日本語と縄文語(20) 油置売(あぶらおきめ)は山姥か?
常陸國風土記の新治郡の記述に
『郡家より東五十里のところに、笠間の村がある。 村へ通ふには葦穂山を越えねばならない。
古老の言うには、葦穂山には昔、山賊がいて、名前を油置売(あぶらおきめ)命という。
今は森の中の社の石屋の中に眠っている。
こんな俗謡もある。
< 言痛(こちた)けば をはつせ山の 石城にも 率て篭もらなむ な恋ひそ我妹わぎも >
(もし二人の仲を人に知られて辛くなれば、小初瀬山の石室に、あなたを連れて行って一緒に籠もりましょう。だからそんなに恋焦がれないでおくれ、私の恋人よ。) 』
この小初瀬山は、葦穂山であり、筑波山から加波山への尾根の途中にある、現在の足尾山です。
この足尾山に奈良朝の初めころに石室(岩窟?)があり、言い伝えでは、そこに昔、油置売(あぶらおきめ)という山賊が籠もっていたといわれていたようです。そして当時この石室がまだ残っていたようです。
まあ、命(みこと)でもあり、歌にまでうたわれるくらいですから、当時(奈良時代初期)もまだこの石室の中に眠っているといわれていたのかもしれません。
表現は山賊となっていますので、いわゆる現地人(縄文人)の長で、名前からすれば年をとったお婆さんでしょうか?
常陸風土記では茨城郡の所に
『古老のいへらく、昔、国巣(くず)、俗の語に都知久母(つちくも、土蜘蛛)、又、夜都賀波岐(やつかはぎ)という山の佐伯、野の佐伯ありき。 山野の賊を率ゐて自ら長となり、国中を盗みや殺しをして廻ってゐた』
とあります。
佐伯(さえき)というのは大和朝廷に逆らう(サエギル)現地人たちを指しており、土蜘蛛などと表現して野蛮人という表わし方もしています。
確かに大陸からある程度進歩した技術や文化を持った人達から見れば、縄文人たちは野蛮に見えたことでしょう。
この名前を縄文語として見たらどのようになるでしょうか?
油置売(あぶらおきめ)=【a われらの】+【poru 岩窟の】+【ok 奥の】+【mat 女】
まさに岩窟の奥にいる女となります。
もっとも『置(おき)』=『熾(おき)』で、火守(焚)の巫女的な族長の女(いわゆる縄文人)ではないかという説もあります。
しかし、この話しがこの頃もお話として伝わっていたのでしょうから、想像すると『山姥(やまんば)』の話しになっていっても不思議ではありません。
山の奥の小屋(室)に山姥が住んでいて、捕まったら食べられるとか、鬼と一緒に住んでいるとか・・・・
昔話には良く登場する「山姥」。
「三枚のお札」などが有名ですね。
私も小さな子供の頃、田舎(新潟)の祖母によく読んでもらいました。
日本の昔話に登場する山姥は怖いものから優しいものまでさまざまです。
そのお話のルーツは、「楢山節考」に書かれているような「姥捨て伝説」(飢餓で口減らしのために山に捨てられた老婆などの伝承)が姿を変えたものととも言われていますが、この昔土蜘蛛などといわれ、平地から追い出されて、山に住むようになった昔の原住民(縄文人)であったのかもしれません。
山姥の話を調べていたら面白い話が出ていた。(少し怖いが)

踵太郎(あくとたろう)と山姥(やまんば) 青森県 ⇒ こちら
かかと(踵)をこの東北地方の方言で「あくと」というそうだ。
アクト、アクツについては各地に地名として残っており、柳田國男も「地名の研究」で書いている。
しかし「かかと」をこのようによぶのは東北地方だけのようだ。
アイヌ語を探してみてもわからなかった。
あくと太郎 ⇒ 悪太郎 、 悪路王(アテルイ?) 何かゴロが似ているな。
この日本語と縄文語シリーズも連続20日続いた。
また話も横道にそれてきた??
まあ、横道にそれた方が面白と思うけど・・・・ どこまで続くのか ?
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
『郡家より東五十里のところに、笠間の村がある。 村へ通ふには葦穂山を越えねばならない。
古老の言うには、葦穂山には昔、山賊がいて、名前を油置売(あぶらおきめ)命という。
今は森の中の社の石屋の中に眠っている。
こんな俗謡もある。
< 言痛(こちた)けば をはつせ山の 石城にも 率て篭もらなむ な恋ひそ我妹わぎも >
(もし二人の仲を人に知られて辛くなれば、小初瀬山の石室に、あなたを連れて行って一緒に籠もりましょう。だからそんなに恋焦がれないでおくれ、私の恋人よ。) 』
この小初瀬山は、葦穂山であり、筑波山から加波山への尾根の途中にある、現在の足尾山です。
この足尾山に奈良朝の初めころに石室(岩窟?)があり、言い伝えでは、そこに昔、油置売(あぶらおきめ)という山賊が籠もっていたといわれていたようです。そして当時この石室がまだ残っていたようです。
まあ、命(みこと)でもあり、歌にまでうたわれるくらいですから、当時(奈良時代初期)もまだこの石室の中に眠っているといわれていたのかもしれません。
表現は山賊となっていますので、いわゆる現地人(縄文人)の長で、名前からすれば年をとったお婆さんでしょうか?
常陸風土記では茨城郡の所に
『古老のいへらく、昔、国巣(くず)、俗の語に都知久母(つちくも、土蜘蛛)、又、夜都賀波岐(やつかはぎ)という山の佐伯、野の佐伯ありき。 山野の賊を率ゐて自ら長となり、国中を盗みや殺しをして廻ってゐた』
とあります。
佐伯(さえき)というのは大和朝廷に逆らう(サエギル)現地人たちを指しており、土蜘蛛などと表現して野蛮人という表わし方もしています。
確かに大陸からある程度進歩した技術や文化を持った人達から見れば、縄文人たちは野蛮に見えたことでしょう。
この名前を縄文語として見たらどのようになるでしょうか?
油置売(あぶらおきめ)=【a われらの】+【poru 岩窟の】+【ok 奥の】+【mat 女】
まさに岩窟の奥にいる女となります。
もっとも『置(おき)』=『熾(おき)』で、火守(焚)の巫女的な族長の女(いわゆる縄文人)ではないかという説もあります。
しかし、この話しがこの頃もお話として伝わっていたのでしょうから、想像すると『山姥(やまんば)』の話しになっていっても不思議ではありません。
山の奥の小屋(室)に山姥が住んでいて、捕まったら食べられるとか、鬼と一緒に住んでいるとか・・・・
昔話には良く登場する「山姥」。
「三枚のお札」などが有名ですね。
私も小さな子供の頃、田舎(新潟)の祖母によく読んでもらいました。
日本の昔話に登場する山姥は怖いものから優しいものまでさまざまです。
そのお話のルーツは、「楢山節考」に書かれているような「姥捨て伝説」(飢餓で口減らしのために山に捨てられた老婆などの伝承)が姿を変えたものととも言われていますが、この昔土蜘蛛などといわれ、平地から追い出されて、山に住むようになった昔の原住民(縄文人)であったのかもしれません。
山姥の話を調べていたら面白い話が出ていた。(少し怖いが)

踵太郎(あくとたろう)と山姥(やまんば) 青森県 ⇒ こちら
かかと(踵)をこの東北地方の方言で「あくと」というそうだ。
アクト、アクツについては各地に地名として残っており、柳田國男も「地名の研究」で書いている。
しかし「かかと」をこのようによぶのは東北地方だけのようだ。
アイヌ語を探してみてもわからなかった。
あくと太郎 ⇒ 悪太郎 、 悪路王(アテルイ?) 何かゴロが似ているな。
この日本語と縄文語シリーズも連続20日続いた。
また話も横道にそれてきた??
まあ、横道にそれた方が面白と思うけど・・・・ どこまで続くのか ?
今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから
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読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
空海は四国の佐伯一族で、俗名が佐伯の真魚(まお)
でしたよね。
身体の大きな偉丈夫で様々な山を駆け上がり、真言を極めたともいわれています。
縄文のたぎる血のさせた生き方だったのかも知れないと思っています。
佐伯、佐伯と常陸国風土記には出てきますが、確かにこのあたりの原住民を奈良へ連行して、四国などで採掘をさせたとの話もありますね。そんな佐伯と呼ばれた人達の取り締まりも佐伯部と呼ばれる集団で、各地で活躍もしていたようですね。
空海もそんな佐伯部の一族だと聞いた事があります。
3世紀後半から5世紀頃にそのような話があっても、空海は8世紀から9世紀前半ですので300年くらいありそうです。
色々優秀な人々が出てきても不思議ではないですね。
空海は身体が大きかったのでね。確か弟子にも佐伯姓の人がいましたよね。