千葉の難読地名(14) 奈土、江場土、小土呂
<土>がつく千葉県の地名(その二)
奈土 など 成田市
土浮 つちうき 佐倉市
江場土 えばど いすみ市岬町
七井土 なないど 長生郡長生村
小土呂 おどろ 大多喜町
さあ いくつ読めましたか?
その他、成田市土室 (つちむろ)、成田市土屋 (つちや)があります。

≪奈土(など)≫
ここは成田市でも、旧大栄町です。
1371年の寄進状に「奈土郷」地名が見られます。
古くは「奈戸」とも書いていました。
ここにある磐裂(いわさく)神社はもと虚空蔵菩薩を本地とする明星尊天を祭神とし、うなぎ禁忌の慣行があったそうです。
この神社では「奈土のおびしゃ(御武射)」という変わった行事(儀式)があります。町中の路上で新官主と旧官主が盃を交わし、神様の受け渡しの儀式が行われ、秋の収穫の豊作を祈るための儀式なども行われます。
地名由来は「なだ(浸食地)」の転訛で浸食地を指したものという。
似た地名を検索すると、
・ 茨城県龍ケ崎市奈戸岡 (などおか)
・ 千葉県柏市名戸ケ谷 (などがや)
がありました。
≪土浮 つちうき≫ 佐倉市
地元では「チュッチェキ」ともいう。印旛沼の南岸にあり、対岸の印西市方面への渡し場があった。
地名の由来には
「松虫姫が京から下総に下り、印旛沼の上面に土が浮いていて難なく渡れた」という伝承があります。
松虫姫の話は「松虫寺」に伝わる話でこのあたりでは有名です。
「不破内親王は幼名を松虫姫といったが、不幸にして癩(らい)を患い、手の施しようがなかったが、夢に、下総国に効験あらたかな薬師如来が鎮座するとの託宣があった。姫がこれを信じて東国に下ったところ、下総国印旛郡の萩原郷にはたして夢に見た薬師堂があり、かの地に庵を結んで一心に平癒を祈り、ついに全快することを得た。聖武天皇はこれを喜び、行基に命じて一寺を建立させ「松虫寺」と称したという物語である。
また、不破内親王は死に臨んで松虫寺に分骨されることを望み、かなえられて松虫寺に分骨塚が築かれたという。現在も松虫寺には「松虫姫御廟」と呼ばれる堂がある。 」(Wikipediaより)
似た名前の地名を探してみました、
宮城県刈田郡蔵王町円田 土浮谷地 (どぶやち)
土浮山 (ドブヤマ)
茨城県常総市に「土浮(つちうき)」姓の名前の方が10人ほどおられるそうです。
≪江場土 えばど≫ いすみ市岬町
古くは江波土、江波戸と書いたが、元禄16年(1703)の地震による大津波による大被害を受けて波の字を「場」に改称したと伝えられる。(角川 日本地名大辞典)
文禄3年(1594)の上総国村高帳には「江波戸村」とある。また、「江はとのせき」との記載もある(平凡社 千葉県の地名)
「えはと」地名は「え(川)・はた(端)」の転訛で夷隅川のすみという意味とされる。
源頼朝がこの地に来り、松の木の枝に兜を掛け休憩したとの伝承があり、この松を兜松と呼んでいたが、現在は枯れてないという。
≪七井土 なないど≫ 長生郡長生村
七井戸とも書いていたというので、七つの井戸があったことからついた名前かもしれない。。
≪小土呂 おどろ≫ 大多喜町
夷隅川中流北方の丘陵部に位置する。
地名は、荊の茂った藪の意(夷隅風土記)と角川の日本地名大辞典には記載がある。
しかし、「おどろ」「とどろ」などと読む地名は大概が擬声音から出た地名で、大久保川も流れ、急坂もあるので、滝や川の流れの音、波の音などを地名にしたところが多い。
旧東海道の川崎宿近くに小土呂町という地区があり、「小土呂橋」という橋がありました。
ここもおそらく滝の音などでつけられたものではないかと思われます。
「オドロ」という地名を検索すると、
山形県西置賜郡小国町驚 (おどろく)
千葉県長生郡長生村驚 (おどろき)
千葉県長生郡白子町驚 (おどろき)
千葉県夷隅郡大多喜町小土呂 (おどろ)
福井県福井市大土呂町 (おおどろちょう)
京都府京都市西京区山田御道路町 (おどろちょう)
がありました。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
奈土 など 成田市
土浮 つちうき 佐倉市
江場土 えばど いすみ市岬町
七井土 なないど 長生郡長生村
小土呂 おどろ 大多喜町
さあ いくつ読めましたか?
その他、成田市土室 (つちむろ)、成田市土屋 (つちや)があります。

≪奈土(など)≫
ここは成田市でも、旧大栄町です。
1371年の寄進状に「奈土郷」地名が見られます。
古くは「奈戸」とも書いていました。
ここにある磐裂(いわさく)神社はもと虚空蔵菩薩を本地とする明星尊天を祭神とし、うなぎ禁忌の慣行があったそうです。
この神社では「奈土のおびしゃ(御武射)」という変わった行事(儀式)があります。町中の路上で新官主と旧官主が盃を交わし、神様の受け渡しの儀式が行われ、秋の収穫の豊作を祈るための儀式なども行われます。
地名由来は「なだ(浸食地)」の転訛で浸食地を指したものという。
似た地名を検索すると、
・ 茨城県龍ケ崎市奈戸岡 (などおか)
・ 千葉県柏市名戸ケ谷 (などがや)
がありました。
≪土浮 つちうき≫ 佐倉市
地元では「チュッチェキ」ともいう。印旛沼の南岸にあり、対岸の印西市方面への渡し場があった。
地名の由来には
「松虫姫が京から下総に下り、印旛沼の上面に土が浮いていて難なく渡れた」という伝承があります。
松虫姫の話は「松虫寺」に伝わる話でこのあたりでは有名です。
「不破内親王は幼名を松虫姫といったが、不幸にして癩(らい)を患い、手の施しようがなかったが、夢に、下総国に効験あらたかな薬師如来が鎮座するとの託宣があった。姫がこれを信じて東国に下ったところ、下総国印旛郡の萩原郷にはたして夢に見た薬師堂があり、かの地に庵を結んで一心に平癒を祈り、ついに全快することを得た。聖武天皇はこれを喜び、行基に命じて一寺を建立させ「松虫寺」と称したという物語である。
また、不破内親王は死に臨んで松虫寺に分骨されることを望み、かなえられて松虫寺に分骨塚が築かれたという。現在も松虫寺には「松虫姫御廟」と呼ばれる堂がある。 」(Wikipediaより)
似た名前の地名を探してみました、
宮城県刈田郡蔵王町円田 土浮谷地 (どぶやち)
土浮山 (ドブヤマ)
茨城県常総市に「土浮(つちうき)」姓の名前の方が10人ほどおられるそうです。
≪江場土 えばど≫ いすみ市岬町
古くは江波土、江波戸と書いたが、元禄16年(1703)の地震による大津波による大被害を受けて波の字を「場」に改称したと伝えられる。(角川 日本地名大辞典)
文禄3年(1594)の上総国村高帳には「江波戸村」とある。また、「江はとのせき」との記載もある(平凡社 千葉県の地名)
「えはと」地名は「え(川)・はた(端)」の転訛で夷隅川のすみという意味とされる。
源頼朝がこの地に来り、松の木の枝に兜を掛け休憩したとの伝承があり、この松を兜松と呼んでいたが、現在は枯れてないという。
≪七井土 なないど≫ 長生郡長生村
七井戸とも書いていたというので、七つの井戸があったことからついた名前かもしれない。。
≪小土呂 おどろ≫ 大多喜町
夷隅川中流北方の丘陵部に位置する。
地名は、荊の茂った藪の意(夷隅風土記)と角川の日本地名大辞典には記載がある。
しかし、「おどろ」「とどろ」などと読む地名は大概が擬声音から出た地名で、大久保川も流れ、急坂もあるので、滝や川の流れの音、波の音などを地名にしたところが多い。
旧東海道の川崎宿近くに小土呂町という地区があり、「小土呂橋」という橋がありました。
ここもおそらく滝の音などでつけられたものではないかと思われます。
「オドロ」という地名を検索すると、
山形県西置賜郡小国町驚 (おどろく)
千葉県長生郡長生村驚 (おどろき)
千葉県長生郡白子町驚 (おどろき)
千葉県夷隅郡大多喜町小土呂 (おどろ)
福井県福井市大土呂町 (おおどろちょう)
京都府京都市西京区山田御道路町 (おどろちょう)
がありました。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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