千葉の難読地名(12) 江弁須(成田市)、安須(市原市)
≪江弁須≫ えべす 成田市
≪安須≫ あず 市原市
少し変った「○○須」がつく地名を探してみました。

<江弁須(えべす)村>は印旛沼のほとりにあった大きな村の「公津(こうづ)村」が、承応2年(1653)に分村(台方村・下方村・大袋村・飯仲村・江弁須村の5村)となり誕生した。
この公津(こうづ)という地名は、印旛沼の農地開拓に当たって農耕の神を祀ったといわれる式内社の「麻賀多(まかた)神社」のための港=神の湊(津)から名付けられたものといわれている。
一方「江弁須(えべす)」については、元は佐倉牧の内野牧があり、開発されて「公津新田村」となり、1653年の公津村の分村時に「江弁須(えべす)村」として誕生した。
名前の謂れについては
(1)大和朝廷の東征にあたり、夷(えみし)を収容する所を「エビス」といっていたことからこの地の名前となった。
(2)印旛沼の漁業信仰で「恵比寿神」を祀ったところからこの名前になった。
などの説があります。
また、中世の千葉氏方の馬場氏代々の居城と見られる「江弁須(えべす)城」の跡があり、正蔵院境内にある虚空蔵堂には行基菩薩の作ともいわれる虚空蔵菩薩が安置されていて、江弁須の虚空蔵様として知られています。
一方、<安須(あず)村>は1594年の上総国村高帳に村名でみえます。
地名の由来は
・崖の多い地形による(角川 日本地名大辞典)
と書かれています。
「地名用語語源辞典 東京堂出版」によれば、
あず=安須、安須、小豆は
①崩崖。坍、「崩崖也 久豆礼(くずれ)、又阿須」(平安時代の辞書『新撰字鏡』))
②山や畑の境界
となっています。
また、『日本国語大辞典』(小学館)には、
「あず」【坍】「くずれた岸。がけ。がけのくずれてあぶないところ。」とあります。
また万葉集(巻14東歌3539)にも、
「安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流」
<あずの上に 駒を繋ぎて 危(あや)ほかど 人妻子(ひとづまこ)ろを 息に吾がする>
意味: 崩れた崖の上に馬をつなぐと危ないように、私も人妻のあの子を命がけで思うのだ
とあるそうです。(飯能市HP)
他の「あず」地名を捜してみると
・埼玉県飯能市阿須 あず
・島根県邑智郡邑南町阿須那 あずな
・和歌山県新宮市阿須賀 あすか
がありました。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪安須≫ あず 市原市
少し変った「○○須」がつく地名を探してみました。

<江弁須(えべす)村>は印旛沼のほとりにあった大きな村の「公津(こうづ)村」が、承応2年(1653)に分村(台方村・下方村・大袋村・飯仲村・江弁須村の5村)となり誕生した。
この公津(こうづ)という地名は、印旛沼の農地開拓に当たって農耕の神を祀ったといわれる式内社の「麻賀多(まかた)神社」のための港=神の湊(津)から名付けられたものといわれている。
一方「江弁須(えべす)」については、元は佐倉牧の内野牧があり、開発されて「公津新田村」となり、1653年の公津村の分村時に「江弁須(えべす)村」として誕生した。
名前の謂れについては
(1)大和朝廷の東征にあたり、夷(えみし)を収容する所を「エビス」といっていたことからこの地の名前となった。
(2)印旛沼の漁業信仰で「恵比寿神」を祀ったところからこの名前になった。
などの説があります。
また、中世の千葉氏方の馬場氏代々の居城と見られる「江弁須(えべす)城」の跡があり、正蔵院境内にある虚空蔵堂には行基菩薩の作ともいわれる虚空蔵菩薩が安置されていて、江弁須の虚空蔵様として知られています。
一方、<安須(あず)村>は1594年の上総国村高帳に村名でみえます。
地名の由来は
・崖の多い地形による(角川 日本地名大辞典)
と書かれています。
「地名用語語源辞典 東京堂出版」によれば、
あず=安須、安須、小豆は
①崩崖。坍、「崩崖也 久豆礼(くずれ)、又阿須」(平安時代の辞書『新撰字鏡』))
②山や畑の境界
となっています。
また、『日本国語大辞典』(小学館)には、
「あず」【坍】「くずれた岸。がけ。がけのくずれてあぶないところ。」とあります。
また万葉集(巻14東歌3539)にも、
「安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流」
<あずの上に 駒を繋ぎて 危(あや)ほかど 人妻子(ひとづまこ)ろを 息に吾がする>
意味: 崩れた崖の上に馬をつなぐと危ないように、私も人妻のあの子を命がけで思うのだ
とあるそうです。(飯能市HP)
他の「あず」地名を捜してみると
・埼玉県飯能市阿須 あず
・島根県邑智郡邑南町阿須那 あずな
・和歌山県新宮市阿須賀 あすか
がありました。
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