日本語と縄文語(1)
今の日本語はどこから来たのか?
日本語の由来、語源などといわれる本などもあるが、ここには、ごく当たり前に呼んでいる個別の物を指す呼び名などの語源などは書かれていない。それはどこから来たのか?
また各地の地名なども地形を表すアイヌ語などが語源である場合が多いことも良く知られている。
ここでは縄文語を長年研究されてきた鈴木健さんのまとめた「日本語になった縄文語」という本から少しまとめていければと思う。
この本はあまり一般に売られている本ではないが、個人研究書と言ったもので、読み物としては一般受けしない。
手元に置いて気になる言語があった時にこの本を開いて調べてみることなどに活用させていただいている。
縄文語という言葉も定義があいまいだが、基本的には2~4万年も昔から日本列島に住んでいた原住民族(縄文人)が使っていた言葉とされ、弥生人により制圧された人々の言葉と解釈される。
これは今のアイヌ語とも少し違う。
鈴木健さんもこの本の冒頭に次のように書いています。
「アイヌ民族は縄文人の直系の子孫、本土人や琉球人は縄文人と渡来人の混血ということにはほとんど異論がなくなっています。
であれば、それは必ず言語面に反映されるはずで、アイヌ語は縄文語に遡り、日本語は縄文語にあとから渡来系言語が合流したものということになります。」
昔一時、アイヌ人は日本列島に住んでいた縄文人が弥生人(大和民族)により追いやられ、北海道に逃げ込んだというような解釈がされていました。
しかし、これは間違いで、日本列島にはたくさんの縄文人が1万年以上にわたり平和に暮らしており、そこに弥生人(渡来人)がやってきて一部は殺され、一部は苦役に追いやられ、また一部は弥生人と同化していって現在の日本人となった。
アイヌ人は蝦夷地としてこの弥生人の征圧進出が遅れ、現在も少数民族として生き延びているということではないでしょうか。
鈴木健さんはまた本書で、「アイヌ語は縄文語を受け継ぎ、日本語も縄文語を引き継いできた。ただ日本語の方が混血が進み、源流を見分けることが困難になってしまっている。」と述べています。
そのため、アイヌ語は昔の縄文語を紐解くヒントになるが、アイヌ語にも日本語から流入した言葉もあるのでこれを区別しながら地道に細かく分類し、日本語の源流を探っています。
これは相当根気のいる仕事だ。
この本に中も一人でこつこつと調べ、解釈を加えていった痕跡がにじみ出ている。
ただ、読み物として物語があるわけでもなく、言語を丹念に調べてメモのような形でまとめられた本であり、恐らく鈴木健さんの日本語の起源に対する自らの思いを、後の言語学者などが引き継いでほしいとの願いが込められているように思う。
私は現在の方言などもこの縄文語の解釈で意外にすっきりすることもあるのではないかと思っている。
東北地方と九州で同じ方言、呼び名があったり、日本海側と太平洋側での違いがどこから来るのかとか・・・・
すこしそこにヒントが隠されているかもしれないとも思うようになった。
民話なども日本各地に同じような話が少しずつその姿を変えて引き継がれていたりする。
縄文人が日本列島に住んで2万年以上? 弥生人がやってきて高々その10分の1の年月しかたっていない。
恐らくこの研究もこれから大分先に解明されていくのかもしれない。
まあ、このブログでこれから先、どこまで紹介できるかわからないし、内容が少しまとまらないと思うがのんびりと思いつくままに載せていければと思う。 間に別な記事を挟みながらの、とぎれとぎれの更新になると思いますが、左側のカテコリの下の方の「日本語と縄文語」をクリックしてもらえば最初から読めるようになると思う。
日本語の由来、語源などといわれる本などもあるが、ここには、ごく当たり前に呼んでいる個別の物を指す呼び名などの語源などは書かれていない。それはどこから来たのか?
また各地の地名なども地形を表すアイヌ語などが語源である場合が多いことも良く知られている。
ここでは縄文語を長年研究されてきた鈴木健さんのまとめた「日本語になった縄文語」という本から少しまとめていければと思う。
この本はあまり一般に売られている本ではないが、個人研究書と言ったもので、読み物としては一般受けしない。
手元に置いて気になる言語があった時にこの本を開いて調べてみることなどに活用させていただいている。
縄文語という言葉も定義があいまいだが、基本的には2~4万年も昔から日本列島に住んでいた原住民族(縄文人)が使っていた言葉とされ、弥生人により制圧された人々の言葉と解釈される。
これは今のアイヌ語とも少し違う。
鈴木健さんもこの本の冒頭に次のように書いています。
「アイヌ民族は縄文人の直系の子孫、本土人や琉球人は縄文人と渡来人の混血ということにはほとんど異論がなくなっています。
であれば、それは必ず言語面に反映されるはずで、アイヌ語は縄文語に遡り、日本語は縄文語にあとから渡来系言語が合流したものということになります。」
昔一時、アイヌ人は日本列島に住んでいた縄文人が弥生人(大和民族)により追いやられ、北海道に逃げ込んだというような解釈がされていました。
しかし、これは間違いで、日本列島にはたくさんの縄文人が1万年以上にわたり平和に暮らしており、そこに弥生人(渡来人)がやってきて一部は殺され、一部は苦役に追いやられ、また一部は弥生人と同化していって現在の日本人となった。
アイヌ人は蝦夷地としてこの弥生人の征圧進出が遅れ、現在も少数民族として生き延びているということではないでしょうか。
鈴木健さんはまた本書で、「アイヌ語は縄文語を受け継ぎ、日本語も縄文語を引き継いできた。ただ日本語の方が混血が進み、源流を見分けることが困難になってしまっている。」と述べています。
そのため、アイヌ語は昔の縄文語を紐解くヒントになるが、アイヌ語にも日本語から流入した言葉もあるのでこれを区別しながら地道に細かく分類し、日本語の源流を探っています。
これは相当根気のいる仕事だ。
この本に中も一人でこつこつと調べ、解釈を加えていった痕跡がにじみ出ている。
ただ、読み物として物語があるわけでもなく、言語を丹念に調べてメモのような形でまとめられた本であり、恐らく鈴木健さんの日本語の起源に対する自らの思いを、後の言語学者などが引き継いでほしいとの願いが込められているように思う。
私は現在の方言などもこの縄文語の解釈で意外にすっきりすることもあるのではないかと思っている。
東北地方と九州で同じ方言、呼び名があったり、日本海側と太平洋側での違いがどこから来るのかとか・・・・
すこしそこにヒントが隠されているかもしれないとも思うようになった。
民話なども日本各地に同じような話が少しずつその姿を変えて引き継がれていたりする。
縄文人が日本列島に住んで2万年以上? 弥生人がやってきて高々その10分の1の年月しかたっていない。
恐らくこの研究もこれから大分先に解明されていくのかもしれない。
まあ、このブログでこれから先、どこまで紹介できるかわからないし、内容が少しまとまらないと思うがのんびりと思いつくままに載せていければと思う。 間に別な記事を挟みながらの、とぎれとぎれの更新になると思いますが、左側のカテコリの下の方の「日本語と縄文語」をクリックしてもらえば最初から読めるようになると思う。
アイヌ語も一枚岩ではないようで、言葉も彼らの中では地方により少し違っているようです。
鈴木健さんがどのように調べられたのかは分りませんが、アイヌ語辞典などはあるのそれはもちろんベースにあって、それ以外もかなり細かく見たり読んだりされているようです。
ただ地元石岡にお住まいの方ですが、学校の教師だった世界からは少し距離を置いて見られています。
教育委員会などというまった本物を幹分けようとしない組織が、まだまだこの地で大きな顔をして世間知らずなことを平気でやっています。
まあどこの町でも似たような事はあるのでしょうが・・・。
折角まとめてこられたのが今のままだと埋もれてしまいます。
きっとここにも皆さんにも面白いテーマが隠れていると思います。