日本語と縄文語(4) 神、熊
さて、このシリーズも4回目ですが、どこまで内容が理解出来るのでしょうか。 今から心配です。
前回「かび」は【ka 表面 mu ふさがる】⇒ アイヌ語で kamu はかぶさるとか覆うという意味に +【i もの】をつけたものと説明しました。
皆さんもよく知っているアイヌ語にはカムイ=神がありますよね。
私もこれ位しかわかりません。
ではなぜカムイ=kamuyが神になるのでしょうか?
一般にアイヌ語では 【kamuy】は神格をもったいろいろなものに使われているようです。
時には人間であったり、獣や、生き物以外でも・・・・
これを縄文語(分解された言葉)で解釈し、今の日本語とも比べてみていくようです。
【kamuy】 ⇒ 【kami=神】となったのは、万葉かなのミの発音からもこの転化は読み取れるといいます。
【kamu かぶさる、覆う】は、天を覆って上から覆いかぶすことであり、上空に暗雲が立ち込め、そこには雷や魔が潜み、魔神の仕業と思ったのではないかという。
元々古くは kamuy は「魔」の意味だったといいます。
一方 「熊」は、立ち上がって人に覆いかぶさるもので、魔神のような存在だったのでしょう。
【kumuy】 ⇒ 【kuma 熊】 となったと考えられるというのです。
少し説明を加えると、「羆(ひぐま)」は平安時代の辞書である和名抄による読み方は、「之久萬」と書かれており、素直に読めば「しくま」となります。
これもアイヌ語で、【si 真の 本当の 大きな】熊となります。
このsがhに転化して「ひぐま」となったと考えられます。
本州には現在ツキノワグマしか生息していないが、昔(旧石器時代)は北海道以外にもヒグマは生息していたのです。

また、これに関して「かま」という言葉を調べてみましょう。
【ka 上】+【mu ふさがっている】+【a すわっている】⇒ 「kama かま」
から考えられる方言などです。
1)山口大島では「巣籠り」することを 「かまる」といいます。これは「籠もる こもる」に通じます。
2)愛媛大三島、熊本、静岡では 「かま=穴」の事を指します。
3)秋田鹿角、茨城久慈、山梨、徳島祖谷、高知では 「かま=川底のえぐれ」をいいます。
4)三重、和歌山東牟婁(ひがしむろ)、宮崎都城、鹿児島、沖縄、千葉一宮では「がま=岩穴、洞窟、崖のえぐれているところなど」を言います。
また、噴火口の事を「おかま=お釜」というのは普通に使います。
このように【kamu かぶさる 覆う】から派生した日本各地の方言はたくさんありそうです。
どうですか? 少し理解できそうですか。
私はまだまだ理解はできていません。
ただこれを「こじ付け」だとか、「いいかげん」だなどとは思えません。
なぜなら今の日本語のルーツはまだ解明できていないからです。
この「日本語になった縄文語」という本が、そのルーツ(標準語、方言など)を解明する手がかりになるかもしれません。
ここに書かれているように元々あった縄文語が都合よく「転音」したり、「置換」されたりするかということがネックなのですが、これについても古書をあさり、方言を紐解き検証を重ねるのはかなりのご苦労があったと思います。
わたしがここで取り上げている内容も、あまり理解できていないところで書いていますので間違った表現も多々あると思います。
なにしろこの日本列島には1~2万年ものあいだ縄文人たちと呼ばれる人々が争いごともなく住んでいたのですから。
日本の歴史学で習うことは、その表面的に見つかった道具や骨などからしか推察していないのですから・・・・。
この先もう少し本を紐解いてみましょう。
鈴木健先生が書かれた本以外にも「縄文語」に関する本はあります。
恐らくそちらの方が読みやすいでしょう。
色々な言葉がこれから徐々に解明していくのでしょうが、現在もまだ言語学の立場からはこの縄文語は亜流としてしか見られていないと思います。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
前回「かび」は【ka 表面 mu ふさがる】⇒ アイヌ語で kamu はかぶさるとか覆うという意味に +【i もの】をつけたものと説明しました。
皆さんもよく知っているアイヌ語にはカムイ=神がありますよね。
私もこれ位しかわかりません。
ではなぜカムイ=kamuyが神になるのでしょうか?
一般にアイヌ語では 【kamuy】は神格をもったいろいろなものに使われているようです。
時には人間であったり、獣や、生き物以外でも・・・・
これを縄文語(分解された言葉)で解釈し、今の日本語とも比べてみていくようです。
【kamuy】 ⇒ 【kami=神】となったのは、万葉かなのミの発音からもこの転化は読み取れるといいます。
【kamu かぶさる、覆う】は、天を覆って上から覆いかぶすことであり、上空に暗雲が立ち込め、そこには雷や魔が潜み、魔神の仕業と思ったのではないかという。
元々古くは kamuy は「魔」の意味だったといいます。
一方 「熊」は、立ち上がって人に覆いかぶさるもので、魔神のような存在だったのでしょう。
【kumuy】 ⇒ 【kuma 熊】 となったと考えられるというのです。
少し説明を加えると、「羆(ひぐま)」は平安時代の辞書である和名抄による読み方は、「之久萬」と書かれており、素直に読めば「しくま」となります。
これもアイヌ語で、【si 真の 本当の 大きな】熊となります。
このsがhに転化して「ひぐま」となったと考えられます。
本州には現在ツキノワグマしか生息していないが、昔(旧石器時代)は北海道以外にもヒグマは生息していたのです。

また、これに関して「かま」という言葉を調べてみましょう。
【ka 上】+【mu ふさがっている】+【a すわっている】⇒ 「kama かま」
から考えられる方言などです。
1)山口大島では「巣籠り」することを 「かまる」といいます。これは「籠もる こもる」に通じます。
2)愛媛大三島、熊本、静岡では 「かま=穴」の事を指します。
3)秋田鹿角、茨城久慈、山梨、徳島祖谷、高知では 「かま=川底のえぐれ」をいいます。
4)三重、和歌山東牟婁(ひがしむろ)、宮崎都城、鹿児島、沖縄、千葉一宮では「がま=岩穴、洞窟、崖のえぐれているところなど」を言います。
また、噴火口の事を「おかま=お釜」というのは普通に使います。
このように【kamu かぶさる 覆う】から派生した日本各地の方言はたくさんありそうです。
どうですか? 少し理解できそうですか。
私はまだまだ理解はできていません。
ただこれを「こじ付け」だとか、「いいかげん」だなどとは思えません。
なぜなら今の日本語のルーツはまだ解明できていないからです。
この「日本語になった縄文語」という本が、そのルーツ(標準語、方言など)を解明する手がかりになるかもしれません。
ここに書かれているように元々あった縄文語が都合よく「転音」したり、「置換」されたりするかということがネックなのですが、これについても古書をあさり、方言を紐解き検証を重ねるのはかなりのご苦労があったと思います。
わたしがここで取り上げている内容も、あまり理解できていないところで書いていますので間違った表現も多々あると思います。
なにしろこの日本列島には1~2万年ものあいだ縄文人たちと呼ばれる人々が争いごともなく住んでいたのですから。
日本の歴史学で習うことは、その表面的に見つかった道具や骨などからしか推察していないのですから・・・・。
この先もう少し本を紐解いてみましょう。
鈴木健先生が書かれた本以外にも「縄文語」に関する本はあります。
恐らくそちらの方が読みやすいでしょう。
色々な言葉がこれから徐々に解明していくのでしょうが、現在もまだ言語学の立場からはこの縄文語は亜流としてしか見られていないと思います。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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