千葉の難読地名(31) 稲荷木 稲荷山
≪稲荷木 とうかぎ≫ 市川市
≪稲荷山 とうかやま≫ 成田市

何故稲荷を「いなり」とよまずに「とうか」と音読みするのか?
稲荷神社で「いなり」という読み方が一般的になって「稲」の音読みである「とう」という読み方がすぐに出てこない。
「水稲・陸稲」などとなれば「とう」と普通に読めるのだが・・・・・
≪稲荷木 とうかぎ≫ 市川市
江戸川の下流で、旧江戸川が分離する左岸に位置する。
稲荷木村の集落は市川村や八幡村から本行徳村に通じる木下街道に沿って形成される。
寛文期(1661~1673)の絵図には「トウカキ」と見える(平凡社 千葉県の地名)
この稲荷木の地名は【稲を干す木=稲木】から来ているとする説がある。
≪稲荷山 とうかやま≫ 成田市(旧大栄町)
大須賀川の支流の天昌寺川に臨む丘陵地縁辺に位置する。
地名は鎮守である稲荷社(現宇迦神社)の鎮座による。同社は中世久井崎城内に勧請されたもので、多古町東松崎および佐原市(現香取市)岩ヶ崎の稲荷神社とともに、香取郡三崎稲荷と称されたという。(角川 日本地名大辞典)
この稲荷を「とうか」と読む地名は全国に結構たくさんある。
群馬県前橋市稲荷新田町 とうかしんでんまち
群馬県高崎市稲荷台町 とうかだいまち
福岡県大牟田市稲荷町 とうかまち
江戸時代には稲荷神社も「伊奈利」と書かれていた神社も多い。
元々穀物などの神を祀る神社で、神仏習合の地域信仰で祀られてきたが、次第に正一位の京都の伏見稲荷を総本山とするようになったものだと思われる。
「稲荷」の漢字も元々は「稲成」であったようだが、稲を荷なう神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとも言われている。
(Wikipedia)
そのため、「稲荷=とうか」という読み方も江戸時代初期には比較的一般に使われていたのかもしれない。
広島市中区にある圓隆寺の総鎮守である「稲荷大明神」では「とうかさん大祭」という祭りが行われている。
そこのHPでは、この「とうかさん」という言葉は、『御神体である「稲荷大明神」は法華経の守護神で稲荷を「いなり」と唱えず、音読みで「とうか」と呼んだのが語源』となっていました。
このため、「稲荷=トウカ」の読みは神仏習合において、法華経(仏教)を意識した時の呼び方ではないかと思われます。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪稲荷山 とうかやま≫ 成田市

何故稲荷を「いなり」とよまずに「とうか」と音読みするのか?
稲荷神社で「いなり」という読み方が一般的になって「稲」の音読みである「とう」という読み方がすぐに出てこない。
「水稲・陸稲」などとなれば「とう」と普通に読めるのだが・・・・・
≪稲荷木 とうかぎ≫ 市川市
江戸川の下流で、旧江戸川が分離する左岸に位置する。
稲荷木村の集落は市川村や八幡村から本行徳村に通じる木下街道に沿って形成される。
寛文期(1661~1673)の絵図には「トウカキ」と見える(平凡社 千葉県の地名)
この稲荷木の地名は【稲を干す木=稲木】から来ているとする説がある。
≪稲荷山 とうかやま≫ 成田市(旧大栄町)
大須賀川の支流の天昌寺川に臨む丘陵地縁辺に位置する。
地名は鎮守である稲荷社(現宇迦神社)の鎮座による。同社は中世久井崎城内に勧請されたもので、多古町東松崎および佐原市(現香取市)岩ヶ崎の稲荷神社とともに、香取郡三崎稲荷と称されたという。(角川 日本地名大辞典)
この稲荷を「とうか」と読む地名は全国に結構たくさんある。
群馬県前橋市稲荷新田町 とうかしんでんまち
群馬県高崎市稲荷台町 とうかだいまち
福岡県大牟田市稲荷町 とうかまち
江戸時代には稲荷神社も「伊奈利」と書かれていた神社も多い。
元々穀物などの神を祀る神社で、神仏習合の地域信仰で祀られてきたが、次第に正一位の京都の伏見稲荷を総本山とするようになったものだと思われる。
「稲荷」の漢字も元々は「稲成」であったようだが、稲を荷なう神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとも言われている。
(Wikipedia)
そのため、「稲荷=とうか」という読み方も江戸時代初期には比較的一般に使われていたのかもしれない。
広島市中区にある圓隆寺の総鎮守である「稲荷大明神」では「とうかさん大祭」という祭りが行われている。
そこのHPでは、この「とうかさん」という言葉は、『御神体である「稲荷大明神」は法華経の守護神で稲荷を「いなり」と唱えず、音読みで「とうか」と呼んだのが語源』となっていました。
このため、「稲荷=トウカ」の読みは神仏習合において、法華経(仏教)を意識した時の呼び方ではないかと思われます。
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