日本語と縄文語(14) 海(アトイ)と沼(トー)や岩
アイヌ語で海は【atuy アトイ】であり、沼や湖、沼は【to トー】という。
【atuy】 = 【a われわれの tu 古い、元の i 所】
・・・ 海を眺め、昔の故郷が海の向こうにあると感じた呼び名か?
万葉集 巻二 220 (讃岐國 狭岑(さみね)の島の石室の中に 死せる流刑囚を見て柿本朝臣人麻呂が作った歌) の中に
跡位浪立(とゐ波立ち : とゐなみたち)
邊見者(辺見れば : へみれば)
白浪散動(白波騒く : しらなみさわく)
と出てくる。
意味とすれば、「沖に大波がうねり 岸辺に白波さわぐ 」という意味と解釈されている。
ただ、この「跡位」は「とゐ」と読ませているが「アトイ 海」のことだ。 そのため読みも「あとい(ゐ)」でよいという。
【atuy ⇒ atuwi アトヰ ⇒ 跡位】となったものだが、後からは意味が取れなくなっていたらしい。
「定本万葉集(佐々木信綱 武田祐吉)」には「古くはアトヰナミタチと読んでゐたものである」となっていたが、「アトヰ」の意味が不明のため「「トヰ とゐ」と読ませたものが今も使われてしまっている。
日本語の「うみ 海」ははっきりしないが 『oho 大』+『mi 水』 であろう。
沖縄の方言で 大きいは「うふ uhu」という これがoho に変わり 大(おほ)となったものではないか?
甑(こしき)島の方言で海をオーミといっており、これは「大きい水」からやはりきている呼び名に違いない。
また、福岡を中心とした古代海人族に『安曇(あづみ)族』がいるが、彼らは日本海の糸魚川より姫川を遡って信州の安曇野(あづみの)にも移り住んだ事で知られている.
この安曇(あづみ)もこの「アトー atuy 海」から派生した言葉ではないかという。
<日本語に「tu」の発音がなく、アツミ(atsumi)やアト(ato)に変化した?>
さて、もう一つアイヌ語で沼や湖を指す【to トー】も昔は海を指す言葉だったと考えられるという。
海辺で生活していた人々(縄文人)が野山に入っていって生活をするようになり、沼や湖を 海と同じく【to トー】というようになった。
沖縄では大海原を【ウフ(大) トー(海)】と呼んでいる。
海を意味すると思われる地名は
土佐 : 【to 海 + sa 浜】
富賀(とか)浜(三宅島) : 【to 海 + ka 岸】
利根川 : 【to 沼 + ne になる、のようである】
戸畑(福岡) : 【to 海の + pa ふちの + ta ところ】
能登(のと) : 【noto 良い、おだやかな + to 海】
沖縄で沖合いや海上を意味する言葉に「となか」があり、古事記には「となかのいくり」の表現がある。
『いくり ikuri】 は海中にある岩や石の事を指す。
また、アイヌ語で
【suma スマ = 石、岩】 であるので【suma ⇒ sima 島 】?
昔の人(縄文人)は海に突き出した岩を島といっていたと思われる。
兵庫県明石市の須磨浦は源氏物語などに出てくるほどの白砂青松のきれいな海岸といわれていますが、すぐその山側にはダイナミックな岩場が連続して入り組んだ地形となっています。

(須磨アルプス 馬の背)
須磨観光協会のHPによれば、「須磨の語源は、畿内の平地の「すみ」というところから、「すみ」がなまって「すま」になったととか、諏訪(すわ)神社の「すわ」がなまって「すま」になったなどの説もあります。」となっています。
しかし、これが今のアイヌ語の【suma 岩、石】で理解出来るのですから、やはり古代の縄文語からできた言葉でしょう。
今ではこの岩場と海岸の岩礁との狭い地域にたくさんの住宅がびっしりと建っています。
また 岩には別なアイヌ語もあり、
【sirar(岩、大きな石)、 cis(岩)、so(平岩)】の他に、【iwa いわ】がある。
この【iwa】は「岩、岩山、丘、岡、山地」などの意味で、【iwak (野良)仕事から戻る】などに使うので、仕事をする場所が山のほうにあったということだろう。これが今の日本語にそのまま伝わったものか?
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
【atuy】 = 【a われわれの tu 古い、元の i 所】
・・・ 海を眺め、昔の故郷が海の向こうにあると感じた呼び名か?
万葉集 巻二 220 (讃岐國 狭岑(さみね)の島の石室の中に 死せる流刑囚を見て柿本朝臣人麻呂が作った歌) の中に
跡位浪立(とゐ波立ち : とゐなみたち)
邊見者(辺見れば : へみれば)
白浪散動(白波騒く : しらなみさわく)
と出てくる。
意味とすれば、「沖に大波がうねり 岸辺に白波さわぐ 」という意味と解釈されている。
ただ、この「跡位」は「とゐ」と読ませているが「アトイ 海」のことだ。 そのため読みも「あとい(ゐ)」でよいという。
【atuy ⇒ atuwi アトヰ ⇒ 跡位】となったものだが、後からは意味が取れなくなっていたらしい。
「定本万葉集(佐々木信綱 武田祐吉)」には「古くはアトヰナミタチと読んでゐたものである」となっていたが、「アトヰ」の意味が不明のため「「トヰ とゐ」と読ませたものが今も使われてしまっている。
日本語の「うみ 海」ははっきりしないが 『oho 大』+『mi 水』 であろう。
沖縄の方言で 大きいは「うふ uhu」という これがoho に変わり 大(おほ)となったものではないか?
甑(こしき)島の方言で海をオーミといっており、これは「大きい水」からやはりきている呼び名に違いない。
また、福岡を中心とした古代海人族に『安曇(あづみ)族』がいるが、彼らは日本海の糸魚川より姫川を遡って信州の安曇野(あづみの)にも移り住んだ事で知られている.
この安曇(あづみ)もこの「アトー atuy 海」から派生した言葉ではないかという。
<日本語に「tu」の発音がなく、アツミ(atsumi)やアト(ato)に変化した?>
さて、もう一つアイヌ語で沼や湖を指す【to トー】も昔は海を指す言葉だったと考えられるという。
海辺で生活していた人々(縄文人)が野山に入っていって生活をするようになり、沼や湖を 海と同じく【to トー】というようになった。
沖縄では大海原を【ウフ(大) トー(海)】と呼んでいる。
海を意味すると思われる地名は
土佐 : 【to 海 + sa 浜】
富賀(とか)浜(三宅島) : 【to 海 + ka 岸】
利根川 : 【to 沼 + ne になる、のようである】
戸畑(福岡) : 【to 海の + pa ふちの + ta ところ】
能登(のと) : 【noto 良い、おだやかな + to 海】
沖縄で沖合いや海上を意味する言葉に「となか」があり、古事記には「となかのいくり」の表現がある。
『いくり ikuri】 は海中にある岩や石の事を指す。
また、アイヌ語で
【suma スマ = 石、岩】 であるので【suma ⇒ sima 島 】?
昔の人(縄文人)は海に突き出した岩を島といっていたと思われる。
兵庫県明石市の須磨浦は源氏物語などに出てくるほどの白砂青松のきれいな海岸といわれていますが、すぐその山側にはダイナミックな岩場が連続して入り組んだ地形となっています。

(須磨アルプス 馬の背)
須磨観光協会のHPによれば、「須磨の語源は、畿内の平地の「すみ」というところから、「すみ」がなまって「すま」になったととか、諏訪(すわ)神社の「すわ」がなまって「すま」になったなどの説もあります。」となっています。
しかし、これが今のアイヌ語の【suma 岩、石】で理解出来るのですから、やはり古代の縄文語からできた言葉でしょう。
今ではこの岩場と海岸の岩礁との狭い地域にたくさんの住宅がびっしりと建っています。
また 岩には別なアイヌ語もあり、
【sirar(岩、大きな石)、 cis(岩)、so(平岩)】の他に、【iwa いわ】がある。
この【iwa】は「岩、岩山、丘、岡、山地」などの意味で、【iwak (野良)仕事から戻る】などに使うので、仕事をする場所が山のほうにあったということだろう。これが今の日本語にそのまま伝わったものか?
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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