千葉の難読地名(38) 北方町
≪北方町 ぼっけまち≫ 市川市

<北方町 ぼっけまち≫ 市川市
大柏川中流左岸に位置する。
地名は古く、室町期に「北方村」とある。応永年間(1394~1428)の帳に「北方 ボツケ」と見える。
北方町の南側に「北方(きたかた)」という地名があるが、こちらは後から「北方町(ボッケマチ)」より分離したときに、地名の読み方を変えたもの。
さて、「ボッケ」というとあちこちでこの地名の由来はとり上げられているが、アイヌ語説が一番多いように思う。
しかし、どうもスッキリしない。
柳田國男の「地名の研究」には、ハケ、ハッケ、バッケ、ボケ などについては、
「谷川の両岸の山の狭まっている所をホキ・ホケ・ハケという。これは今中国四国などに残っているが大分広い区域にわたっている。吉野川の大ボケ小ボケなどはその一例である」と書かれている。
・・・・・・・・
能登と越中の境などはクエ、崩れることをクエルといったのである。関東・東北はガケ・ガンケが多く、ハケというのもその系統に属するのかも知れぬ。九州から四国ことに土佐にかけては、ツエというのが一般のようになっている。
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たとえば崖の上面を何ハケといい、側面を何ハバといい、急傾斜を何ママというものが、国を連ねても十も十五も発見せられるなら、そのハケ・ハバまたはママは、こういう場所を意味した普通名詞なることが知れるのである
・・・・・・・
ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である。武蔵には特にこれから出た地名が多い。甲武線の附近ではたとえば小金井の字峡田(はけた)、調布町小島分の字峡(はけ)上、谷保の字岨下。北郊にあっては田端の字峡附(はけつき)、岩淵町大字袋字峡通りの類、多くは古くから峡の字が用いてある。『武蔵演路』巻二、豊島郡峡田領の条に、当国の方言に山の岸または丘陵の片なだれの処へ作りかけたる田を、ハケ田というとある。また『新篇風土記稿』の入間(いるま)郡下安松(今の松井村大字)の条には、多摩郡山口村の辺より新座(にいくら)郡引又町(今の北足立郡志木町)の辺まで、すべて峡つづきゆえに高くして南の方は柳瀬(やなせ)川のへりに傍(そ)いたれば低しとある。「峡つづき」の台地の外縁であることは往ってみればすぐ判る。峡の代りに岨もしくは※[#「山+圭」、252-5]の字も用い、西多摩郡平井村の字では欠の字をもってハケに当てている。相模の原野地方にも武蔵野に似た地形があるが、ハケまたは※[#「山+圭」、252-7]の字を当てた例が多い。これらの漢字はさまで研究した用法でもあるまいから、いちいち『竜龕手鑑りゅうがんしゅかん』などを検してみるだけの必要もなかろうが、とにかく文字の方からもある状態を現わそうとした努力だけは見える。しかし他の地方においては多くは羽毛(はけ)・端気(はけ)などと音を画くのをもっぱらとしている。ただ一つ利根川の上流に(上野利根郡)久呂保(くろほ)村大字川額(かわはけ)と、額の字をもって川の高岸を表わしたのは例外で、思川の川筋には(下野上都賀郡)板荷(いたが)村字川化(かわばけま)たは大川化などと化けるという字が当ててある。東北においてはハケよりもハッケの方が多かったと見えて、八慶または何八卦などという地名が少なくない。八景とあるのもいくらも見かける。ハケとハッケと別物でないことは、『茨城県方言集覧』に、
バッケ 多賀地方にて崖のこと また他の地方にて山岡などの直立せる崖
イワハケ 岩の傾きたる岨(そわ)
とある。岨という標準語は普通水流に臨んだ高岸にのみ用いられるが、もし下が湿地平田等何であっても構わぬとすれば、ハケはまことにこれに相当している。」
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などと多くを割いて書いている。
しかし、これが「アイヌ語(縄文語)」かというと、私にはよくわからない。
茨城県も水戸の「木葉下(アボッケ)」、守谷市と筑西市、五霞町の3箇所に「赤法花(アカボッケ)」などがあるが、その他に
・福島県桧枝岐村に「赤法華(アカボッケ)」「赤法華沢(アカボッケザワ)
・栃木県壬生町に「赤仏(アカボッケ)」
・宮城県栗原市に「石法花(イシボッケ)」
・栃木県岩舟町に「法花(ホッケ)」
・愛知県岡崎市に「法花(ホッケ)」
(その他「ホッケ」地名)
新潟県燕市吉田法花堂
新潟県上越市三和区法花寺
富山県滑川市法花寺
石川県加賀市大聖寺法華坊町
愛知県名古屋市中川区法華
愛知県名古屋市中川区法華西町
愛知県稲沢市法花寺町
三重県伊賀市法花
京都府木津川市加茂町法花寺野
兵庫県豊岡市法花寺
奈良県奈良市法華寺町
奈良県橿原市法花寺町
鳥取県鳥取市国府町法花寺
徳島県徳島市八万町(法花)
徳島県徳島市八万町(法花谷)
など「ホッケ」「ボッケ」という地名はたくさんある。
そのほとんどが「崖」とか「崩れ地」に関係が有りそうである。
ただ、アイヌ語にその語源を求めるのは、あまりスッキリした解が見つからないのだ。
アイヌ語で探すと
【pok】 ~の下
【pa-ke】 出崎の突端の崖
位しか見当たらない。
これからなら、東京の国分寺崖線沿いに続く「ハケの道」の「ハケ」は、「水はけ」などと使う「ハケ」と同義であろうと思う。
しかし、「ハケ」「パケ」などと同義で「ホッケ」「ボッケ」などを同じように見ていこうとすると少し無理がある。
また、良くわからないので、地方の方言などとも書かれたり、「カケ=欠け」から来た言葉ではないかなどとも言われているのだろう。
もう少し各地を見ていけばスッキリした由来がわかるのかもしれないが、私の手には余るので、とりあえずここまでとしよう。
千葉県には「法花(ほうげ)」(勝浦市)があるが、こちらはNo9の方に書いた。
古くは「法華」と書き、地名は「生(は)う華」または雑草蔓延の意の「生うけ」に由来すると伝える。(角川 日本地名大辞典)
とある。読み方が異なると解釈もニュアンスが異なってくる。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから

<北方町 ぼっけまち≫ 市川市
大柏川中流左岸に位置する。
地名は古く、室町期に「北方村」とある。応永年間(1394~1428)の帳に「北方 ボツケ」と見える。
北方町の南側に「北方(きたかた)」という地名があるが、こちらは後から「北方町(ボッケマチ)」より分離したときに、地名の読み方を変えたもの。
さて、「ボッケ」というとあちこちでこの地名の由来はとり上げられているが、アイヌ語説が一番多いように思う。
しかし、どうもスッキリしない。
柳田國男の「地名の研究」には、ハケ、ハッケ、バッケ、ボケ などについては、
「谷川の両岸の山の狭まっている所をホキ・ホケ・ハケという。これは今中国四国などに残っているが大分広い区域にわたっている。吉野川の大ボケ小ボケなどはその一例である」と書かれている。
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能登と越中の境などはクエ、崩れることをクエルといったのである。関東・東北はガケ・ガンケが多く、ハケというのもその系統に属するのかも知れぬ。九州から四国ことに土佐にかけては、ツエというのが一般のようになっている。
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たとえば崖の上面を何ハケといい、側面を何ハバといい、急傾斜を何ママというものが、国を連ねても十も十五も発見せられるなら、そのハケ・ハバまたはママは、こういう場所を意味した普通名詞なることが知れるのである
・・・・・・・
ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である。武蔵には特にこれから出た地名が多い。甲武線の附近ではたとえば小金井の字峡田(はけた)、調布町小島分の字峡(はけ)上、谷保の字岨下。北郊にあっては田端の字峡附(はけつき)、岩淵町大字袋字峡通りの類、多くは古くから峡の字が用いてある。『武蔵演路』巻二、豊島郡峡田領の条に、当国の方言に山の岸または丘陵の片なだれの処へ作りかけたる田を、ハケ田というとある。また『新篇風土記稿』の入間(いるま)郡下安松(今の松井村大字)の条には、多摩郡山口村の辺より新座(にいくら)郡引又町(今の北足立郡志木町)の辺まで、すべて峡つづきゆえに高くして南の方は柳瀬(やなせ)川のへりに傍(そ)いたれば低しとある。「峡つづき」の台地の外縁であることは往ってみればすぐ判る。峡の代りに岨もしくは※[#「山+圭」、252-5]の字も用い、西多摩郡平井村の字では欠の字をもってハケに当てている。相模の原野地方にも武蔵野に似た地形があるが、ハケまたは※[#「山+圭」、252-7]の字を当てた例が多い。これらの漢字はさまで研究した用法でもあるまいから、いちいち『竜龕手鑑りゅうがんしゅかん』などを検してみるだけの必要もなかろうが、とにかく文字の方からもある状態を現わそうとした努力だけは見える。しかし他の地方においては多くは羽毛(はけ)・端気(はけ)などと音を画くのをもっぱらとしている。ただ一つ利根川の上流に(上野利根郡)久呂保(くろほ)村大字川額(かわはけ)と、額の字をもって川の高岸を表わしたのは例外で、思川の川筋には(下野上都賀郡)板荷(いたが)村字川化(かわばけま)たは大川化などと化けるという字が当ててある。東北においてはハケよりもハッケの方が多かったと見えて、八慶または何八卦などという地名が少なくない。八景とあるのもいくらも見かける。ハケとハッケと別物でないことは、『茨城県方言集覧』に、
バッケ 多賀地方にて崖のこと また他の地方にて山岡などの直立せる崖
イワハケ 岩の傾きたる岨(そわ)
とある。岨という標準語は普通水流に臨んだ高岸にのみ用いられるが、もし下が湿地平田等何であっても構わぬとすれば、ハケはまことにこれに相当している。」
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などと多くを割いて書いている。
しかし、これが「アイヌ語(縄文語)」かというと、私にはよくわからない。
茨城県も水戸の「木葉下(アボッケ)」、守谷市と筑西市、五霞町の3箇所に「赤法花(アカボッケ)」などがあるが、その他に
・福島県桧枝岐村に「赤法華(アカボッケ)」「赤法華沢(アカボッケザワ)
・栃木県壬生町に「赤仏(アカボッケ)」
・宮城県栗原市に「石法花(イシボッケ)」
・栃木県岩舟町に「法花(ホッケ)」
・愛知県岡崎市に「法花(ホッケ)」
(その他「ホッケ」地名)
新潟県燕市吉田法花堂
新潟県上越市三和区法花寺
富山県滑川市法花寺
石川県加賀市大聖寺法華坊町
愛知県名古屋市中川区法華
愛知県名古屋市中川区法華西町
愛知県稲沢市法花寺町
三重県伊賀市法花
京都府木津川市加茂町法花寺野
兵庫県豊岡市法花寺
奈良県奈良市法華寺町
奈良県橿原市法花寺町
鳥取県鳥取市国府町法花寺
徳島県徳島市八万町(法花)
徳島県徳島市八万町(法花谷)
など「ホッケ」「ボッケ」という地名はたくさんある。
そのほとんどが「崖」とか「崩れ地」に関係が有りそうである。
ただ、アイヌ語にその語源を求めるのは、あまりスッキリした解が見つからないのだ。
アイヌ語で探すと
【pok】 ~の下
【pa-ke】 出崎の突端の崖
位しか見当たらない。
これからなら、東京の国分寺崖線沿いに続く「ハケの道」の「ハケ」は、「水はけ」などと使う「ハケ」と同義であろうと思う。
しかし、「ハケ」「パケ」などと同義で「ホッケ」「ボッケ」などを同じように見ていこうとすると少し無理がある。
また、良くわからないので、地方の方言などとも書かれたり、「カケ=欠け」から来た言葉ではないかなどとも言われているのだろう。
もう少し各地を見ていけばスッキリした由来がわかるのかもしれないが、私の手には余るので、とりあえずここまでとしよう。
千葉県には「法花(ほうげ)」(勝浦市)があるが、こちらはNo9の方に書いた。
古くは「法華」と書き、地名は「生(は)う華」または雑草蔓延の意の「生うけ」に由来すると伝える。(角川 日本地名大辞典)
とある。読み方が異なると解釈もニュアンスが異なってくる。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
やはり水戸の木葉下(アボッケ)の名前の由来を調べる時に必ず参照されるからでしょう。
各地に似たような地名もあるのですが、どこまで同じ由来なのかよくわからなくなっています。
行かれるそうですが、崖地とか、台地の端部とかいうイメージが沸くかどうかですね。
やはり行ってみないとわからないことが多いですね。
千葉県の地名を調べていて、茨城よりも難しい読みの地名が多いです。
また古代地名も市川、市原市あたりに多くありますね。
昔の律令制の頃の勉強もさせられている気になります。
昔の姿を想像するのには地名を追いかけるのも面白いです。