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日本語と縄文語(24) 毛野(けの、けぬ)国とは?

 今の群馬県と栃木県を合わせた地域は、昔「毛野(けの、けぬ)国(くに)」と呼ばれていました。

そこを流れる川を、毛野河(けぬかわ)といわれ、これが今の鬼怒川(きぬがわ)です。

この「毛(ケ)」については、一般には
1) 一毛作、二毛作などに使われるように穀物を表わしている
2) 毛むくじゃらで野蛮の「蝦夷人」が住んでいる
3) 豊城入彦命などの「紀の国(和歌山県)」出身者が移住し、「きの」が転訛した
などの説があります。

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(上毛三山・赤城山)

いつ頃から「毛野」と呼ばれるようになったのでしょうか?

それについては資料が残されておらずあまりはっきりしたことがわかりませんが、4~5世紀頃にはすでに呼ばれていたようです。
それが、5世紀末~6世紀始め頃に、渡良瀬川を境として「上毛野国(かみつけのくに)」、「下毛野国(しもつけのくに)」の2つに分れ(都に近いほうが上)ました。
さらに奈良時代には、令制国と定められ、713年には全国各地の地名を好字二字とするようにお達しがあり、この二国はそれぞれ「上野国(こうずけのくに)」「下野国(しもつけの国)」となり、「毛」の字を嫌って読みのみに「け」が残りました。

これは総(ふさ)国が「上総(かずさ)」と「下総(しもふさ、しもおさ」に分かれたことと同じでしょう。
ただ、総(フサ)はそのむかし「捄」(フサ)の字で表わしていました。
阿波の忌部氏が黒潮に乗り舟で房総半島(安房 アワ)先端部に上陸し、麻の栽培を広めた事で、総(フサ)の字が使われ始めたようです。

この「捄」という漢字は、調べると読みとしては「キュウ、ク」などとあり、意味も「土をかき集めて丸く盛る」となっています。
いろいろなWebサイトで「果実などが丸く房状になる様を表わした」とありますが、よく確認できませんでした。
フサと読んだかどうかも分りません。

まあ、それはさておき、「毛国」の由来ですが、上に3案を載せましたが、
むかし、朝廷に服従していない地域に住む現地人(縄文系人種、アイヌ人)を「毛人」と呼んでいた様でもありますので、2番目の案<毛むくじゃらで野蛮の「蝦夷人」が住んでいる>が有力だと思います。

では何故この読み方が生れたのかを縄文語の鈴木健氏の本で確認してみます。

さて、昨日「蝦夷(カイ)」をエゾ、エミシと読んだ事を考察しましたが、鈴木健さんは

≪「アイヌ」縄文系在住民やアイヌ自身の呼称であり、「エミシ」「エゾ」はアイという連母音の発音がなかったヤマト側の音韻変化に基づく呼び名であると考える≫
と書いています。

また、【kai カイ(蝦夷)】のaiは発音することになじみがなかったので、 ai ⇒ e と変化して ⇒ 【ke ケ】となり、アイヌの国は『ケヌの国』(毛野国)となったと推論しています。

すなわち
・ アイヌ(蝦夷)人のすむ地=「毛野(ケノ、ケヌ)」
・ アイヌ(蝦夷)人=「毛人(ケヒト)」

もちろん毛むくじゃらな民族という表現もあったかもしれません。

古事記の中で、
武内宿禰は北陸及び東方に派遣され、地形と百姓の様子を視察し、帰国後、蝦夷を討つよう景行天皇に進言した[とされています。そのときの内容は
「東(あづま)の田舎の中に、日高見の国があります。
その国の人は、男女とも髪を椎(つち)のような形に結って、からだに入れ墨を入れて、ひととなりは勇ましく、たくましく見えます。
これをみな蝦夷(えみし)と言います。また土地が肥沃で広いです。 攻撃して取るのがよろしい。」と言った。
となっています。

髪の毛を「椎(つち)」のように束ねるとは、木槌の形のように束ねるという事で、毛むくじゃらかどうかは良くわかりません。
でも「毛むくじゃら」と映ったかもしれません。

これと【kai カイ(蝦夷)】⇒ 【ke ケ 毛】に変化したというのも面白い考え方であろうと思われます。

茨城県桜川市に「門毛(かどけ)」という場所があります。
栃木県との県境より少し手前になりますが、名前の由来はこの毛国(けぬこく)への入口に当たるため、この名前がついたとも言われています。

いまでも両毛線、上毛高原など昔の「毛」の字も今も使われて残されています。


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日本語と縄文語 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/05/25 05:43
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