千葉の難読地名(34) 大豆谷 桐谷 竜谷
≪大豆谷 まめざく≫ 東金市
≪桐谷 きりざく≫ 香取市
≪竜谷 りゅうざく≫ 香取市

≪大豆谷 まめざく≫ 東金市
九十九里浜平野最奥部、両総台地東端に位置する。
文禄3年(1594)の検地高帳に「大豆作村」とある。
大豆谷の地名由来については、豆作に適していたからではないかともいわれているようだが、もう少し調べてみなければならない。
まず、谷を「ザク」ということについてだが、「作」「佐久」(サク)という地名の多くは、作物を作るということではなく、「狭く、先の細く行きづまった谷地形」を意味する場合が多いという。
茨城県石岡市にも杉の古木で知られた「佐久」という地区があるが、この地形によく合っているように思われる。
千葉県に谷が付く地名で、「ざく、さく」とよむ地名が他に2か所あった。
≪桐谷 きりざく≫ 香取市
旧山田町の下総台地東部の丘陵上に位置する。
地名は当地を南北にはさむ谷地地形にちなむか。(角川 日本地名大辞典)
(桐が付く千葉県の地名には次の2件がありました)
<桐ケ作 きりがさく> 関宿町
(室町時代に桐賀作と見える)
<桐ケ谷 きりがや> 流山市
(室町時代に「桐谷」と見える)
≪竜谷 りゅうざく≫ 香取市
下総台地北部、利根川支流の清水川川上地域に位置する。
元禄13年(1700)頃の文書に村名が書かれている。
やはり地形的には谷=ザク=狭く、先の細く行きづまった谷地形 という流れが見て取れそうです。
≪大豆 まめ≫地名について
さて、もう一つの「大豆=まめ」地名も気になるので全国の地名から読み方を探ってみた。
(大豆=まめ)
青森県上北郡横浜町大豆田 まめだ
埼玉県比企郡鳩山町大豆戸 まめど
千葉県東金市大豆谷 まめざく
神奈川県横浜市港北区大豆戸町 まめどちょう
「真間処(ママド):くぼんだ場所の意」という読み方が転化して「マメド」になり、その後マメに「大豆」の字を充て、「大豆戸」になった説が有力とあった。
石川県金沢市大豆田本町 まめだほんまち
長野県長野市大豆島 まめじま
大阪府堺市北区大豆塚町 まめづかちょう
奈良県奈良市大豆山町 まめやまちょう
奈良県奈良市大豆山突抜町 まめやまぬけちょう
奈良県桜井市大豆越 まめごし
奈良県吉野郡東吉野村大豆生 まめお
山梨県北杜市須玉町大豆生田 まみょうだ
(大豆=おおまめ)
福島県会津若松市大戸町上三寄大豆田 おおまめた
福島県喜多方市大豆田 おおまめだ
栃木県大田原市大豆田 おおまめだ
富山県南砺市利賀村大豆谷 おおまめだに
(大豆=だいず)
新潟県上越市大豆 だいず
とあり、大豆=マメ 地名は思ったより多くあった。
もちろん地名由来も「「大豆」が良くできる処」などの説明由来もあるが、どうもこれの多くは違うように思う。
ヒントとなるのは 「間々」「真間」「真々」「万々」「墹」「儘」など「ママ」と読む地名の多さだ。
これらの地名の多くが傾斜地、崖線、地形の崩れを指す地形語で、日本にかなり昔からある古語だという。
千葉県にも
≪真間 まま≫ 市川市
≪欠真間 かけまま≫ 市川市
の2か所があった。
他県にも
北海道千歳市真々地 ままち
福島県大沼郡会津美里町真々川 ままかわ
栃木県小山市間々田 ままだ
群馬県みどり市大間々町大間々 おおまま
埼玉県熊谷市間々田 ままだ
愛知県小牧市間々 まま
三重県桑名市長島町間々 まま
などがあった。
柳田國男の「地名の研究」の中にもやはり書かれていた。
一二 真間
『万葉集』の勝鹿(かつしか)の真間(まま)の入江、または麻万(まま)の浦は果して今の東葛飾郡市川市大字真間(まま)であろうか。
あの辺の地形には千年の間に大なる変化があったと思われるから、むしろ地名の意義から昔を推測する方が早い。
ママという地名は東部日本に充満している。
汽車の駅名にも間々田があり、大間々がある。
この大間々(上野(こうずけ)山田郡大間々町に近き停車場)に関しては、『上野(こうずけ)名跡志』に左の説がある。
『十六夜(いざよい)日記残月抄』に、間々は儘(まま)にて、土が心の儘に崩るる所をいう。
上野の大真間などもその意なりとあり。げにも渡瀬川の高崖にて、躍滝というあたりなどはさる所なり。
心の儘は牽強(けんきょう)の説であるが、土の崩れる崖をママということは旁証(ぼうしょう)がある。
相模の愛甲(あいこう)村辺でかくのごとき崖地をママックズレということは、現にその地に往って聞いた。
また、武蔵西多摩郡三里村大字高尾字崩崖上(ままうえ)という地名もある。
『伊豆志』には左のごとき記事がある。
伊豆田方郡川西村大字墹之上(ままのうえ) およそ土堤の敷地と馬踏との間を、郷語にてママという。
この村土堤の左傍に低田ありて、ママ長きこと数町なり。
上総・信濃でも土堤のことをママという。その説明には崩れるということはないが、高地の側面をママということだけは前説と通じている。『地名辞書』にも、相模足柄上郡福沢村大字壗下(まました)に関して、崖のはずれをママというと記してある。
壗の字は『残月抄』の説と同様の考えから儘の字の左を土扁にしたまでである。
伊豆の墹之上の墹の字も、間(ま)の字に土扁を附けたのである。さてこの地名分布の例を少々挙げるならば、
・ 豊前(ぶぜん)下毛(しもげ)郡和田村大字田尻字間崎
・ 因幡八頭郡登米(とよね)村大字横地字儘山
・ 丹波多紀郡福住村大字川原字ママ谷
・ 尾張東春日井郡小牧町大字間々
・ 駿河安倍郡賤機(しずはた)村大字郷島字ママ下
・ 遠江浜名郡美島村大字本沢谷字満々下
・ 甲斐北巨摩郡小笠原村大字小笠原字東大ママ
・ 武蔵北足立郡片柳村大字染谷字高儘
・ 常陸真壁郡紫尾(しお)村大字酒寄(さかより)字間々田
・ 磐城双葉郡浪江(なみえ)町大字川添字間々内
・ 岩代(いわしろ)耶麻(やま)郡松山村大字大飯坂字東高儘
・ 羽前(うぜん)南置賜(みなみおきたま)郡山上村大字板谷字寺儘下
壱岐(いき)の武生水(むしょうず)の海岸にもママ川内という地名がある。
右のごとく分布は広いけれども、自分はママはアイヌ語の残存だと信じている。
それは日本語にてはママの原義が説明しあたわぬ上、『蝦夷語地名解』(再版四〇三頁)には、
北見宗谷(そうや)郡メメナイ、崩れ川、崩壊をメメという。
とある例もあるからである。
ただしバチェラー氏辞彙にはこの語は見えぬ。
『地名辞書』中にも心当りはない。
もしママがアイヌ語のメメと同原より来たものなら、本家はあちらというのが妥当であろう。
葛飾郡の真間よりさらに川下に東京府管内にかけて、欠間(かけまま)という大字もある。
地形と合わぬのは民居とともに地名がすべって往ったのであろう。
地名から推測すれば、川土で新地を作る以前には、河水が絶壁の下まで湾入していること、たとえばこの国海上(かいじょう)郡銚子町の南方、外川(とかわ)から菜洗(なあらい)浦辺の光景、または能登の和倉以東の海岸などのような地形で、その崖の上から美人手古奈(てこなが)海を眺めていたためであろう。
肥後阿蘇郡の馬見原(まみはら)も崩崖はあるが、これは諸国に多数ある馬見塚(まみづか)または豆塚などと同じく、信仰より起った地名かと思う仔細があって例証にはせぬ(羽前山形の馬見崎川、常陸の馬見山なども同様である)。ゆえに日本の地名の中では、ママとマ行に発音するものばかりを説明しておく。
「ママ」が古語であることは確かのようだが、由来がどこから来たかはここでは確認できなかった。
アイヌ語を調べても「メメ」「ママ」などは出てこない。「ナイは川や沢」だ。
とりあえず、これだけをここに載せておく。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪桐谷 きりざく≫ 香取市
≪竜谷 りゅうざく≫ 香取市

≪大豆谷 まめざく≫ 東金市
九十九里浜平野最奥部、両総台地東端に位置する。
文禄3年(1594)の検地高帳に「大豆作村」とある。
大豆谷の地名由来については、豆作に適していたからではないかともいわれているようだが、もう少し調べてみなければならない。
まず、谷を「ザク」ということについてだが、「作」「佐久」(サク)という地名の多くは、作物を作るということではなく、「狭く、先の細く行きづまった谷地形」を意味する場合が多いという。
茨城県石岡市にも杉の古木で知られた「佐久」という地区があるが、この地形によく合っているように思われる。
千葉県に谷が付く地名で、「ざく、さく」とよむ地名が他に2か所あった。
≪桐谷 きりざく≫ 香取市
旧山田町の下総台地東部の丘陵上に位置する。
地名は当地を南北にはさむ谷地地形にちなむか。(角川 日本地名大辞典)
(桐が付く千葉県の地名には次の2件がありました)
<桐ケ作 きりがさく> 関宿町
(室町時代に桐賀作と見える)
<桐ケ谷 きりがや> 流山市
(室町時代に「桐谷」と見える)
≪竜谷 りゅうざく≫ 香取市
下総台地北部、利根川支流の清水川川上地域に位置する。
元禄13年(1700)頃の文書に村名が書かれている。
やはり地形的には谷=ザク=狭く、先の細く行きづまった谷地形 という流れが見て取れそうです。
≪大豆 まめ≫地名について
さて、もう一つの「大豆=まめ」地名も気になるので全国の地名から読み方を探ってみた。
(大豆=まめ)
青森県上北郡横浜町大豆田 まめだ
埼玉県比企郡鳩山町大豆戸 まめど
千葉県東金市大豆谷 まめざく
神奈川県横浜市港北区大豆戸町 まめどちょう
「真間処(ママド):くぼんだ場所の意」という読み方が転化して「マメド」になり、その後マメに「大豆」の字を充て、「大豆戸」になった説が有力とあった。
石川県金沢市大豆田本町 まめだほんまち
長野県長野市大豆島 まめじま
大阪府堺市北区大豆塚町 まめづかちょう
奈良県奈良市大豆山町 まめやまちょう
奈良県奈良市大豆山突抜町 まめやまぬけちょう
奈良県桜井市大豆越 まめごし
奈良県吉野郡東吉野村大豆生 まめお
山梨県北杜市須玉町大豆生田 まみょうだ
(大豆=おおまめ)
福島県会津若松市大戸町上三寄大豆田 おおまめた
福島県喜多方市大豆田 おおまめだ
栃木県大田原市大豆田 おおまめだ
富山県南砺市利賀村大豆谷 おおまめだに
(大豆=だいず)
新潟県上越市大豆 だいず
とあり、大豆=マメ 地名は思ったより多くあった。
もちろん地名由来も「「大豆」が良くできる処」などの説明由来もあるが、どうもこれの多くは違うように思う。
ヒントとなるのは 「間々」「真間」「真々」「万々」「墹」「儘」など「ママ」と読む地名の多さだ。
これらの地名の多くが傾斜地、崖線、地形の崩れを指す地形語で、日本にかなり昔からある古語だという。
千葉県にも
≪真間 まま≫ 市川市
≪欠真間 かけまま≫ 市川市
の2か所があった。
他県にも
北海道千歳市真々地 ままち
福島県大沼郡会津美里町真々川 ままかわ
栃木県小山市間々田 ままだ
群馬県みどり市大間々町大間々 おおまま
埼玉県熊谷市間々田 ままだ
愛知県小牧市間々 まま
三重県桑名市長島町間々 まま
などがあった。
柳田國男の「地名の研究」の中にもやはり書かれていた。
一二 真間
『万葉集』の勝鹿(かつしか)の真間(まま)の入江、または麻万(まま)の浦は果して今の東葛飾郡市川市大字真間(まま)であろうか。
あの辺の地形には千年の間に大なる変化があったと思われるから、むしろ地名の意義から昔を推測する方が早い。
ママという地名は東部日本に充満している。
汽車の駅名にも間々田があり、大間々がある。
この大間々(上野(こうずけ)山田郡大間々町に近き停車場)に関しては、『上野(こうずけ)名跡志』に左の説がある。
『十六夜(いざよい)日記残月抄』に、間々は儘(まま)にて、土が心の儘に崩るる所をいう。
上野の大真間などもその意なりとあり。げにも渡瀬川の高崖にて、躍滝というあたりなどはさる所なり。
心の儘は牽強(けんきょう)の説であるが、土の崩れる崖をママということは旁証(ぼうしょう)がある。
相模の愛甲(あいこう)村辺でかくのごとき崖地をママックズレということは、現にその地に往って聞いた。
また、武蔵西多摩郡三里村大字高尾字崩崖上(ままうえ)という地名もある。
『伊豆志』には左のごとき記事がある。
伊豆田方郡川西村大字墹之上(ままのうえ) およそ土堤の敷地と馬踏との間を、郷語にてママという。
この村土堤の左傍に低田ありて、ママ長きこと数町なり。
上総・信濃でも土堤のことをママという。その説明には崩れるということはないが、高地の側面をママということだけは前説と通じている。『地名辞書』にも、相模足柄上郡福沢村大字壗下(まました)に関して、崖のはずれをママというと記してある。
壗の字は『残月抄』の説と同様の考えから儘の字の左を土扁にしたまでである。
伊豆の墹之上の墹の字も、間(ま)の字に土扁を附けたのである。さてこの地名分布の例を少々挙げるならば、
・ 豊前(ぶぜん)下毛(しもげ)郡和田村大字田尻字間崎
・ 因幡八頭郡登米(とよね)村大字横地字儘山
・ 丹波多紀郡福住村大字川原字ママ谷
・ 尾張東春日井郡小牧町大字間々
・ 駿河安倍郡賤機(しずはた)村大字郷島字ママ下
・ 遠江浜名郡美島村大字本沢谷字満々下
・ 甲斐北巨摩郡小笠原村大字小笠原字東大ママ
・ 武蔵北足立郡片柳村大字染谷字高儘
・ 常陸真壁郡紫尾(しお)村大字酒寄(さかより)字間々田
・ 磐城双葉郡浪江(なみえ)町大字川添字間々内
・ 岩代(いわしろ)耶麻(やま)郡松山村大字大飯坂字東高儘
・ 羽前(うぜん)南置賜(みなみおきたま)郡山上村大字板谷字寺儘下
壱岐(いき)の武生水(むしょうず)の海岸にもママ川内という地名がある。
右のごとく分布は広いけれども、自分はママはアイヌ語の残存だと信じている。
それは日本語にてはママの原義が説明しあたわぬ上、『蝦夷語地名解』(再版四〇三頁)には、
北見宗谷(そうや)郡メメナイ、崩れ川、崩壊をメメという。
とある例もあるからである。
ただしバチェラー氏辞彙にはこの語は見えぬ。
『地名辞書』中にも心当りはない。
もしママがアイヌ語のメメと同原より来たものなら、本家はあちらというのが妥当であろう。
葛飾郡の真間よりさらに川下に東京府管内にかけて、欠間(かけまま)という大字もある。
地形と合わぬのは民居とともに地名がすべって往ったのであろう。
地名から推測すれば、川土で新地を作る以前には、河水が絶壁の下まで湾入していること、たとえばこの国海上(かいじょう)郡銚子町の南方、外川(とかわ)から菜洗(なあらい)浦辺の光景、または能登の和倉以東の海岸などのような地形で、その崖の上から美人手古奈(てこなが)海を眺めていたためであろう。
肥後阿蘇郡の馬見原(まみはら)も崩崖はあるが、これは諸国に多数ある馬見塚(まみづか)または豆塚などと同じく、信仰より起った地名かと思う仔細があって例証にはせぬ(羽前山形の馬見崎川、常陸の馬見山なども同様である)。ゆえに日本の地名の中では、ママとマ行に発音するものばかりを説明しておく。
「ママ」が古語であることは確かのようだが、由来がどこから来たかはここでは確認できなかった。
アイヌ語を調べても「メメ」「ママ」などは出てこない。「ナイは川や沢」だ。
とりあえず、これだけをここに載せておく。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
地名は文字にした場合と聞いた場合で違うことが多々ありますね。
訛りと言ってしまえばそれまでなのですが、香取市(旧山田町)の桐谷(きりざく)も、地元や周辺地区では「きっざく」と言います。
若い方はどうかわかりませんが(^^;
> 地名は文字にした場合と聞いた場合で違うことが多々ありますね。
> 訛りと言ってしまえばそれまでなのですが、香取市(旧山田町)の桐谷(きりざく)も、地元や周辺地区では「きっざく」と言います。
やはり昔からの言い回しと文字にして登録されているのでは違うのでしょうね。
それはまた、地元しかわからない。
難しいです。
「木の葉のゆりかご別館」さんのサイトからでしょうか?
FBを始めてから、ブログ仲間とのコメント交流が減ってしまいました。
これからはもう少しブログ仲間での交流もしていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。