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千葉の難読地名(22) 都部、市部

≪都部  いちぶ≫ 我孫子市
≪市部  いちぶ≫ 南房総市


千葉難読地名22

1) ≪都部  いちぶ≫ 我孫子市 

手賀沼の北にあり、一部、市部とも書いた。

地名は「一の分け」ということで、余郷を意味し(下総国旧事考)、和名抄の郷名(余戸)に由来する。(角川 日本地名大辞典)
この余戸(余部:あまりべ)とは、古代日本の律令制の行政組織として、国・郡・郷(里)があったが、通常50戸で1郷(郷)単位で決めていたが、それを超える戸を余戸、余郷といったという。

地名由来もこの郷から余った余郷(余戸)の最初に分けた郷につけられたとする説が有力だとされる。
ただその他にも諸説があるようだ。

江戸時代の手賀沼開墾で『都部村新田』がこの村を親村として誕生した。
もう一つこの「都部村」と「都部村新田」に隣接して「都部新田」という村があるが、この成立は不詳である(角川 日本地名大辞典)

寛永2年(1625)の書状に「市府村」とあり、また別な書状には「壱分村」とある。また、1604年に旗本井関氏が「市分村」を与えられたとの記録がある。
元禄13年(1700)頃の資料には「都部村」とあり、「イチブ」と訓が付されている。
江戸時代の前半は固定した呼び名が無かったようで、一部、壱分、市部、市府、市分などと村名が書かれており、」1700年頃になってやっと「都部村」と書くようになったようである。

2) ≪市部  いちぶ≫ 南房総市(富山町) 

壱部、一部とも記した。(平凡社 千葉県の地名)
地名は一の分、すなわち余郷の意という(東湾遺稿集)(角川 日本地名大辞典)
市部村は江戸期よりあり、丹生村を経て那古村へ通じる木の根街道の宿場町で人馬の往来が激しく、木の根峠には茶屋もあり、小林一茶や安藤広重、十返舎一九などの日記や書にも記されているという。

3) ≪小市部  こいちぶ≫ 君津市 

古くは「子一部」と書いた。
地名は、弘文天皇(大友皇子)伝説に「此を末代に至る迄子一分といへかし」(白山権現縁起)とあることに由来する。(角川 日本地名大辞典)
弘文天皇(大友皇子)は飛鳥時代の皇子(天皇?)で、あまり記録ははっきりしていないので、この白山権現縁起はどこまで信じてよいかはわからないが、かなり古くから「小一部(こいちぶ)」とよばれていたようだ。
崩れた土砂の堆積する川沿いの地という地形語説もありました。

4) ≪分目  わんめ≫ 市原市 

養老川下流の丘陵北端。 
文禄3年(1594)の海保之郷分目之郷検地帳がある。 江戸期から「分目村」がある。(平凡社千葉県の地名)
この【わんめ】も難読な地名だと思いますが、人のお名前にも「分目」(わんめ)さんがおられます。

地名由来は、
・ 曲がりくねった狭くなった地を意味する
・ 目は渡し場などの意味がある
・ 余戸、余郷のように律令制の郷から余った地、分割した地などの意味合い。
などが考えられますが、よくわかっていません。

5) ≪一ノ分目  いちのわけめ≫≪三ノ分目 さんのわけめ≫ 香取市

利根川沿いの香取市を東に行くと、旧小見川町に入り、「一ノ分目」「三ノ分目」という地名が出てきます。
どう見ても新しく新田開発をしたと思われる平地にあり、開発の順に番号を付けたように思われます。

元和3年(1603)の文書には「一ノ割目(いちのわりめ)」「三ノ割目(さんのわりめ)」とあり、寛永2年(1625)の知行宛行状では「一二分目村」が見える。


6) ≪分郷  わかれごう≫ 香取市 

 旧小見川町の下総台地北端に位置し、北方を利根川が流れている。小見川城山公園の麓から北側の地域にある。

この地には古墳群が残る。
地名は下小堀(しもこぼり)村からの分村によるものか。(角川 日本地名大辞典)

元禄郷帳には「ブンゴウ」と訓がふられている。

7) ≪新部  にっぺ≫ 香取市

新辺とも書いた。
鎌倉期の弘安元年(1278)の香取神領田数目録に「新都村」と見える。当時は香取社神領に一つであった。
慶長4年(1599)の検地では「新市場村」の枝村とされている。
地名の由来は
・「にい(新)・べ(辺)」の転訛で新しくできた川沿いの地の意味か
とあるも不明。


<イチブ>地名

東京都八王子市上壱分方町 いちぶかたまち
新潟県糸魚川市市振         いちぶり
新潟県阿賀野市上一分 かみいちぶ
新潟県阿賀野市下一分 しもいちぶ
京都府京丹後市久美浜町壱分 いちぶ
奈良県生駒市壱分町         いちぶちょう
和歌山県東牟婁郡古座川町一雨  いちぶり
鳥取県米子市一部         いちぶ
福岡県大牟田市一部町 いちぶまち
長崎県平戸市生月町壱部 いちぶ
長崎県平戸市生月町壱部浦 いちぶうら
熊本県荒尾市一部         いちぶ
熊本県球磨郡錦町一武 いちぶ
宮崎県延岡市北浦町市振 いちぶり

この中の奈良県生駒市に「壱分」という地名がありますが、そこの近鉄の駅名は「一分」です。
「一分」が室町時代ころから江戸期まで使われている地名で、明治になって「壱分村」に変わったそうです。
これもおそらく「一の分(わけ)」が由来なのでしょう。

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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/22 06:21
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