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日本語と縄文語(21) 「因幡のしろうさぎ」の話はどこから来たのか?

 日本神話に登場する「因幡の素兎(しろうさぎ)」は出雲国の主「大国主命(大黒さま)」が国を持った理由を説明するお話として古事記(稻羽之素菟と表記)の中に登場します。

話しの内容は子供向けの昔話や童謡にも登場しているので皆さんも良くご存じだと思います。
童謡の歌詞が話に内容を説明していますので載せておきます。

大きな袋を 肩にかけ
大国さまが 来かかると
ここにいなばの しろうさぎ
皮をむかれて 赤はだか

大国さまは 身をあらい
がまの穂わたに くるまれ」 と
よくよく教えて やりました

大国さまの いうとおり
きれいな水に 身をあらい
がまの穂わたに くるまれば
うさぎはもとの しろうさぎ

大国さまは 誰だろう
大国主(おおくにぬし)の 命(みこと)とて
国を開きて 世の人を
助けなされた 神様よ

大国主が出雲で国を開き、この後に天孫降臨した大和朝廷(天皇家)へ出雲王朝からバトンタッチされる「国譲りの話が続きます。
因幡の素兎は、大国主が他の神より優れていて優しさのある神であり、国を造るにふさわしい神であったことを知らせるためのお話です。

でも、古事記のこの物語やヤマタノオロチの話は、他の神話と比べると、いわゆる子供でも分かる読み物と思えます。

ここでは、素兎を「しろうさぎ」と言っていますが、素は皮をむかれてしまったので皮膚がむき出しになった兎(うさぎ)の意味でしょうから、毛が白いかどうかはよくわかりません。

ウサギは一般には褐色の毛で、雪国などで冬に白くなるニホンウサギもかなり昔から生息はしていたといいますが、この「白」のイメージはいつ頃から定着したものなのでしょうか?

その話しは後においておくとして、昔から問題になっているのはワニは日本にいたのか、それとも別なサメの事ではないかとか、いろいろな説が立派な国学者も巻き込んで長年論争になってきました。

稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)が淤岐島(おきのしま)からこちら側(出雲の海岸)に渡ろうとして、和邇(ワニ)を並べて、ワニ仲間の数を数える振りをして、その背を渡ったが、最後にうっかりだましていた事をもらして、和邇に皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大国主神に助けられるという話しですね。

monogatari_inaba_shirousagi_wani.png


この話は日本では最古とも言える古事記に出てくるのですから、日本で作られた話し(神話)と思いますよね。
しかし、この『ワニをだます』という話しはもっとずっと前からあるのです。
またインドネシア、タイ、ベトナムなどにも似た昔話があるようなのです。

ただ、だまされるのはワニが多いのですが、だます方は「うさぎ」ではなく、「サル」「小鹿」などの話しとなっており、場所も海ではなく川になっています。

実際にワニは海ではなく川に生息していますよね。

その大元はインドの仏教説話のようですので、その話をしておきましょう。
この日本の神話が作られたときにはすでに仏教圏でワニをだます話は広がっていたと思われます。

出展は 『日本と東南アジアの神話の絵本に見る「わにだまし」の物語』 ⇒ こちら

1)インドの仏教説話「ジャータカ物語」のタイ語訳本から「危険から逃れるサル」

 「ブッダは弟子に次のように語った。
皆さんは自分のことを何度も殺そうとしているテーワタットを憎むが、昔もそういうことがあったにもかかわらず、自分は危険から逃れることができた。
昔、子馬くらい体の大きいサルが森にすんでいた。
川の真ん中に果物などが多く、豊かな島があり、サルはいつも朝は川辺と島のあいだにある石をジャンプして島に渡っていた。
夜はその石をジャンプして島から戻っていた。そ
の川にすんでいたワニ夫婦がいた。
ある日メスのワニは夫に「妊娠中で、サルの心臓が食べたい」と言った。
オスのワニはその石の上に伏せて待っていた。
サルがその石をふだんより浮いて見えるので、危険があるのだろうと感じた。
「石、石、石」と三回呼んで、「いつも返事したお前はなぜ今日は何も言わないのか」と言った。
ワニはそれを聞くと「サル、何がほしいか」と言った。
「お前は誰だ」「私はワニだ」
「なぜここにいるのか」「お前の心臓がほしいからだ」
「では、口を大きく開けていてね。私はお前のところに飛び降りてやるから」
サルはワニは口を開けると目が自然につぶるとわかったのだ。
ワニは言うとおりに口を開けて、サルはワニの頭にジャンプして川岸にたどり着いた。
ワニは不思議に思い、「サル、お前は正直で、ちゃんと考えて行動する、そして正しい道を歩んで自分を犠牲しても良いことをするという4つの道徳をもったため、危険を逃れることができたのだ。
リスクがあることを知りながら運命にかけた。」とほめた。

ブッダの話を聞いて、弟子たちは、ブッダの前世はそのサルで、テーワタットはワニだったということがわかった。」

これは古い仏教説話の話しですから、最後は仏教的な説教話しで終ります。

ただこれも日本には「タイの民話」として「サルのきも」という話として、仏教説話の話を抜いた民話として紹介されたようです。
(矢崎源九郎(やざきげんくろう)『子どもに聞かせる世界の民話』(実業之日本社、1964))

2)パンチャタントラ(西暦200年ごろにヴィシュヌ・シャルマーによって作られた) 『サルとワニ』

 川岸にあるふとももの木に、一匹の猿が住んでいた。
ある日一匹のワニが川から出てきて近づいてきた。
「僕は遠いところから来たワニだよ。食べ物を探しているところなんだ。」
「食べ物ならふとももの実がたくさんあるよ」猿は実をいくつかもいで、下に向かって投げ、ワニはそれらを食べてた。
それから二人は友達になった。
ワニは妻に実を食べさせてみた。すると、妻は「もしサルがこんな甘い実ばかりいつも食べているなら…彼の肉もさぞや甘いに違いないわ」と思った。

ある日、彼女は仮病をつかって涙を流しながら「医者に診てもらったら、猿の心臓を食べさえすれば元気になるだろう、と言われました」と言った。
友だちに危害を加えるなんてできないと思ったが、やはり妻を見捨てられなかった。
ワニは家に招待すると言って、背中にサルを乗せて、川を泳いで渡りはじめた。
ところが、川の中ほどまで来たとき、ワニは沈み始めた。
ワニはサルに「君を殺して心臓を彼女に食べさせるんだよ」と告白した。

サルは「親友よ。なぜそれを早く言ってくれなかったんだ。君の奥さんを救うためなら、喜んで僕の心臓を差し上げるよ。
僕の心臓はふとももの木の穴の中に大事にしまってきたんだ」と言った。

ワニは向きを変えるとふとももの木に向かって泳いだ。
川岸に着くやいなや、猿は飛び降りて急いで木に登った。
高い枝に腰をかけて下を見下ろしてワニに言った。

「奥さんに言えよ。おまえの夫は世界で一番のバカだってな!」
結局ワニは友だちをだまそうとしたが、逆にだまされてしまった。

この話は、「さるの生ききも」の話しとして、別な形で日本にも伝わっていますね。
浦島太郎の話しと組み合わされて、亀が竜宮城にサルをだまして連れて行くが、サルは木に生ききもを置いてきたといって取りに戻り助かる話などとなっていますね。

3) 今昔物語に「猿の生肝」の話しがある。

『メスのかめはサルのきもの薬がほしかったので、オスのかめがサルに「私の住んでいるところはおいしい木の実が一年中食べられるので連れて行ってあげよう」と言った。
サルはかめの背中に乗って行くと、殺されるとわかったので、自分の肝は木にかけておいたのだと言った。
カメがそれを信じて木のところへ連れて帰ったら、サルが木の上に逃げてしまった。』

亀がだますとその罰として甲羅にヒビが入り、クラゲがだました話しには「骨が抜かれて骨ナシになった」というオチがつく。

4) マレーシア・インドネシアの昔話『サン・カンチルとワニたち』

サン・カンチル(小鹿?)は川を渡り切ることができるように、ワニたちに繋がって並ぶように命令した。
じょうずに、川を渡り終わるまで、ワニたちの背をピョンピョンと跳んだ。
川の反対側に着くと、自分がワニをだましたことをから かった。
ワニたちは腹を立て、今でも悔しがっている。

この話は、少し内容が違いますが、「いたずらカルチン」と題して『インドネシア民話』(星の環会、2001)で日本にも紹介されています。

5) ベトナム民話「うさぎの計略」

うさぎはお百姓さんにつかまえられて、逃げようとして、川のほとりにきました。
川は広くてわたれそうもありません。
川にはわにが泳いでいました。
「わにさん、いつもながら、すばらしい姿ですね。わたしを向こうの岸まで乗せてくれたら、お嫁さんをお世話したいね。」
わには喜んでよってきました。そして向こう岸までわたしてくれました。
「ばかなわにだよ。だましてやったぞ。へっへっへっ。」これをわにが聞いてしまったのです。

ワニは大きな口でうさぎをつかまえてしまいました。
うさぎが「そんなことしたって、こわくないね。ハアハアーと、口を開けて息をしたらこわいけど。」といいました。
すると、わにはほんとうにハアーハアーとしました。うさぎは口から無事に逃げだして、ジャングルにもどりました。
(アジア心の民話シリーズ(総監修:松谷みよ子))

確かに東南アジア(インドネシア、タイ、マレーシア、ベトナムなど)にはワニをだまして川を渡る話がたくさんあるようです。
日本の神話と同じ話はありませんが、一部はこちらの神話が伝わって、それまでにあった昔話に変更が加わったように思います。
ただ、インドの説話は少なくとも日本の神話以前の話ですので、ワニを使って川や海を渡るという話しとしてはインドのほうが古いといえるでしょう。

またウサギは日本うさぎ(野うさぎ)は日本独特の品種で、東南アジアなどには恐らくいなかったでしょうから、この素兎(しろうさぎ)の話しは日本から東南アジアへは伝わらなかったかもしれません。

やはり、日本神話に登場するワニはサメ等ではなくワニでなければならないでしょう。

でも日本の昔話の絵本はワニではなくサメが描かれているものが多いですね。

さて、ここは縄文語を調べているところですので、鈴木健さんの「日本語になった縄文語」から少し抜粋します。

胆振の幌別では、岸打つ波を見せて、抱いた赤ん坊をあやす歌がある。
 otakata       浜辺で
 isepo        うさちゃん
 pon terke     ぴょんととぶ
 pon terke     ぴょんととぶ

海上に白波が立つのを見て「isepo terke イセポ テレケ」(兎が 跳ぶ)というのだそうだ。
この海が荒れて白兎(しろうさぎ)が跳ぶという表現は、新潟県頚城地方と、鳥取県西伯郡に見られたという。
これは越後のウサギが冬に白色となり、雪の上を跳ぶ姿が見られる場所。それに日本海側は、冬に海が荒れる。

アイヌ語で ウサギは【isepo】であるが、釧路地方では【asopo:iso 波かぶり岩、鯨などの獲物+ po 小 】 であり、
⇒ 小さな獲物、小岩である。
小岩に白波が打ちつけ、それが言葉で同じのウサギが跳びはねるように感じたのかもしれません。

江戸時代には「波乗りウサギ」の文様が流行り、神社の燈籠などにたくさん描かれていますね。

(鈴木さんの本では、ワニはいないから「イルカ」ではないかと書かれています)

茨城県は北浦から常陸利根川に流れ込む川の名前に「鰐川」があり、ここに鎌倉時代の僧・忍性がやって来て、ワニを鎮めたという話が伝わっています。(前に書いた記事 →こちら


今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから


日本語と縄文語 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/05/22 07:10
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