千葉の難読地名(18) 三ケ月
≪三ケ月 みこぜ≫ 松戸市

その他月のつく地名
≪月出 つきで≫ 市原市
≪坂月 さかづき≫ 千葉市若葉区
≪月崎 つきざき≫ 市原市
≪江月 えづき≫ 安房郡鋸南町
≪月毛村 つきげむら≫ 君津市)
(月毛村は、江戸期からあり、寛文5年(1665)の神社棟札に村名がある。明治10年に川俣村に吸収され消滅)
幾つかヒットしたのですが、読みとして難しいのは「三ケ月(みこぜ)」くらいでしょうか。
≪三ケ月 みこぜ≫ 松戸市
この「三ケ月」地名の由来はどこを調べてもほぼ一致しています。
この総国で勢力をふるった「千葉氏の家紋(定紋)である月星のマークから採られた」と書かれています。

この三日月と星をあしらった家紋、それも定紋から三日月を地名にしたというのです。
さて、本当にそうでしょうか? 私はとても不思議に思われます。
歴史を振り返ってみると、桓武天皇の祖孫である高望王が平氏の名を戴き皇室を離れて、東国に3人の子供(国香、良兼、良将)をつれてやってきました。
そして、土地の豪族と姻戚関係などを築きながら上総・下総・常陸の国を開拓して、その子供たちはそれぞれの開拓地に土着していきました。
長男国香が常陸国へ進出し、常陸大掾氏となっていきますが、三男の良将の子供の将門(まさかど)が起こした乱により争いが起こります。これにより良将派は消滅しました。
次男の良兼も上総・下総に勢力を延ばしていましたが、この将門との争いで衰退し病死してしまいます。
国香も将門に破れ死去しますが、その子供により将門は滅ぼされ、常陸国の大掾(だいじょう)氏が続きます。
さて、千葉氏ですが、この素性が良くわかりません。
一般には高望王の5番目の子供の「良文」(側室の子)が、将門の争いに巻き込まれず、遅れて東国にやって来て、埼玉県熊谷市の村岡に住して「村岡五郎」と名乗ります。
その後、神奈川県藤沢や、千葉県東庄町などに移り、最後は阿玉郡などに住して千葉氏の祖となったといわれています。
この千葉氏の子孫が各地に城を築き、勢力を拡大していきますが、多くは鎌倉時代以降に大きな勢力となったようで、詳しく見ていくとどうも香取神宮の祭神「フツヌシ=物部氏」の血筋がつながっているように感じます。
千葉氏の城の中や近くに「側高(そばたか)神社、(他、蘇羽鷹神社など千葉県内にたくさんある)」が祀られていますが、この祭神は「側高神」といわれ、この神の系統がまったく秘密にされ、全く素性が分りません。
不思議な神社です。
この松戸にも「蘇羽鷹神社」があり、松戸市の小金地区には、中世の下総国一帯を支配した千葉氏の家臣で、東葛地域を治めた高城氏の城があったという。
また、小金地区二ッ木台には、鎌倉時代末期から千葉頼胤(よりたね)の城館があったともいわれている。
この千葉氏の家紋の月星から「三ケ月」となり、「みこつき」・「みかつき」とも呼ばれ、後に訛って「みこぜ」と変化したと云うのが定説のようです。
でもなにか不思議な気がしませんか?
そこを治めた一族の家紋から名前がつくというのがどうも納得できません。
なぜなら家紋の始まりは関東の武士団としては戦国時代ですよね。
(貴族にはそれ以前に家紋を使っている例もあるようですが)
争うときに自分たちの旗頭を決めないといけなくなったということです。
地名と家紋の歴史の前後はどちらが先なのでしょうか?
この千葉氏の定紋は少し格好が良すぎのように思います。比較的後から定められたのではないでしょうか?
どなたか詳しい方はお教えください。
この初期の呼び名「みこつき」は室町時代には存在していました。
本土寺過去帳の15世紀前半(1440年ころ)に「ミコツイ」「ミコツキ」地名があり、これが今の「みこぜ=三ケ月」地区を示しているといわれます。
千葉氏の家紋(月星)がいつ頃から使われ始めたのか分りませんが、おそらく地名の「ミコツイ」や「ミコツキ」というのが最初に呼ばれていた地名で、後から「三ケ月」と書くようになったものと見るのが自然です。
ただ、この「ミコツイ」がどのような意味を持つかは分りません。
木枯らし紋次郎の生れ故郷は上州新田郡三日月村(みかづきむら)といわれています。
≪月出 つきで≫ 市原市
これは難読でもなく普通の読み方ですね。
でも少しここに取り上げたくなりました。
それは茨城県稲敷市に「月出里」と書いて「すだち」と読む地名があるからです。
その昔は「月出村」と書いて「すだちむら」でした。
月と出を一緒にした漢字「朏(ひ、みかづき)」は「三日月」特に、明け方の出たばかりの薄暗い月を示す漢字だそうです。
空に出たばかりの三日月、新月を「ついたち」といいこれが「すだち」となったと見られています。
こんな「みかつき」がミコツイとかミコツキとか呼ばれて地名になるのも悪い事ではないと思います。
≪坂月 さがづき≫ 千葉市若葉区千城台
地名の由来は「歌枕藻塩草」の「盃井というを挙げて下総とす。坂月村のことにや、東路にさしてこんとは思はねど盃の井に影をうつして」によるという。)(角川 日本地名大辞典)
この坂月には縄文時代の遺跡や貝塚が発見されています。
≪月崎 つきざき≫ 市原市
文禄3年(1594)に月崎村の村名記録がある。
≪江月 えづき≫ 安房郡鋸南町
地名の由来は「入海に接する地域」の意とある(角川 日本地名大辞典)
≪月毛村 つきげむら≫ 君津市
月毛村は、江戸期からあり、寛文5年(1665)の神社棟札に村名がある。
明治10年に川俣村に吸収され消滅。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから

その他月のつく地名
≪月出 つきで≫ 市原市
≪坂月 さかづき≫ 千葉市若葉区
≪月崎 つきざき≫ 市原市
≪江月 えづき≫ 安房郡鋸南町
≪月毛村 つきげむら≫ 君津市)
(月毛村は、江戸期からあり、寛文5年(1665)の神社棟札に村名がある。明治10年に川俣村に吸収され消滅)
幾つかヒットしたのですが、読みとして難しいのは「三ケ月(みこぜ)」くらいでしょうか。
≪三ケ月 みこぜ≫ 松戸市
この「三ケ月」地名の由来はどこを調べてもほぼ一致しています。
この総国で勢力をふるった「千葉氏の家紋(定紋)である月星のマークから採られた」と書かれています。

この三日月と星をあしらった家紋、それも定紋から三日月を地名にしたというのです。
さて、本当にそうでしょうか? 私はとても不思議に思われます。
歴史を振り返ってみると、桓武天皇の祖孫である高望王が平氏の名を戴き皇室を離れて、東国に3人の子供(国香、良兼、良将)をつれてやってきました。
そして、土地の豪族と姻戚関係などを築きながら上総・下総・常陸の国を開拓して、その子供たちはそれぞれの開拓地に土着していきました。
長男国香が常陸国へ進出し、常陸大掾氏となっていきますが、三男の良将の子供の将門(まさかど)が起こした乱により争いが起こります。これにより良将派は消滅しました。
次男の良兼も上総・下総に勢力を延ばしていましたが、この将門との争いで衰退し病死してしまいます。
国香も将門に破れ死去しますが、その子供により将門は滅ぼされ、常陸国の大掾(だいじょう)氏が続きます。
さて、千葉氏ですが、この素性が良くわかりません。
一般には高望王の5番目の子供の「良文」(側室の子)が、将門の争いに巻き込まれず、遅れて東国にやって来て、埼玉県熊谷市の村岡に住して「村岡五郎」と名乗ります。
その後、神奈川県藤沢や、千葉県東庄町などに移り、最後は阿玉郡などに住して千葉氏の祖となったといわれています。
この千葉氏の子孫が各地に城を築き、勢力を拡大していきますが、多くは鎌倉時代以降に大きな勢力となったようで、詳しく見ていくとどうも香取神宮の祭神「フツヌシ=物部氏」の血筋がつながっているように感じます。
千葉氏の城の中や近くに「側高(そばたか)神社、(他、蘇羽鷹神社など千葉県内にたくさんある)」が祀られていますが、この祭神は「側高神」といわれ、この神の系統がまったく秘密にされ、全く素性が分りません。
不思議な神社です。
この松戸にも「蘇羽鷹神社」があり、松戸市の小金地区には、中世の下総国一帯を支配した千葉氏の家臣で、東葛地域を治めた高城氏の城があったという。
また、小金地区二ッ木台には、鎌倉時代末期から千葉頼胤(よりたね)の城館があったともいわれている。
この千葉氏の家紋の月星から「三ケ月」となり、「みこつき」・「みかつき」とも呼ばれ、後に訛って「みこぜ」と変化したと云うのが定説のようです。
でもなにか不思議な気がしませんか?
そこを治めた一族の家紋から名前がつくというのがどうも納得できません。
なぜなら家紋の始まりは関東の武士団としては戦国時代ですよね。
(貴族にはそれ以前に家紋を使っている例もあるようですが)
争うときに自分たちの旗頭を決めないといけなくなったということです。
地名と家紋の歴史の前後はどちらが先なのでしょうか?
この千葉氏の定紋は少し格好が良すぎのように思います。比較的後から定められたのではないでしょうか?
どなたか詳しい方はお教えください。
この初期の呼び名「みこつき」は室町時代には存在していました。
本土寺過去帳の15世紀前半(1440年ころ)に「ミコツイ」「ミコツキ」地名があり、これが今の「みこぜ=三ケ月」地区を示しているといわれます。
千葉氏の家紋(月星)がいつ頃から使われ始めたのか分りませんが、おそらく地名の「ミコツイ」や「ミコツキ」というのが最初に呼ばれていた地名で、後から「三ケ月」と書くようになったものと見るのが自然です。
ただ、この「ミコツイ」がどのような意味を持つかは分りません。
木枯らし紋次郎の生れ故郷は上州新田郡三日月村(みかづきむら)といわれています。
≪月出 つきで≫ 市原市
これは難読でもなく普通の読み方ですね。
でも少しここに取り上げたくなりました。
それは茨城県稲敷市に「月出里」と書いて「すだち」と読む地名があるからです。
その昔は「月出村」と書いて「すだちむら」でした。
月と出を一緒にした漢字「朏(ひ、みかづき)」は「三日月」特に、明け方の出たばかりの薄暗い月を示す漢字だそうです。
空に出たばかりの三日月、新月を「ついたち」といいこれが「すだち」となったと見られています。
こんな「みかつき」がミコツイとかミコツキとか呼ばれて地名になるのも悪い事ではないと思います。
≪坂月 さがづき≫ 千葉市若葉区千城台
地名の由来は「歌枕藻塩草」の「盃井というを挙げて下総とす。坂月村のことにや、東路にさしてこんとは思はねど盃の井に影をうつして」によるという。)(角川 日本地名大辞典)
この坂月には縄文時代の遺跡や貝塚が発見されています。
≪月崎 つきざき≫ 市原市
文禄3年(1594)に月崎村の村名記録がある。
≪江月 えづき≫ 安房郡鋸南町
地名の由来は「入海に接する地域」の意とある(角川 日本地名大辞典)
≪月毛村 つきげむら≫ 君津市
月毛村は、江戸期からあり、寛文5年(1665)の神社棟札に村名がある。
明治10年に川俣村に吸収され消滅。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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