんな様の家の軒端に落ちたと。それをおんなごが見て、
「奥さん、奥さん、きったなげのばさが軒端にやってきました」
とようと、奥さんは、
「かわいそうだすけ、家に入れてやれ」
とようてその家で火たきばさに使ってやったと。
ある日、若だんな様が、夜遊びにいって、帰っでくると、ばさの部屋で明りが見えるんだんが、
「ばさが何しているのだろう」
と思ってのぞいてみると、ばさは、カエルの皮を脱いできれいなあねさになって、ろうそくの灯で勉強しているてんがの。若だんな様は、それから病気になってしもうて寝ていたと。家のショが、あの医者、この医者とたのんでくるろも若だんなのあんばいはえーて(なかなか)治らんかったと。占いがきて
「これは若だんなに好きな女の人があって、それを嫁に欲しいがだすけに聞いてみるがよい」
とようたと。ほうしるんだんが、おっとさんもおっかさんも若だんなに
「だっか(だれか)嫁に欲しい人があるか」
と聞くろも、なんともいわんがだと。仕方がねい村中の年ごろの娘いんな寄せて、若だんなのとこへやってみようとようことになって、一人ずつ
「あん様、湯でも茶でもやろかい」
とようて行くども、布団にもぐって返事もしねいと。あとのこりは火たきばさばっかになってしもうたと。
「ほんね、もうひとり火たきばさが残っていらや」
とようでばさが行くことになったと。ばさは二階に上がって、カエルの皮を脱いで、きれいなお嬢さんになって降りてきて、
「あん様、湯でも茶でもやろうかい」
とようたれば、若だんながきて
「湯でも茶でもくれ」
とようて起きてきたてんがね。
おっとさんもおっかさんも
「これが家の嫁だ」
と喜んだと。ほうして、お嬢さんを嫁にして一生仲良く暮らしたと。それでいきがきれた。
ここでは、「姥皮」という名称は無くなり、「カエルの皮」との表現に置き換わっている。
以上4つの話を紹介したが、これ以外に似た話は各地に多い。
福島県三島の昔話には「姥皮(おっぱの皮).」などと呼ばれている。
しかし、以前平安時代の仏教説話ばなしを見ると、日本霊異記(中)より、蟹の恩返しの話をした。(こちら)
この中で、第十二 に「蟹と蛙を買い取って放してやり、この世で蟹に助けられた話」 というのがある。
捕まってかわいそうになった蟹と、蛇に飲まれそうになった蛙をそれぞれ別々に助けて逃がすのだが、この蛇をやっつけて恩を返すのは「蟹」の役目になっている。
蛙は何も恩を返していない。
確かに蟹ははさみを持っていて、蛇を切り刻むことができるが、蛙が恩を返す話が、この日本霊異記に見えない。
しかし、昔話を検索すると蛙が恩返しをする話もある。
その話しが大概この姥皮と関連しているような話になっている。
まあどこまで理解出来るかは知らないが、面白く感じたので、ここに記録として残しておきたいと思う。
最後に、日本霊異記の要素が加わった話をもう一つ載せて置きます。
5、姥皮 山形県置賜地方の昔話 サイトは ⇒ こちら
むかしあったけど。
御伊勢さま詣りに行って来たど。
そうすっど、蛇ぁ蛙(びっき)飲むどこだけど。そしたら蛇さ、
「おれぁ娘三人持ったから、どれでも呉れっから、蛙可哀いいから、離して呉ろ」 て言うたど。
そうしたら蛙が離さっだもんだから、喜んで喜んで、こんどはぁ、 ピンピンて行ったど。
そうすっど、その蛇だごで…。三人の娘いた、どれでも呉れっからて言うた。
そしてこんどはええ男になって蛇は来たなだど。親父は、
「おれはこういうことになっていたから、にしゃだ、蛇のどこさ嫁(い)って呉ねが」
て願ったどこだ、子どもらさ。そしたら姉さんから始まり、
「そだな、蛇のおかたになっていられめぇちゃえ」
て、言って親父をはじいたど。二番目さ言うても、またはじいだって。三番目さなったら、
「ほんじゃら、おれ嫁(い)んから心配しねで、おどっつぁ、御飯(おまま)あがれ」
て、こう言うたど。そうしたところぁ、「ええ男だら、おれも行きたがった。おらも行きたがった」
て、姉どら二人言うたど。
「嫁に行いんから、針千本用意して呉ろ」
て言わっで、嫁に行ったど。そして山さ入るどこに、川あって、渡っど思ったら橋ないもんだから、蛇が、
「おれ、橋になるから…」
て言うたので、そこさ針千本撒いたど。
そしたらば蛇の体さ皆刺さったど。そしてそこで蛇死んでしまったど。
そうすっど娘は出はって行って見たらば、暗くなるもんだから、山の中さ入って行って、木の上さ登ったど。
寝るに寝らんねし、山の中だし、下に居っど恐っかねがら、木の股さ寝っだど。
そして夜中過ぎっど明るいものポカーッと出てきたど。そしたところが、
「お前のお父っつぁんに助けらっだ。おれ、蛙だ」
て、そしてその蛙が出たんだってよ。
「明るくなってから行くじど、泥棒の恐っかない者ばり居っから、この姥皮というもの呉っから、この姥皮というものかぶって、お年寄になって、ここの山降(お)ちて通って行げ」
て、こういう風に教えらっじゃそうだ。
そして蛙に姥皮というもの貰って、そいつかぶって行ったば、案の如く泥棒みたいな町はずれさ行ったらいたけど。
「なんだ。どっから来あがった。こがえ婆ぁ」
て、はねらっでしまったど。ええ女になって行くじど、そこさ行っておさえられるから、姥皮かぶって行ったわけだ。
そこからずうっと行ってるうちに、ある旦那衆さ、御飯炊きに入ったんだど。
そして御飯炊きに入ったらば、昼間姥皮かぶっていっから、年寄で釜の火焚きなどばりしったんだど。
夜さなっじど、ちゃんと姥皮はずして、きれいになって寝っかったど。
そこば旦那衆の息子見つけたごんだど。そしてそいつを嫁にもらわんなねて言うたば、
「あがな年寄なだたて、嫁にもらう…」
て、親たちとても反対したんだって。
んだげんども、夜さなっど、きれいにええ女になっているもんだから、ほだから、息子惚れこんでしまったてよはぁ。そして息子は惚れこんで大病になったてよ。
大病になっどお医者さまに、
「ただの病気でない、恋のわずらいだから、この薬呑ませた者を嫁にすらっさい」
て、こう言わっだってよ。
まず纂(さん)置きにそう聞いたから、下女を蔵の中さ一人一人に、てんでに薬あずけてやったということだ。
そうすっど誰のでも、「飲まね、飲まね」て飲まねなだど。そして一番しまいに、
「ほら、ばばだ。こんどばば持って行け。誰も飲む人いね。こんどはばばだごで」
て言うて、ばばどさ、あずけてやったらば、ばばの薬、つるっと飲んだずも。
そうしたら、みんな手ンばたきぶって笑ったずも。んだごで。
そんなばばの薬飲んだて、手ンばたきして笑ったど。
御祝儀のとき、こんどちゃんと用意して出はって来たれば、すばらしいええ女であったど。
そしてそこの旦那衆のお嫁さまになって、そこで暮したど。
とーびんと。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
でもまだまだ理解には達していません。
このまま続けても益々隘路にはまってしまうかもしれませんので、少し息抜きをしていきたいと思います。
前回、カエルの呼び方の話をしました。
地方によっては、「ビキ、ビッキ、ビキタン、バッケ・・・」などと呼ばれ 「ウバ」などと呼ばれる地域も存在するそうです。
また、「化けの皮」という言葉も気になります。どこから生まれた言葉なのか?
「化けの皮が剥がれる」「化けの皮を剥ぐ」などと使うが、表面的につくろっていた姿(皮をかぶっていた姿)から、その皮をはぎ取って本来の姿をあばく時などに使う。
どうもこれが昔話の「姥皮(ウバカワ)」と関係しているかもしれないというので、この昔話を調べてみました。
1)姥皮(ウバカワ) 山形県の昔話
日本昔話「姥皮」より YouTubeは ⇒ こちら
(あらすじ):<日本むかしばなしデータベースより抜粋>

村に日照りが続き、水が枯れてしまった。
そこに男がやってきて、雨を降らせてやる代わりに娘を嫁によこせと言う。
村人は承諾し、雨が降った。しかし、男は大蛇の化身であった。
村人は困り果てるが三人娘の末娘が自分が嫁にいくと言う。
末娘は千のひょうたんと千の針を持ち、大蛇の住む淵へ向った。
淵につくとひょうたんをすべて淵に浮かべ、大蛇に沈めてみせろと言う。
大蛇は奮闘するものの沈められず、やがて力つきて岸にのびてしまった。
娘はそこを蛇の嫌う鉄気である千の針で刺し、大蛇は死んでしまった。
体よく大蛇は討ったものの、嫁に行くといった以上帰る訳にもいかず、しばし山中を行くと、一軒の家があった。
そこにすむ老婆に次第を話すと、老婆は自分は実は件の淵の大ガマで、蛇に追い出されていたのだと喜んだ。
老婆はこれを被っていれば難は降りかからないと自分の「姥皮」(かぶると老婆の姿になる)を娘に授け、道を行った先に優しいお大尽の屋敷があるからそこへ行く様に勧めた。
お屋敷では見た目は老婆の娘を雇ってくれ、娘もよく働いた。
しかしある日、屋敷の若旦那が姥皮を脱いで髪を梳いていた娘を見てしまい、恋の病に伏してしまう。
やがて実は老婆がその娘だったことが知れ、二人は夫婦になった。
(ポイント)
ここで、この話しの気になるポイントは
(1) ガマの皮を被ると醜い老婆に変身する。何故(ガマ)カエルなのか?
(2) 大蛇の嫁になるということ
(3) このブログで「昔話について」と題して最初に書いた「蟹の恩返し」(記事は ⇒ こちら)との関連
こちらの話は、東北文教大学短期大学部民話研究センターの民話アーカイブとして「佐藤家の昔話(一)」にもう少し詳しく収録されています (⇒ こちら) こちらの方が元の話に近いと思われます。
2)姥つ皮(うばっかわ) 新潟県 (フジパン提供 ⇒ こちら)
むかし、あるところに、大層気だての良い娘がおったそうな。
娘の家は大変な分限者(ぶげんしゃ)での、娘は器量も良かったし、まるでお姫様のようにしておった。
じゃが、夢のような幸せも永くは続かないもんでのぉ、可哀そうに、母が、ふとした病で死んでしもうた。
しばらくたって継母(ままはは)が来だがの、この継母には、みにくい娘がいたんじゃ。
なもんで、継母は、器量の良い娘が憎(にく)くてたまらんようになった。
事あるごとにいじめてばかり。
父も、これを知っていたが、継母には何も言えんかった。
それで、可哀そうだが、この家においたんではこれからどうなるかも知れんと思ってな、お金を持たせて、家を出すことにしたんじゃ。
乳母(うば)もな、 「あなたは器量もいいから、よっぽど用心しなければ危ないことに出逢うかも知れんから」
と、言って、姥(うば)っ皮(かわ)という物をくれた。
娘は、それを被って、年をとった婆様(ばあさま)の姿になって家を出た。
こうして、娘はあちらこちらと歩いているうちに、ある商人の家の水くみ女に雇(やと)われることになったそうな。
娘はいつも姥っ皮を被って働いた。
風呂(ふろ)に入る時も、家中の者が入ったあとで入ることにしていたので、それを脱(ぬ)いでも誰にも見つけられんかった。
ある晩のこと。
娘がいつものように姥っ皮を脱いで風呂に入っていると、ふと若旦那が見つけてしまった。
さあ、それ以来若旦那は、一目(ひとめ)見た美しい娘のことが忘れられん。とうとう病気になってしまった。医者でも治(なお)らんのだと。大旦那が心配して占師に占ってもらった。
すると占師は、 「家の内に気に入った娘があるすけ、その娘を嫁にしたら、この病気はすぐに治ってしまうがな」、と言う。
大旦那はびっくりして家中の女という女を全部、若旦那の部屋へ行かせてみた。が、気に入った者はなかったんじゃと。
最後に、大旦那はまさかと思いながら、水汲み婆さんを若旦那の部屋へ連れて行った。
すると、若旦那はすぐに見破っての、姥っ皮をとってしまったんじゃ。
中から、それは美しい娘が現われたもんで、家じゅう大嬉びでの、 娘は、その家の嫁になって、いつまでも幸せに暮らしたそうな。
こんでちょっきり ひとむかし。
(ポイント)
(1) 姥(うば)と乳母(うば)が同じ発音なので、1)から変化した?
(2) 継母(ままはは)は乳母から連想されたものか?
(3) 御伽草子にある「はちかつぎ姫」やグリム童話のシンデレラ(灰かぶり姫)の話と同じ継子いじめの要素が強くなっている。
3)姥皮(うはかわ) 御伽草子(平安時代)
⇒ こちら より
御伽草子の「うはかわ」は私が持っている岩波文庫の御伽草子には載っていない。
そこでネットで捜してみた。元はほとんどひらがなばかりの文のようだ。
いくつかのサイトでこれを載せて、漢字交じりに変換したりしておられたが、上のリンク先 ブログ「円環伝承」のブログ記事より取らせてもらった。
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応永の頃のことであるが、尾張の国岩倉の里に、成瀬左衛門清宗と申す人がいたが、長年連れ添った妻は亡くなり、忘れ形見の姫君が一人あった。
その後、そうあるべきことであれば、姫君が十一の年、清宗はまた妻を設けた。
まもなく清宗は都へ仕事で上ることになったが、北の方に向かって言うことには、
「まだ姫は幼いのだから、とにもかくにも良く気遣って育てておくれ」と細々と指示して、都へ上っていった。
その後、継母がこの姫を憎むことに限りはなかった。
姫君が心に思うことと言えば「父御前がここにいたら、こうはならないのに」ということばかりで、明ければ父恋し、暮れれば亡き母恋しと、涙の乾く暇もなかったのである。
このように嘆いていればますます憎み、食事さえも与えなかったので、十二になった春の頃、姫君は岩倉の里を夜の闇に紛れて忍び出て、行く先はないけれども足に任せてさ迷っているうちに、甚目寺の観音堂に辿り着いた。
姫君は「これこそ、母上が常々参っておられた御仏だわ。
朝晩足を運んでおられたのは、私の将来について祈っていたのだと聞いているわ。
どうせもはや悪意を受けている身。母上のおられるところにすぐに行ってしまおう」
と思って、内陣の縁の下に人目を忍んで潜り込んだ。
「本当にね、大慈大悲に御誓願すれば、現世安穏、後生善処して護ってくださると聞いているわ。
私は、この世の望みは今更ないわ。後生(死後、来世)を助けたまえ」と、常々母上が教えておいてくれた観音経を、少しも休まずに読んだ。
三晩こもった夜明け、戸口に金色の光を放って、もったいなくも観世音菩薩が姫の枕元に立った。
「汝の母は、いつもここに足を運んでは姫の行く末を案じて祈っていたのに、このように迷うとは哀れなことよ。
汝の姿は世に類ないほど美しいのだから、どこかで人に襲われるだろう。これを着なさい」と言って、木の皮のようなものをくれた。
「これは、姥皮というものだ。これを着て、我が教える場所へ行きなさい。近江の国、佐々木民部隆清門前に立ちなさい」
と教えて、かき消すようにいなくなった。
さて姫君は、「それにしても有難いお告げだわ」と伏し拝んで、夜が明けると姥皮を着て縁の下から出た。
この様子を見た人は、「この婆さんは不気味な姿だな」と嘲笑った。
こうして姫君は、教えに従って近江の国へ上った。
不気味な姥の姿なので、野に寝ようが山に寝ようが、目を止める人もいなかった。
どうにか、さ迷ううちに佐々木民部隆清の家に着いて、門の側で休んで経文を唱えていた。
隆清の子に、佐々木十郎隆義といって、年は十九になる者がいたが、その時、門の辺りに佇んでいて、侍を呼んで言った。
「さても不思議なことがあるものよ。あの姥が経を読んでいるが、姿に似ずに声の美しさは迦陵頻(歌声が美しいとされる天上の半人半女)のようだ。中に呼び入れて、釜の火焚きをさせよ」
侍は承知して、「どうした姥よ。この屋敷にこのまま留まって、釜の火を焚け」と言ったところ、姫君は中に入って釜の火を焚いた。
そのうちに、頃は三月十日あまりになった。
南面の花園には様々な花が植えてある。散る桜があれば咲く花もあり、水際の柳は萌黄の糸を垂れ、夜更け頃に山の端に沈む月も、花の美しさと競い合っていた。
さて姫君は、夜更け、人が寝静まると花園に出て、月や花を眺めて、過去を恋しく思って、
月花の 色は昔に変はらねど 我が身一つぞ衰えにける
(月や花の色は変わらないのに、我が身だけは落ちぶれてしまいました)
とこのように詠じて佇んでいた。
一方、十郎隆義は詩歌・管弦の道にも明るく、優しい人であったので、沈む月を惜しんで花見の御所の御簾を高く巻き上げていたのだが、花園に怪しい人影があるのを見て太刀を押っ取り、忍び出てみると、火焚きの姥である。
「これは怪しいやつだ。どうしたことか」と思い、そっと窺った。
姫君は人が見ているとも知らないで、月の光に向かって、少し姥皮を脱いで、美しい顔だけを出して、またこのように
月一人 あはれとは見よ姥皮を いつの世にかは脱ぎて返さん
(月だけは哀れんで下さい、この『姥皮』に身をやつした私を。姥皮をいつの日にか脱いで返しましょう)
と詠むのを見ると、辺りも輝くほどの姫君である。
「これはどうしたことだ」と思い、もとより大剛の人であったので、持っている太刀の鍔を押し上げて、するすると近寄って、
「お前をこの間の火焚きの姥だと見ていたところ、そうではなく、美しい女房だ。
魔物であろう。逃がさんぞ」と怒鳴りつけた。
姫君は騒ぐ様子もなく、「お待ちを。落ち着いて下さい。私は魔物ではありません。
私の身の上をお話しいたします」とて、事の仔細をありのままに語った。
隆義はじっと聞いて、ならば観音の御利生であるなと手を合わせ、感動の涙を流した。
もとより、隆義は未だに奥方も娶っていなかったので、寝所の傍らは寂しく、独りで寝起きしていたのだが、姫君の手を引いて花見の御所に上がり、姥皮を脱がせて、火を灯して眺めると、全く上界の天人が天下りしたかと思えるもので、世に例えられるものがない。辺りも輝くばかりである。
隆義が 「さては、噂に聞く成瀬左衛門清宗なるせのさえもんのきよむねの姫でありますか。
突然に申すことではありますが、あなたも今は何かと苦しんでいるはず。
今からは私と夫婦の契りを結んで下さい」と、行く末の事までも事細かに話せば、
姫君は
「私ごとき落ちぶれ者にお言葉をかければ、ご両親のお咎めはどれほどのものでしょう。
いつまでも屋敷に召し置いてくだされば、この姥の姿で釜の火を焚きます」と言う。
隆義は
「このように出逢ってしまったのです。たとえ父母の不興を買う身になろうとも、野の末・山の奥までも、片時もあなたから離れまい」と、姫君の側に寄り伏して嘆いたところ、姫君も断りきれず、身を任せた。
かくして、鴛鴦(えんおう)の衾(ふすま)の下で比翼の契りを結んだ。
その夜も次第に明けていくと、後朝(きぬぎぬ)の名残を惜しんで互いの涙は止まることがなかった。
既にもう夜は明け、下働きの者たちが起き出す音がするので、再び姥衣を引き被り、釜の火を焚きに出ようとしたが、隆義は姫の袖を引き止めて、このように詠んだ。
観音の 御置きたりし姥皮を 末頼もしく我や脱がせん
(観音様が置いていった姥皮を、末頼もしい思いで私は脱がせた)
姫君、返歌。
憂きことを 重ねて着たる姥皮を 君世になくば誰が脱がせん
(憂いごとを重ねて着ていた姥皮を、あなたがいなければ誰が脱がせることが出来たでしょうか)
このように詠じて、火を焚きに出て行ったのは、哀れなことであった。
そのうちに、隆義の父母は、かねてより定めていた通りに都の今出川の左大将殿の姫君を嫁に迎えようと、乳母めのとの宰相を使いにして手紙を送ってきて、都へ上るように伝えたところ、隆義はとやかくは言わないで、「父母の仰せに背くのは恐れ多いことですが、私はただ出家したいと思っております。このようなことはできません」と言う。
父母はこれを聞いて、「これはどうしたことか。とは言うものの、若い身の習いとて、想いを寄せる方がいるのかもしれない。詳しく訊ねよ」と、乳母の宰相に言った。
宰相は隆義を訪ねて、「ご両親にご心配をおかけするのも罪です。
若い身の習いとて、お心を寄せる方があっても無理はありません。
貴人の身の習いとて、賎しかろうと心の優れた者を召し上げて、奥方にもします。
このようなことは世間にあることなのですから、父母様もさしてお恨みいたしません」と、丁寧に語ったところ、隆義は聞き入れて、「今は何を隠そう。誰もが驚くことだが、この屋敷にいる釜の火を焚く姥を召し上げたいのだ」と言った。
宰相はこれを聞いて相当に呆れ果てて物も言わず、涙を流して走り帰り、父母にこのことを申したところ、「これは何としたことか。つまり我が子は気が狂ってしまったのか」とて、それぞれにうち伏して泣いたが、父、隆清はしばらくして「いやいやとにかく、火焚きの姥をこれからは嫁だと定めて、心を見よう」と言って、「然らば、明日は吉日なのだから、姥を召し上げて北の方に定めなさい」と使いを送ってきたので、隆義が狂喜することに限りはなかった。
急いで網代の輿を調えて、祝いの儀式は様々だった。
屋敷の人々は実に釈然としないことであったが、主命であるので、様々に準備を執り行った。
とうとうその日になれば、隆義は例の姥を召し上げて、自分の住んでいる所へ入れて、人に見せずに、二人一緒に着替えや化粧をした。
夜が明けると、被かずき衣を深々と被って、輿に乗って、母屋へと移った。
座敷まで輿で乗り付けて出てきたのを見れば、件くだんの姥のようではない。
これはどうしたことだと、見る人々も父母もポカンとした。
舅の隆清が、側近くに来た嫁を見てみると、この世の人のようではない。
天人か、菩薩が天下ったのか。これほどに美しい人は昔話にも聞いたことがない。
年の頃は十三か十四ほどに見える。鮮やかなる顔かんばせ。姿を絵に描こうとしても筆が及ぶだろうか。
言葉には、よもや出来ない。隆清夫婦は彼女を見て、驚き喜ぶことに限りがなかった。
その日の引き出物として、隆清は代を息子に譲った。このことは天下に知れ渡った。
帝がこれを聞いて、「さては観音のお引き合わせによって、隆義は妻を得たのだ。大変なことよ」とて、急いで隆義を召し上げて佐々木右兵衛督の位を与え、近江の国と越前の国を相添えて与えた。
その他にも所領を増やしていって、お目出度いことである。
その後、子供も沢山もうけて末長く繁栄した。
これは即ち、大慈大悲の御慈悲である。
この物語を読む人は、南無大悲観世音菩薩と、三遍唱えるようにすべし。
現世安穏、後生善処、疑いなし。
(ポイント)
(1) こちらの話は平安時代の仏教説話が元になっているように思われる。
(2) このころから「継母」にいじめられる話が入ってきたようだ。
(3) 姥皮はこの話しでは、カエルがかぶっているものではなく「木の皮のようなもの」となっている。
さて、姥皮(ウバカワ、ウバッカワ、ウハカワ)の話を3つ載せたが、それぞれ少しずつ違いがあるが、元の話はどこから来たものだろうか。
御伽草子は平安時代後半頃と思われるが、観音信仰がかなり色濃く出ている。
さて似た話しで「カエルの皮」(ガエルッカワ)という昔話が新潟にある。
4、カエルの皮(越後の昔話) ⇒ サイトはこちら
カエルの皮 ―高橋ハナ昔話集―
あったてんがな。あるどこにおっとさんとお嬢さんがあったてんがの。おっとさんが
「きょうは天気もいいし、花見にいってこうかな」
とようてお嬢さんを連れて行ったと。ほうしたら、でっこいヘビがカエルを飲もうとしているんだんが、お嬢様が
「かわいげらねか。カエルがヘビに飲まれるが」
とようたれば、おっとさんが
「ヘッビ、ヘッビ、んな(おまえ)、そのカエルはなしてやれば、この娘を嫁にやるが」
といわしゃったと。ほうしると、ヘビは、くわえていたカエル放したと。かえるは、喜んでギクシャクしながら逃げていったと。
おっとさんは、
「はあてまあ、おら娘を嫁にくれるなんてようてしまったが、おおごとら」
ほうして、二、三日もめいたれば、いつかの男が来て、「おらこないだカエルを飲もうとした時のヘッビだが、お嬢さんを嫁にくれるとようたすけ、約束通り今日は、もらいにきた」
とようたと。おっとさんは困ってしもうて、
「娘、娘、おれがほんとうにようたがらすけ、仕方がない。ヘビのどこへ嫁にいってくれ」
とようたと。娘も承知して、おっとさんから針千本買ってもらって、男のあとへくっついていった。ほうして広い池へ出ると、男が
「おれここに先入るが、おまえ、おれの後からついて入ってこい」
というて飛び込んだと。その時娘は、針千本を池の中に投げ込んだ。ヘビはその針飲み込んで死んでしもうたと。
ほうして、日もくれるし、家にも帰らんないし、困っていると、向こうから、年寄りのばさが来て
「お嬢様、お嬢様、私はおまえさんに助けられたカエルだ。今夜おらどこへ一晩、泊まっていってくれ」
とようて泊めてくれたと。
翌朝になったら、ばさが
「おまえのようなきれいな子は、道中に悪者がいてあぶないすけ、おれがカエルの皮をやる。これを着れば、年寄りのきったねばさになる」
とようてカエルの皮をくれたと。お嬢様は、その皮を着てズンズン行くと、道端に山賊(さんぞく)がいて
「きったなげのばさがきた」
とようて、棒の先に引っかけて投げたら、ばさはだんな様の家の軒端に落ちたと。それをおんなごが見て、
「奥さん、奥さん、きったなげのばさが軒端にやってきました」
とようと、奥さんは、
「かわいそうだすけ、家に入れてやれ」
とようてその家で火たきばさに使ってやったと。
ある日、若だんな様が、夜遊びにいって、帰っでくると、ばさの部屋で明りが見えるんだんが、
「ばさが何しているのだろう」
と思ってのぞいてみると、ばさは、カエルの皮を脱いできれいなあねさになって、ろうそくの灯で勉強しているてんがの。若だんな様は、それから病気になってしもうて寝ていたと。家のショが、あの医者、この医者とたのんでくるろも若だんなのあんばいはえーて(なかなか)治らんかったと。占いがきて
「これは若だんなに好きな女の人があって、それを嫁に欲しいがだすけに聞いてみるがよい」
とようたと。ほうしるんだんが、おっとさんもおっかさんも若だんなに
「だっか(だれか)嫁に欲しい人があるか」
と聞くろも、なんともいわんがだと。仕方がねい村中の年ごろの娘いんな寄せて、若だんなのとこへやってみようとようことになって、一人ずつ
「あん様、湯でも茶でもやろかい」
とようて行くども、布団にもぐって返事もしねいと。あとのこりは火たきばさばっかになってしもうたと。
「ほんね、もうひとり火たきばさが残っていらや」
とようでばさが行くことになったと。ばさは二階に上がって、カエルの皮を脱いで、きれいなお嬢さんになって降りてきて、
「あん様、湯でも茶でもやろうかい」
とようたれば、若だんながきて
「湯でも茶でもくれ」
とようて起きてきたてんがね。
おっとさんもおっかさんも
「これが家の嫁だ」
と喜んだと。ほうして、お嬢さんを嫁にして一生仲良く暮らしたと。それでいきがきれた。
ここでは、「姥皮」という名称は無くなり、「カエルの皮」との表現に置き換わっている。
以上4つの話を紹介したが、これ以外に似た話は各地に多い。
福島県三島の昔話には「姥皮(おっぱの皮).」などと呼ばれている。
しかし、以前平安時代の仏教説話ばなしを見ると、日本霊異記(中)より、蟹の恩返しの話をした。(こちら)
この中で、第十二 に「蟹と蛙を買い取って放してやり、この世で蟹に助けられた話」 というのがある。
捕まってかわいそうになった蟹と、蛇に飲まれそうになった蛙をそれぞれ別々に助けて逃がすのだが、この蛇をやっつけて恩を返すのは「蟹」の役目になっている。
蛙は何も恩を返していない。
確かに蟹ははさみを持っていて、蛇を切り刻むことができるが、蛙が恩を返す話が、この日本霊異記に見えない。
しかし、昔話を検索すると蛙が恩返しをする話もある。
その話しが大概この姥皮と関連しているような話になっている。
まあどこまで理解出来るかは知らないが、面白く感じたので、ここに記録として残しておきたいと思う。
最後に、日本霊異記の要素が加わった話をもう一つ載せて置きます。
5、姥皮 山形県置賜地方の昔話 サイトは ⇒ こちら
むかしあったけど。
御伊勢さま詣りに行って来たど。
そうすっど、蛇ぁ蛙(びっき)飲むどこだけど。そしたら蛇さ、
「おれぁ娘三人持ったから、どれでも呉れっから、蛙可哀いいから、離して呉ろ」 て言うたど。
そうしたら蛙が離さっだもんだから、喜んで喜んで、こんどはぁ、 ピンピンて行ったど。
そうすっど、その蛇だごで…。三人の娘いた、どれでも呉れっからて言うた。
そしてこんどはええ男になって蛇は来たなだど。親父は、
「おれはこういうことになっていたから、にしゃだ、蛇のどこさ嫁(い)って呉ねが」
て願ったどこだ、子どもらさ。そしたら姉さんから始まり、
「そだな、蛇のおかたになっていられめぇちゃえ」
て、言って親父をはじいたど。二番目さ言うても、またはじいだって。三番目さなったら、
「ほんじゃら、おれ嫁(い)んから心配しねで、おどっつぁ、御飯(おまま)あがれ」
て、こう言うたど。そうしたところぁ、「ええ男だら、おれも行きたがった。おらも行きたがった」
て、姉どら二人言うたど。
「嫁に行いんから、針千本用意して呉ろ」
て言わっで、嫁に行ったど。そして山さ入るどこに、川あって、渡っど思ったら橋ないもんだから、蛇が、
「おれ、橋になるから…」
て言うたので、そこさ針千本撒いたど。
そしたらば蛇の体さ皆刺さったど。そしてそこで蛇死んでしまったど。
そうすっど娘は出はって行って見たらば、暗くなるもんだから、山の中さ入って行って、木の上さ登ったど。
寝るに寝らんねし、山の中だし、下に居っど恐っかねがら、木の股さ寝っだど。
そして夜中過ぎっど明るいものポカーッと出てきたど。そしたところが、
「お前のお父っつぁんに助けらっだ。おれ、蛙だ」
て、そしてその蛙が出たんだってよ。
「明るくなってから行くじど、泥棒の恐っかない者ばり居っから、この姥皮というもの呉っから、この姥皮というものかぶって、お年寄になって、ここの山降(お)ちて通って行げ」
て、こういう風に教えらっじゃそうだ。
そして蛙に姥皮というもの貰って、そいつかぶって行ったば、案の如く泥棒みたいな町はずれさ行ったらいたけど。
「なんだ。どっから来あがった。こがえ婆ぁ」
て、はねらっでしまったど。ええ女になって行くじど、そこさ行っておさえられるから、姥皮かぶって行ったわけだ。
そこからずうっと行ってるうちに、ある旦那衆さ、御飯炊きに入ったんだど。
そして御飯炊きに入ったらば、昼間姥皮かぶっていっから、年寄で釜の火焚きなどばりしったんだど。
夜さなっじど、ちゃんと姥皮はずして、きれいになって寝っかったど。
そこば旦那衆の息子見つけたごんだど。そしてそいつを嫁にもらわんなねて言うたば、
「あがな年寄なだたて、嫁にもらう…」
て、親たちとても反対したんだって。
んだげんども、夜さなっど、きれいにええ女になっているもんだから、ほだから、息子惚れこんでしまったてよはぁ。そして息子は惚れこんで大病になったてよ。
大病になっどお医者さまに、
「ただの病気でない、恋のわずらいだから、この薬呑ませた者を嫁にすらっさい」
て、こう言わっだってよ。
まず纂(さん)置きにそう聞いたから、下女を蔵の中さ一人一人に、てんでに薬あずけてやったということだ。
そうすっど誰のでも、「飲まね、飲まね」て飲まねなだど。そして一番しまいに、
「ほら、ばばだ。こんどばば持って行け。誰も飲む人いね。こんどはばばだごで」
て言うて、ばばどさ、あずけてやったらば、ばばの薬、つるっと飲んだずも。
そうしたら、みんな手ンばたきぶって笑ったずも。んだごで。
そんなばばの薬飲んだて、手ンばたきして笑ったど。
御祝儀のとき、こんどちゃんと用意して出はって来たれば、すばらしいええ女であったど。
そしてそこの旦那衆のお嫁さまになって、そこで暮したど。
とーびんと。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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