FC2ブログ

千葉の難読地名(49) 文違 用草 勢田(八街市)

≪文違  ひじかい≫ 八街市(やちまたし)
≪用草  もちくさ≫ 八街市
≪勢田  せた≫ 八街市


千葉難読地名49


今回は八街市(やちまたし)の難読地名3箇所を紹介します。

八街市はピーナツの生産量が日本一で有名です。
前に地名として、紹介していますが、明治時代に開拓した土地に順番をつけたのがいわれで、8番目の開拓地とされています。

≪文違  ひじかい≫ 八街市

高崎川上流の支谷西側の台地上に位置する。(水源地)
地名は、天正11年(1583)小間子吉田の原の戦に敗れた椎崎城主椎崎三郎が再起を計るべく先発隊を飯櫃(いびつ)村(旧・芝山町)に派遣したが、その先発隊が間違えて飯積村(現・酒々井町)に向かい、当地で荒まりに気づき、道を踏みちがえたという意味で「ふみちがえ」と称し、その後転訛して「ひじかい」になったという。(八街町歴史)(角川 日本地名大辞典)

その他、名主で牧士を務める錦貫家に他地区の錦貫家の文書がまちがって届けられることがあり、「文ちがい」が「文違」になったなどの話もまことしやかに伝わるが、どうも地名の漢字(文違)に惑わされている感じがします。

「ヒジカイ」という地名を探してみると

  岡山県岡山市北区日近 ひじかい

がありました。
ただこちらも地名の由来はわからず、同じような意味合いから来た地名ではないかと思われますが、残念ながらはっきりしません。

平凡社の「千葉県の地名」には、
享保7年(1722)の佐倉風土記に高崎川の水源地として「文違」の地名が書かれており、また当村が下総国と上総国の境と書かれています。
また、応永17年(1410)の香取造営の納帳に「ヒヂカヤ」とあり、この地名が当地であると見られている事から、最初の地名伝説よりも前から「ヒヂカヤ」と似た名前で呼ばれていたことになります。

≪用草  もちくさ≫ 八街市

鹿島川上流とその支流に挟まれた下総台地上に位置する。
かなり古くからある地名で、「もちぐさ」とか「持草」とも書いた。
中世は白井荘の内で、神宮寺(神崎町)に残された記録では、貞治2年(1363)に秀尊が白井荘用草で大般若経を書写している。

地名由来としては、地形として「もち(川の崖)・くさ(腐)」で川崖下の湿地という意味ではないかとありました。
しかしこの言葉の元は良くわかりません。

≪勢田  せた≫ 八街市

こちらも古くからある地名で、神宮寺(神崎町)の記録に、貞治2年(1363)に下総白井荘世田村とある。
また、万治3年(1660)には「瀬田村」と書いていた。

現在廃寺の栄楽寺が、「世田寺」とも書かれており、「密教修学等侶」が集まる壇所であったという。(平凡社 千葉県の地名)

地名の由来としては「瀬田」「世田谷」などと同じように、全国に「セタ」地名は存在し、その多くが、狭い出入口部分を指し、狭い海峡や内陸部の山間や丘陵地等の谷地に多く見られるという。
古くは「セト」(瀬戸)と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」となったようである。
(世田谷区の地名と由来より)


千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから

千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/07/08 20:30
コメント

管理者のみに表示