千葉の難読地名(46) 行川、 行々林、 滑谷
≪行川 なめがわ≫ いすみ市、 勝浦市
≪行々林 おどろばやし≫ 船橋市
≪滑谷 ぬかりや≫ 鴨川市

≪行川 なめがわ≫ いすみ市
≪浜行川 はまなめがわ≫ 勝浦市
≪滑川 なめがわ≫ 下総町
「行」を「なめ」と読む地名は結構あるが、どうしてこのようになったかが良くわからない。
茨城の「行方=なめかた」が他県の方には読みにくいとされている。
ただこちらの行方の名前もかなり古く、奈良時代の常陸国風土記の頃にもよくわからなかったようで、ヤマトタケルの話として由来が書かれている。
現原(あらはら)丘の上に立って眺めると、「山の尾根も海の入江も、互ひ違ひに交はり、うねうねと曲がりくねってゐる。
峰の頂にかかる雲も、谷に向かって沈む霧も、見事な配置で並べられて(並めて)ゐて、繊細(くはしい)美しさがある。
だからこの国の名を、行細(なめくはし)と呼ばう」。
行細の名は、後には、行方(なめかた)といふやうになった。(口訳・常陸国風土記)
と書かれています。
<行細=なめくわし> ⇒ 行方(なめかた)
となったとされています。
ここでは 行(なめ)=並(ならぶ) 程度の意味のようです。
また石岡の「行里川(なめりかわ)」地名も地元の本には「川の土手が滑らかで滑りやすく、戦で川を渡るのに苦労した」などと紹介されています。
千葉県勝浦市の浜行川(はまなめかわ)にはかつて「行川(なめがわ)アイランド」があり、有名な施設でしたので今でも覚えておられる方も多いと思います。鴨川シーワールド、東京デズニーランドなどが開演して、客数も減ってしまったようです。
ただ、また新たな、「勝浦シーサイドパークリゾート」なる施設の建設もこの春から予定されていましたが、コロナ騒動でどうなっているでしょうか。
<行川 なめがわ いすみ市>
文禄3年(1594)の村高帳に村名(行川村)が記載されている。
<浜行川 はまなめがわ 勝浦市>
古くは「滑川(なめかわ)といった。
文禄3年(1594)の村高帳に村名「行川村」と記載されている。
江戸時代初期の寛文年間(1661~1673)頃まで「浜行川」と「岡行川」に分かれていたが、漁業が盛んになり、「浜行川村」に統一されたという。
<滑川 なめがわ 香取市(旧下総町)>
滑河村:室町期の応永33(1426)年の証状に村名(滑河村)の記載がある。
また「行河村」と記載されたものもあるという。
江戸期~明治22年 「滑河村」や「滑川村」と書いた。
明治22年~昭和30年:滑河町となったが、大字名として「滑川」が存続し、現在に至る
やはり≪行川≫≪滑川≫はほぼ同じように昔から使われていたようだ。
≪行々林 おどろばやし≫ 船橋市
この「行々林」という難読漢字は、船橋市に吸収された際、読みづらいため「鈴身町」(すずみちょう)に変更されたとのこと。
行々林=おどろばやし の地名由来は 大多喜町の「小土呂 おどろ」地名と同じで、
1) おどろ(荊棘)の茂る地
2) 水音が激しく、「トドロ」のいう音にからついた
の2つの説があります。
一般的に「驚」などの地名は2)の音が由来な場合が多いようですが、ここは応永年間(室町時代)の書状に「おどろがや」と書かれている場所とみられ、1) のおどろ(荊棘)説が強いようです。
「おどろ」を辞書で引くと、一般的には「やぶ=藪」が茂っている場所や、髪が乱れている場合などに使う表現のようです。
≪滑谷 ぬかりや≫ 鴨川市
慶長2年(1597)の検地高目録に「ぬかり屋村」との記載がある。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪行々林 おどろばやし≫ 船橋市
≪滑谷 ぬかりや≫ 鴨川市

≪行川 なめがわ≫ いすみ市
≪浜行川 はまなめがわ≫ 勝浦市
≪滑川 なめがわ≫ 下総町
「行」を「なめ」と読む地名は結構あるが、どうしてこのようになったかが良くわからない。
茨城の「行方=なめかた」が他県の方には読みにくいとされている。
ただこちらの行方の名前もかなり古く、奈良時代の常陸国風土記の頃にもよくわからなかったようで、ヤマトタケルの話として由来が書かれている。
現原(あらはら)丘の上に立って眺めると、「山の尾根も海の入江も、互ひ違ひに交はり、うねうねと曲がりくねってゐる。
峰の頂にかかる雲も、谷に向かって沈む霧も、見事な配置で並べられて(並めて)ゐて、繊細(くはしい)美しさがある。
だからこの国の名を、行細(なめくはし)と呼ばう」。
行細の名は、後には、行方(なめかた)といふやうになった。(口訳・常陸国風土記)
と書かれています。
<行細=なめくわし> ⇒ 行方(なめかた)
となったとされています。
ここでは 行(なめ)=並(ならぶ) 程度の意味のようです。
また石岡の「行里川(なめりかわ)」地名も地元の本には「川の土手が滑らかで滑りやすく、戦で川を渡るのに苦労した」などと紹介されています。
千葉県勝浦市の浜行川(はまなめかわ)にはかつて「行川(なめがわ)アイランド」があり、有名な施設でしたので今でも覚えておられる方も多いと思います。鴨川シーワールド、東京デズニーランドなどが開演して、客数も減ってしまったようです。
ただ、また新たな、「勝浦シーサイドパークリゾート」なる施設の建設もこの春から予定されていましたが、コロナ騒動でどうなっているでしょうか。
<行川 なめがわ いすみ市>
文禄3年(1594)の村高帳に村名(行川村)が記載されている。
<浜行川 はまなめがわ 勝浦市>
古くは「滑川(なめかわ)といった。
文禄3年(1594)の村高帳に村名「行川村」と記載されている。
江戸時代初期の寛文年間(1661~1673)頃まで「浜行川」と「岡行川」に分かれていたが、漁業が盛んになり、「浜行川村」に統一されたという。
<滑川 なめがわ 香取市(旧下総町)>
滑河村:室町期の応永33(1426)年の証状に村名(滑河村)の記載がある。
また「行河村」と記載されたものもあるという。
江戸期~明治22年 「滑河村」や「滑川村」と書いた。
明治22年~昭和30年:滑河町となったが、大字名として「滑川」が存続し、現在に至る
やはり≪行川≫≪滑川≫はほぼ同じように昔から使われていたようだ。
≪行々林 おどろばやし≫ 船橋市
この「行々林」という難読漢字は、船橋市に吸収された際、読みづらいため「鈴身町」(すずみちょう)に変更されたとのこと。
行々林=おどろばやし の地名由来は 大多喜町の「小土呂 おどろ」地名と同じで、
1) おどろ(荊棘)の茂る地
2) 水音が激しく、「トドロ」のいう音にからついた
の2つの説があります。
一般的に「驚」などの地名は2)の音が由来な場合が多いようですが、ここは応永年間(室町時代)の書状に「おどろがや」と書かれている場所とみられ、1) のおどろ(荊棘)説が強いようです。
「おどろ」を辞書で引くと、一般的には「やぶ=藪」が茂っている場所や、髪が乱れている場合などに使う表現のようです。
≪滑谷 ぬかりや≫ 鴨川市
慶長2年(1597)の検地高目録に「ぬかり屋村」との記載がある。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
コメント