千葉の難読地名(35) 百鉾
≪百鉾 もふく≫ 夷隅郡大多喜町

≪百鉾 もふく≫ 夷隅郡大多喜町
西畑川と平沢川の合流点付近に位置する。木更津への道が通る。笛倉村の枝郷。
文禄3年(1594)の帳に「むほく村」と見える。また寛永10年(1633)には「六鉾村」とある。(平凡社 千葉県の地名)
このように少し村名は変遷があるようで、現在も近くを通るいすみ鉄道の「百鉾踏切」には「もほこ踏切」となっています。
地名の由来などを調べるために、同じ鉾が付く茨城県の「鉾田(ほこた)」を調べてみましょう。
1) 自然堤防上の耕地という意 (茨城地名のはなし(江原忠昭著))
2) 「南北朝期から見える地名」で慶長年間には鉾多とも書き3つの鈴を祀る意味があった。(角川 日本地名大辞典)
3) 慶長年間に鉾多と書かれたことから、古代の武器・用器が多く掘り出された土地を意味する(日本地名ルーツ辞典)
などとあります。
さて、千葉県の百鉾(もふく)は江戸時代は「六鉾」と書いていたようなので、この「六つの鉾」にどのような謂れが隠されているのでしょうか?
京都の祇園祭の起源は、神仏習合時代に疫病が流行った時(863年)に、この「祇園社」で疫病を鎮め、死者の怨霊も鎮めるために、その当時の国の数66と同じ数の鉾(ほこ)を立てて行われた「御霊会」が始まりだといわれています。
66本の鉾・・・・・
今も山鉾(剣鋒)巡行が行われていますが、室町時代になり、それぞれの町が工夫した山鉾をつくり、また鉾と屋台の車が一体になったものが出て来るようになったようです。
数値の「六」には、いろいろな意味が考えられます。
<たくさんの鉾、武器・・・>
<六はまとまりが良く、縁起も良いとする数> 上の祇園祭でも男神輿は六基でる。
<村の数が六で、祭りなどで6ケ村で鉾を立てる御霊祭などがあったか>
その他、地形的な「崩れ地」などの意味合いもあるのか?
など
六鉾(むほこ) ⇒ 百鉾(もほこ・ももほこ) ⇒ 百鉾(もふく) ?
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから

≪百鉾 もふく≫ 夷隅郡大多喜町
西畑川と平沢川の合流点付近に位置する。木更津への道が通る。笛倉村の枝郷。
文禄3年(1594)の帳に「むほく村」と見える。また寛永10年(1633)には「六鉾村」とある。(平凡社 千葉県の地名)
このように少し村名は変遷があるようで、現在も近くを通るいすみ鉄道の「百鉾踏切」には「もほこ踏切」となっています。
地名の由来などを調べるために、同じ鉾が付く茨城県の「鉾田(ほこた)」を調べてみましょう。
1) 自然堤防上の耕地という意 (茨城地名のはなし(江原忠昭著))
2) 「南北朝期から見える地名」で慶長年間には鉾多とも書き3つの鈴を祀る意味があった。(角川 日本地名大辞典)
3) 慶長年間に鉾多と書かれたことから、古代の武器・用器が多く掘り出された土地を意味する(日本地名ルーツ辞典)
などとあります。
さて、千葉県の百鉾(もふく)は江戸時代は「六鉾」と書いていたようなので、この「六つの鉾」にどのような謂れが隠されているのでしょうか?
京都の祇園祭の起源は、神仏習合時代に疫病が流行った時(863年)に、この「祇園社」で疫病を鎮め、死者の怨霊も鎮めるために、その当時の国の数66と同じ数の鉾(ほこ)を立てて行われた「御霊会」が始まりだといわれています。
66本の鉾・・・・・
今も山鉾(剣鋒)巡行が行われていますが、室町時代になり、それぞれの町が工夫した山鉾をつくり、また鉾と屋台の車が一体になったものが出て来るようになったようです。
数値の「六」には、いろいろな意味が考えられます。
<たくさんの鉾、武器・・・>
<六はまとまりが良く、縁起も良いとする数> 上の祇園祭でも男神輿は六基でる。
<村の数が六で、祭りなどで6ケ村で鉾を立てる御霊祭などがあったか>
その他、地形的な「崩れ地」などの意味合いもあるのか?
など
六鉾(むほこ) ⇒ 百鉾(もほこ・ももほこ) ⇒ 百鉾(もふく) ?
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