千葉の難読地名(24) 傍示戸、忽戸、畔戸
≪傍示戸 ほうじど≫ 横芝光町
≪忽戸 こっと≫ 南房総市
≪畔戸 くろと≫ 木更津市

最後の「戸」のつく地名で、前回の岡発戸(おかほっと)に続いて、読み方が難しい地名を拾ってみました。
≪傍示戸 ほうじど≫ 横芝光町
栗山川左岸に位置する。
地名の由来は上総・下総両国の境界を示す傍示の所在したことにちなむという。(角川 日本地名大辞典)
傍示とは、傍(ふだ)を立てて、国境(くにざかい)であることを示したもので、特に国境となる峠などに全国に立てられました。
傍示峠(=ぼうじだお)などとも呼ばれています。
≪忽戸 こっと≫ 南房総市(千倉町)
川口川左岸にあり、東は太平洋に面する。
1597年の検地高目録に「忽戸村」とある。太平洋側は岩礁が多い荒磯で漁船の危険ヶ所として知られてた「忽戸(ごっと)の鼻」がある。
また、忽戸(こっと)の灰汁井戸(あくいど)という洗濯井戸があります。ここは一年中、沸き出る水の量は少しも変わらず、その上、汚れが真っ白に落ちる不思議な井戸のため、その井戸のできた謂(いわ)れとして、弘法大師がこの地で錫杖で地を突いたら湧き出たという伝承があります。
地名の由来としては「。「こじ(抉)・と(処)」の転訛で浸食地を指す。」などがありました。
愛媛県松山市の北の瀬戸内海に「忽那諸島(くつなしょとう)」という島がありますが、この忽那(くつな)は8世紀頃には「骨奈島」などとも書かれていたといいます。忽戸の鼻などといわれた地形と関係が有るのかもしれません。
≪畔戸 くろと≫ 木更津市
【畔】を「はん」や「あぜ」ではなく、「くろ」と読むのは、一般には「土を盛り上げた田畑の境」を指す言葉であるとされます。
この畔戸地区には伊豆の石橋山で敗れた源頼朝が房総に逃れて軍勢を立て直して、兵を募りながら北上したとされますが、海岸に沿って讃岐(佐貫)の枝浜、磯が崎、篠部と続き、「いかひしり」というところに着き給ふ」と書かれており、この「いかひしり」がこの畔戸(くろと)付近ではないかといわれている(角川 日本地名辞典)
地名由来は良くわからなかったが、土を盛って田畑を作り、その集落の入り口といった意味か?
また茂原市にも「黒戸(くろと)」という地名がありますが、昔はこちらも「畔戸」と書かれていたという。それが大登村と一緒になっていたのを、天正19年の検地で大登村と分かれた際に名前を「黒戸」に変更したという。(上総国町村誌)
<畔を”くろ”と読む地名>
北海道空知郡南富良野町幾寅(山畔) (やまくろ)
山形県西置賜郡白鷹町畔藤 くろふじ
千葉県木更津市畔戸 くろと
千葉県流山市大畔 おおぐろ
京都府京都市伏見区横大路畔ノ内 くろのうち
<その他の千葉県の”戸”が付く地名>
千葉県我孫子市古戸 ふるど
千葉県佐倉市米戸 こめど
千葉県市原市戸面 とづら
千葉県勝浦市宿戸 しゅくど
千葉県勝浦市小羽戸 こばど
千葉県千葉市中央区仁戸名町 にとなちょう
千葉県千葉市中央区登戸 のぶと
千葉県匝瑳市登戸 のぶと
千葉県南房総市合戸 ごうど
千葉県南房総市小戸 おど
また、最初の【傍示(ほうじ)】に関連する地名として
≪下ヶ傍示 さげぼうじ≫ 大網白里市
があります。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪忽戸 こっと≫ 南房総市
≪畔戸 くろと≫ 木更津市

最後の「戸」のつく地名で、前回の岡発戸(おかほっと)に続いて、読み方が難しい地名を拾ってみました。
≪傍示戸 ほうじど≫ 横芝光町
栗山川左岸に位置する。
地名の由来は上総・下総両国の境界を示す傍示の所在したことにちなむという。(角川 日本地名大辞典)
傍示とは、傍(ふだ)を立てて、国境(くにざかい)であることを示したもので、特に国境となる峠などに全国に立てられました。
傍示峠(=ぼうじだお)などとも呼ばれています。
≪忽戸 こっと≫ 南房総市(千倉町)
川口川左岸にあり、東は太平洋に面する。
1597年の検地高目録に「忽戸村」とある。太平洋側は岩礁が多い荒磯で漁船の危険ヶ所として知られてた「忽戸(ごっと)の鼻」がある。
また、忽戸(こっと)の灰汁井戸(あくいど)という洗濯井戸があります。ここは一年中、沸き出る水の量は少しも変わらず、その上、汚れが真っ白に落ちる不思議な井戸のため、その井戸のできた謂(いわ)れとして、弘法大師がこの地で錫杖で地を突いたら湧き出たという伝承があります。
地名の由来としては「。「こじ(抉)・と(処)」の転訛で浸食地を指す。」などがありました。
愛媛県松山市の北の瀬戸内海に「忽那諸島(くつなしょとう)」という島がありますが、この忽那(くつな)は8世紀頃には「骨奈島」などとも書かれていたといいます。忽戸の鼻などといわれた地形と関係が有るのかもしれません。
≪畔戸 くろと≫ 木更津市
【畔】を「はん」や「あぜ」ではなく、「くろ」と読むのは、一般には「土を盛り上げた田畑の境」を指す言葉であるとされます。
この畔戸地区には伊豆の石橋山で敗れた源頼朝が房総に逃れて軍勢を立て直して、兵を募りながら北上したとされますが、海岸に沿って讃岐(佐貫)の枝浜、磯が崎、篠部と続き、「いかひしり」というところに着き給ふ」と書かれており、この「いかひしり」がこの畔戸(くろと)付近ではないかといわれている(角川 日本地名辞典)
地名由来は良くわからなかったが、土を盛って田畑を作り、その集落の入り口といった意味か?
また茂原市にも「黒戸(くろと)」という地名がありますが、昔はこちらも「畔戸」と書かれていたという。それが大登村と一緒になっていたのを、天正19年の検地で大登村と分かれた際に名前を「黒戸」に変更したという。(上総国町村誌)
<畔を”くろ”と読む地名>
北海道空知郡南富良野町幾寅(山畔) (やまくろ)
山形県西置賜郡白鷹町畔藤 くろふじ
千葉県木更津市畔戸 くろと
千葉県流山市大畔 おおぐろ
京都府京都市伏見区横大路畔ノ内 くろのうち
<その他の千葉県の”戸”が付く地名>
千葉県我孫子市古戸 ふるど
千葉県佐倉市米戸 こめど
千葉県市原市戸面 とづら
千葉県勝浦市宿戸 しゅくど
千葉県勝浦市小羽戸 こばど
千葉県千葉市中央区仁戸名町 にとなちょう
千葉県千葉市中央区登戸 のぶと
千葉県匝瑳市登戸 のぶと
千葉県南房総市合戸 ごうど
千葉県南房総市小戸 おど
また、最初の【傍示(ほうじ)】に関連する地名として
≪下ヶ傍示 さげぼうじ≫ 大網白里市
があります。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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