日本語と縄文語(15) 峠
この日本語と縄文語シリーズも新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が4月末から延長になった時から始めた。
毎日書き続けて昨日で2週間。
そして、ようやく宣言が解除となったのだからそろそろ終えても良いころかもしれない。
ステイホームといっても、定年後はいつも似たような生活をしているのだからそれほど変わらない。
しかし、それでもやはり気持ちが解放されないのは徐々に辛くなる。
解除とはなったがしばらくは用心しながら生活せざるを得ないだろう。うっかり油断はやはり禁物だろう。
昨日街中を車で通ったが、解除になった途端、いつも人のいない街中にもカメラを携えた観光客らしき人がチラホラ・・・・
ご夫婦で看板建築などを見物? まだ少し怖い気もする・・・
ただ、このシリーズももう少し続けたいと思う。
私の目的は、自分の理解と資料の整理で、後からきっとやった思い出が蘇るはず。
今回は、私は縄文語というのを最初に意識するようになった言葉を取り上げたい。
それは『峠(とうげ)』についてである。

(道祖神峠 石岡市-笠間市)
この『峠』という漢字は日本で作られた漢字で、山の上と下だから峠(とうげ)とすぐ分る。平安時代頃(1484年初見)に作られたものだそうだ。
そのほかに茨城県には多い名字の「圷(あくつ)」も読み【アクツ】があり、山の下の低地を指しているので、塙(はなわ)に対して、この「圷」の漢字が作られたようだ。
まあアクツについては柳田國男の「地名の研究」に詳しく書かれている。
さて、峠の方だが、古語辞典や語源辞典などには『峠』の語源については
「峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。」
とほぼ、どの辞典も共通である。
山の鞍部は向こう側に越すところで、その峠を越えると別な世界(地域)への思いを新たにして、道祖神などを祀り、手を合わせた。 それが語源だということも理解はできる。
しかし、「とうげ」という言葉は、この漢字「峠」が作られた平安時代よりずっと前からあるのではないかということだろう。
鈴木健氏の『日本語になった縄文語』によると、
【taor 低い所(ra低い+or所の転)】が言葉のもとではないかという。
峠のことを「タオ」という所・・・鳥取岩美・島根・広島・山口・徳島・高知・宮崎椎葉・熊本球磨・肥後菊地
「ター」という所・・・愛知県来た信楽(鞍部)
「タワ」という所・・・佐渡・三河・岡山・鳥取・島根・徳島祖谷
など
また、栃木と茨城の県境(県道205号線)に「関ノ田和(たわ)峠」という峠がある。
ただし、現在は車でこの峠を通る事はなく、下に「茶の里トンネル」というトンネルが完成している。
さらに、出雲の古事記伝には「峠を凡て多和(たわ)と云う」と書かれている。
多くの場所で峠は「タワ」「タオ」などと呼ばれていることがわかる。
そして、この呼び名はかなり広範囲に広がっている。
撓む(タワム)や果実の実などがたくさん実って、枝が「タワワ」に実るなどというのも同じ言葉の語源と考えられる。
さらに、古語辞典に「【たをり】・・・山の鞍部、鹿や猪などの山越えの通路」がある。
このタヲリもタワと同じような意味で使われており、これが「通り」というように変わったのではないかと考えられるという。
私は以前にも茨城県北部の美和から大子へ抜ける山越えの峠に「タバッコ峠」という変わった名前があり、これも「タワ」が語源ではないかと書いたことがあります。
地元の美和村史などではタバコの栽培も多く、昔親鸞上人の孫の「如信」がこの峠を越えた時に「タバコを一服して休憩した」などという説を紹介していた。
まあ地名なども謂れがわからないとまあいろいろな説を並べるものだが、その解釈の一つにこの縄文語を加える事も忘れないで欲しい。きっと目からウロコの名前も見つかるのではないだろうか?
ただ、この「タワ」「タオ」などがアイヌ語と考えられるかというとそうとは限らない
アイヌ語で「峠」を引くと【rucis】とある。 【ru 道、ちょっとした + cis 泣く】などと分解してみても解釈は分かれそうだ。
また、tao や tawa などを探してみてもそれらしき言葉は見つからない。
鈴木健さんの本では 【ra 低い or 所】から転じて【taor】となり、【tao】などに変化したという。
この語の変化については、いろいろな言葉の変換を研究されています。
私にはこの変化は良くわからないが、 撓む(タワム) や たわわに実る などと、いうイメージと、山の鞍部である峠のイメージがよく一致していることです。

(献上柿の里 石岡市真家地区)
「手向ける」が語源だとすると「撓む」などの言葉はどこから発生したのでしょうか。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
毎日書き続けて昨日で2週間。
そして、ようやく宣言が解除となったのだからそろそろ終えても良いころかもしれない。
ステイホームといっても、定年後はいつも似たような生活をしているのだからそれほど変わらない。
しかし、それでもやはり気持ちが解放されないのは徐々に辛くなる。
解除とはなったがしばらくは用心しながら生活せざるを得ないだろう。うっかり油断はやはり禁物だろう。
昨日街中を車で通ったが、解除になった途端、いつも人のいない街中にもカメラを携えた観光客らしき人がチラホラ・・・・
ご夫婦で看板建築などを見物? まだ少し怖い気もする・・・
ただ、このシリーズももう少し続けたいと思う。
私の目的は、自分の理解と資料の整理で、後からきっとやった思い出が蘇るはず。
今回は、私は縄文語というのを最初に意識するようになった言葉を取り上げたい。
それは『峠(とうげ)』についてである。

(道祖神峠 石岡市-笠間市)
この『峠』という漢字は日本で作られた漢字で、山の上と下だから峠(とうげ)とすぐ分る。平安時代頃(1484年初見)に作られたものだそうだ。
そのほかに茨城県には多い名字の「圷(あくつ)」も読み【アクツ】があり、山の下の低地を指しているので、塙(はなわ)に対して、この「圷」の漢字が作られたようだ。
まあアクツについては柳田國男の「地名の研究」に詳しく書かれている。
さて、峠の方だが、古語辞典や語源辞典などには『峠』の語源については
「峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。」
とほぼ、どの辞典も共通である。
山の鞍部は向こう側に越すところで、その峠を越えると別な世界(地域)への思いを新たにして、道祖神などを祀り、手を合わせた。 それが語源だということも理解はできる。
しかし、「とうげ」という言葉は、この漢字「峠」が作られた平安時代よりずっと前からあるのではないかということだろう。
鈴木健氏の『日本語になった縄文語』によると、
【taor 低い所(ra低い+or所の転)】が言葉のもとではないかという。
峠のことを「タオ」という所・・・鳥取岩美・島根・広島・山口・徳島・高知・宮崎椎葉・熊本球磨・肥後菊地
「ター」という所・・・愛知県来た信楽(鞍部)
「タワ」という所・・・佐渡・三河・岡山・鳥取・島根・徳島祖谷
など
また、栃木と茨城の県境(県道205号線)に「関ノ田和(たわ)峠」という峠がある。
ただし、現在は車でこの峠を通る事はなく、下に「茶の里トンネル」というトンネルが完成している。
さらに、出雲の古事記伝には「峠を凡て多和(たわ)と云う」と書かれている。
多くの場所で峠は「タワ」「タオ」などと呼ばれていることがわかる。
そして、この呼び名はかなり広範囲に広がっている。
撓む(タワム)や果実の実などがたくさん実って、枝が「タワワ」に実るなどというのも同じ言葉の語源と考えられる。
さらに、古語辞典に「【たをり】・・・山の鞍部、鹿や猪などの山越えの通路」がある。
このタヲリもタワと同じような意味で使われており、これが「通り」というように変わったのではないかと考えられるという。
私は以前にも茨城県北部の美和から大子へ抜ける山越えの峠に「タバッコ峠」という変わった名前があり、これも「タワ」が語源ではないかと書いたことがあります。
地元の美和村史などではタバコの栽培も多く、昔親鸞上人の孫の「如信」がこの峠を越えた時に「タバコを一服して休憩した」などという説を紹介していた。
まあ地名なども謂れがわからないとまあいろいろな説を並べるものだが、その解釈の一つにこの縄文語を加える事も忘れないで欲しい。きっと目からウロコの名前も見つかるのではないだろうか?
ただ、この「タワ」「タオ」などがアイヌ語と考えられるかというとそうとは限らない
アイヌ語で「峠」を引くと【rucis】とある。 【ru 道、ちょっとした + cis 泣く】などと分解してみても解釈は分かれそうだ。
また、tao や tawa などを探してみてもそれらしき言葉は見つからない。
鈴木健さんの本では 【ra 低い or 所】から転じて【taor】となり、【tao】などに変化したという。
この語の変化については、いろいろな言葉の変換を研究されています。
私にはこの変化は良くわからないが、 撓む(タワム) や たわわに実る などと、いうイメージと、山の鞍部である峠のイメージがよく一致していることです。

(献上柿の里 石岡市真家地区)
「手向ける」が語源だとすると「撓む」などの言葉はどこから発生したのでしょうか。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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