千葉の難読地名(36) 犢橋
≪犢橋 こてはし≫ 千葉市花見川区
パソコンで「こてはし」と入力しても、すぐに「犢橋」と変換されるほどある程度一般に知られた地名だ。

角川の辞書には 「地名の由来は不明。「犢 こてい」は牡牛の古語「ことひ」の転という。」とある。
室町時代の寺の過去帳に「コテハシ」と記載がある。
慶長19年(1614)に犢橋村が確認されている。しかし元禄郷帳には「コディバシ」と訓がつけられている。
縄文時代晩期の「犢橋貝塚」は貝塚の形が馬蹄の形をしており、注目されており、国の指定史跡だ。
現在はさつきが丘団地の地域内に緑地として保存されている。
「犢」を辞書で引くと、牛の子【子牛 こうし】のことで、古くは「こうじ」と言ったとある。また「トク」とも読むという。
地名由来としては、
・ 「こ(接頭語)・うし(憂し)・はし(端)」で台地端部の洪水氾濫地または地辷り崩壊地を指したもの。
・ 「こじ(抉じ)・はし(端)」で浸食地という意味
・ 「特牛(コトイ)階(ハシ)」が「犢橋(こてはし)」に転訛
( 牡牛を運搬するために低湿地帯から、台地面に引き上げた場所をさすと言われている。
「階」(はし)は上に持ち上げる階段などの意。)
がある。
昔は馬ではなく、牛車で人も移動した。 その船着き場のような低地が湿地帯で、そこから上の台地に牛を引き上げた場所という意味と考えても良いのではないか。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
パソコンで「こてはし」と入力しても、すぐに「犢橋」と変換されるほどある程度一般に知られた地名だ。

角川の辞書には 「地名の由来は不明。「犢 こてい」は牡牛の古語「ことひ」の転という。」とある。
室町時代の寺の過去帳に「コテハシ」と記載がある。
慶長19年(1614)に犢橋村が確認されている。しかし元禄郷帳には「コディバシ」と訓がつけられている。
縄文時代晩期の「犢橋貝塚」は貝塚の形が馬蹄の形をしており、注目されており、国の指定史跡だ。
現在はさつきが丘団地の地域内に緑地として保存されている。
「犢」を辞書で引くと、牛の子【子牛 こうし】のことで、古くは「こうじ」と言ったとある。また「トク」とも読むという。
地名由来としては、
・ 「こ(接頭語)・うし(憂し)・はし(端)」で台地端部の洪水氾濫地または地辷り崩壊地を指したもの。
・ 「こじ(抉じ)・はし(端)」で浸食地という意味
・ 「特牛(コトイ)階(ハシ)」が「犢橋(こてはし)」に転訛
( 牡牛を運搬するために低湿地帯から、台地面に引き上げた場所をさすと言われている。
「階」(はし)は上に持ち上げる階段などの意。)
がある。
昔は馬ではなく、牛車で人も移動した。 その船着き場のような低地が湿地帯で、そこから上の台地に牛を引き上げた場所という意味と考えても良いのではないか。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
そうなんですね。やはり漢字では読めませんね。
で「犢」は牛のことのようですね。少し勉強になっています。