日本語と縄文語(16) 東西南北、右左
縄文人たちは東西南北という方向表現はあまり発達していなかったようだ。
これは東西に長い日本列島で、その住む場所により方角が変わってくることによるのかもしれない。
アイヌ語では 東は【chupka】という 【chup 月、太陽 + ka 上】であり「日の出る方向」であろう。
(chupはcupという表現のアイヌ語辞典もある。 また、 Chupka(Cupka)は北海道の東にあるので千島列島の固有名詞でもある。
この千島列島は昔、アイヌ民族の土地であった。)
前に書いたが 昼間に円く光るものが太陽であり、夜、円く空にあるのが月である。
(chupはcupという表現のアイヌ語辞典もある)

一方 西は【chuppok (cuppok,cupok) = chup 太陽+ pok 下】 で、「日の沈む方向」となる。
これは沖縄(琉球)の言葉も同じで、『沖縄民俗辞典』『(渡邊 欣雄、吉川弘文館、2008年)によれば
東は「アガリ」、 西は「イリ」で太陽の出と入りで表されたという
(古くは「アガルヘ」「アガルイ」「イリヘ」「イルイ」と方向を指す「ヘ」や「イ」がついた(沖縄古語大辞典:角川書店))
一方南北表現はアイヌ語、琉球語共にあいまいで、
matnaw 北 matnawrera 北風
pitaka 南 pitakarera 南風
と風の方向的な表現が使われていて、はっきりと方角を指す表現が見つからない。
琉球語では
北 : ニシ
南 : ペー、フェー、ハヘ、ハイ
などといい、やはり風の方向性と関係しているようだ。
説明では
1)ニシ、ペー(フェー)は風の名称と同じであり、季節風の動きによって方位名が形成された
ハイ(南)は西南日本に広く南風の風位語である
2)北をニシというのは「イニシ(去にし)が語源(説)
などとあるが、こちらもはっきりしない。
今では沖縄では北はニシといったというのが一般的な解釈になっている。
これは日本語の「西」が沖縄では「北」を指していると解釈されている。
ここで、鈴木健さんの日本語になった縄文語を見てみる。
まず「南北」については説明されていない。
東(ヒガシ)の語源はアイヌ語から【chupka 東】または【chupkasi 東】の言葉より
【chup 日、月】⇒【tuki】 となり『月』となった。
また、【her 光】⇒【hir ⇒hi】 で『日』となったとすれば、
【chupkasi ⇒ higa+si 】 で『東』となったのではないかという。
また沖縄では東恩納:ヒジャウンナ、比嘉:ヒジャ、比謝:ヒジャと言っており、東をヒジャ といっていることから
【沖縄 ヒジャイ 左】から『左 ヒダリ』という言葉が生れたのではないかと推察しています。
琉球(沖縄)で、東を「あがり」と言っているが、これも【a われら+ka の上 + ri 高くなる +i もの】ではないかとも言う。
一方「西 にし」の語源だが、
【niusi 森】(ni 木 us ~が群生している i 所)から西 ニシ になったと推察している。
そうすると琉球(沖縄)で北を「ニシ」といっているのは、那覇周辺で考えると首里城の北側に大きな森や木が群生しており、これを「ニシ」と表現したものかもしれない。
「栖」という漢字も鳥の棲みかの意味からきており、西の方向に木の多い棲みかがあったことを示している。
沖縄・九州では「原」を「バル」と読む地名がたくさんあるが、首里城の北に「西原」があり、この西は北の琉球方言で、原は「ハラ」で「ニシハラ」と読ませている。しかしこの地名はけしって新しい言葉ではなく、古くから呼ばれていた地名です。
この「原」については明日にでも検証してみたいと思います。
さて、左(ヒダリ)については「ヒガシ」の語源説から説明していますが、右(ミギ)についても「ニシ」の語源説から説明されています。右を呼ぶ呼び名も各地の方言でさまざまあります。
・ニジリ・・・沖縄首里
・ニギリ・・・岩手九戸、秋田、山形、愛知海部、長野ニシ筑摩、石川
・ミギリ・・・奥羽、千葉印旛、中部、近畿、奄美大島
これらの語の変化が起こっていることを考えれば「niusi 森、林」が「ニシ(西)」へ変化し、「ミギ(右)」に変化したことも容易に想像できるという。
このことから推察すると、東海岸にすむ人たちが 東は海から太陽がのぼり、西に森はあり、日が沈み、鳥のねぐらがある方向と考えていたころの言葉が人々が移動しても同じように使っているのかもしれない。
東(アズマ)については 【atuy 海 + pa 頭、、先、かみて】が語源ではないかという。列島の太平洋岸で日の出る方向は、東にあり、そこにある土地(国)を「アヅマ」と呼び、東国での竪穴住居を四阿(アズマヤ)と呼んだのではないかと言う。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
これは東西に長い日本列島で、その住む場所により方角が変わってくることによるのかもしれない。
アイヌ語では 東は【chupka】という 【chup 月、太陽 + ka 上】であり「日の出る方向」であろう。
(chupはcupという表現のアイヌ語辞典もある。 また、 Chupka(Cupka)は北海道の東にあるので千島列島の固有名詞でもある。
この千島列島は昔、アイヌ民族の土地であった。)
前に書いたが 昼間に円く光るものが太陽であり、夜、円く空にあるのが月である。
(chupはcupという表現のアイヌ語辞典もある)

一方 西は【chuppok (cuppok,cupok) = chup 太陽+ pok 下】 で、「日の沈む方向」となる。
これは沖縄(琉球)の言葉も同じで、『沖縄民俗辞典』『(渡邊 欣雄、吉川弘文館、2008年)によれば
東は「アガリ」、 西は「イリ」で太陽の出と入りで表されたという
(古くは「アガルヘ」「アガルイ」「イリヘ」「イルイ」と方向を指す「ヘ」や「イ」がついた(沖縄古語大辞典:角川書店))
一方南北表現はアイヌ語、琉球語共にあいまいで、
matnaw 北 matnawrera 北風
pitaka 南 pitakarera 南風
と風の方向的な表現が使われていて、はっきりと方角を指す表現が見つからない。
琉球語では
北 : ニシ
南 : ペー、フェー、ハヘ、ハイ
などといい、やはり風の方向性と関係しているようだ。
説明では
1)ニシ、ペー(フェー)は風の名称と同じであり、季節風の動きによって方位名が形成された
ハイ(南)は西南日本に広く南風の風位語である
2)北をニシというのは「イニシ(去にし)が語源(説)
などとあるが、こちらもはっきりしない。
今では沖縄では北はニシといったというのが一般的な解釈になっている。
これは日本語の「西」が沖縄では「北」を指していると解釈されている。
ここで、鈴木健さんの日本語になった縄文語を見てみる。
まず「南北」については説明されていない。
東(ヒガシ)の語源はアイヌ語から【chupka 東】または【chupkasi 東】の言葉より
【chup 日、月】⇒【tuki】 となり『月』となった。
また、【her 光】⇒【hir ⇒hi】 で『日』となったとすれば、
【chupkasi ⇒ higa+si 】 で『東』となったのではないかという。
また沖縄では東恩納:ヒジャウンナ、比嘉:ヒジャ、比謝:ヒジャと言っており、東をヒジャ といっていることから
【沖縄 ヒジャイ 左】から『左 ヒダリ』という言葉が生れたのではないかと推察しています。
琉球(沖縄)で、東を「あがり」と言っているが、これも【a われら+ka の上 + ri 高くなる +i もの】ではないかとも言う。
一方「西 にし」の語源だが、
【niusi 森】(ni 木 us ~が群生している i 所)から西 ニシ になったと推察している。
そうすると琉球(沖縄)で北を「ニシ」といっているのは、那覇周辺で考えると首里城の北側に大きな森や木が群生しており、これを「ニシ」と表現したものかもしれない。
「栖」という漢字も鳥の棲みかの意味からきており、西の方向に木の多い棲みかがあったことを示している。
沖縄・九州では「原」を「バル」と読む地名がたくさんあるが、首里城の北に「西原」があり、この西は北の琉球方言で、原は「ハラ」で「ニシハラ」と読ませている。しかしこの地名はけしって新しい言葉ではなく、古くから呼ばれていた地名です。
この「原」については明日にでも検証してみたいと思います。
さて、左(ヒダリ)については「ヒガシ」の語源説から説明していますが、右(ミギ)についても「ニシ」の語源説から説明されています。右を呼ぶ呼び名も各地の方言でさまざまあります。
・ニジリ・・・沖縄首里
・ニギリ・・・岩手九戸、秋田、山形、愛知海部、長野ニシ筑摩、石川
・ミギリ・・・奥羽、千葉印旛、中部、近畿、奄美大島
これらの語の変化が起こっていることを考えれば「niusi 森、林」が「ニシ(西)」へ変化し、「ミギ(右)」に変化したことも容易に想像できるという。
このことから推察すると、東海岸にすむ人たちが 東は海から太陽がのぼり、西に森はあり、日が沈み、鳥のねぐらがある方向と考えていたころの言葉が人々が移動しても同じように使っているのかもしれない。
東(アズマ)については 【atuy 海 + pa 頭、、先、かみて】が語源ではないかという。列島の太平洋岸で日の出る方向は、東にあり、そこにある土地(国)を「アヅマ」と呼び、東国での竪穴住居を四阿(アズマヤ)と呼んだのではないかと言う。
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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