千葉の難読地名(51) 呼塚、篠籠田、若白毛(柏市)
≪呼塚 よばつか≫ 柏市
≪篠籠田 しこだ≫ 柏市
≪若白毛 わかしらが≫ 柏市

≪呼塚 よばつか≫ 柏市
呼塚(よばつか)信号は柏駅の北側。国道6号と16号線が交差する交通量も多く、事故も多い有名な交差点の名前ですので知っておられる方も多いと思います。
ここは昔も、柏宿から我孫子宿へ向かう旧水戸街道の交通の要所でした。
柏村の南西には小金牧の上野牧が広がり、同牧の中を北進してきた水戸道は根戸村を経て我孫子宿へ向かった。
牧境の水戸道には木戸が置かれていた。水戸道に沿って村のほぼ中央に本村、北端に「呼塚(よばつか)」の集落が形成された。
(平凡社 千葉県の地名)
この呼塚は、大掘川が流れ込む手賀沼の北西岸に位置し、大堀川に「呼塚大橋」が架かっていた。そこに幕府未公認ながら呼塚河岸があった。
そして手賀沼を開発して柏市と我孫子市にまたがって「呼塚新田」が出来た。
また、昭和43年に近隣と合併して柏市「あけぼの(ひらがな表記)」の一部となった。
「あけぼの」も昔「明仄」と書いていた地区があった。
呼塚(よばつか)の地名由来として
・ 源頼朝の愛馬・生食(いけづき・池月とも)を葬った塚から
・ 馬が沢山いた丘だったので呼べば馬が来たから
などがあります。
全国に同じ地名が郵便番号簿では見つからない。
ただ、手賀沼湖畔の「呼塚河岸」あたりが交通の要でもあり、洪水も発生していることから、別な地名由来もありそうです。
≪篠籠田 しこだ≫ 柏市
昔からある地名で、
・ 平安時代の大治5年(11130)の書状に「志子田谷」とある。
・ 室町時代の明応7年(1498)の本土寺過去帳に「シコタ」、まtその後も「シコタ」「シコダ村」などの地名が見られる。
・ 江戸時代の慶安(1648~52)頃に初めて「篠籠田村」の表記が見られる。
地名の由来については柏市のHPでは
「地名である篠籠田の元の姿は「迫田(せこた)」のことで「迫」は、「山や岡に挟まれた狭い谷のような所」の意味で、大堀川ぞいの谷津田も上手に行くにつれて幅が狭くなり、その姿を物語っています。」(柏人への道より)
と書かれています。
その他、「しし(崩壊地)・た(処)」の転訛で含水量の多い崩壊地を指したものというものもありました。
いずれにしても「志子田(シコタ)谷」とよばれていたようですので、これらの地形語と考えてもよさそうです。
≪若白毛 わかしらが≫ 柏市
手賀沼南に位置する。
寛永2年(1625)の目録写に「若白毛新田村」とある。
地名の由来については、
・ 当地から将軍へ献上した栗毛の馬が白馬になったことから。(沼南風土記)(角川 日本地名大辞典)
・ 5世紀末?の清寧(せいねい)天皇の家来が当地に住んでおり、天皇の名の「白髪武広国押稚日本根(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)」をとって白髪部(しらがべ)とした。
・ 「わ(廻)・か(接続詞)・しる(汁)・か(処)」で周囲を丘陵で囲まれた湿地。
・ アイヌ語(縄文語)【wakka 水 + sira 擦る + ka 上、表面】 などが語源?
全国の地名に「ワカシラガ」地名は見つかりませんでしたが、
奈良県桜井市 白河 しらが
がありました。
初瀬の支流の奥まった地区です。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪篠籠田 しこだ≫ 柏市
≪若白毛 わかしらが≫ 柏市

≪呼塚 よばつか≫ 柏市
呼塚(よばつか)信号は柏駅の北側。国道6号と16号線が交差する交通量も多く、事故も多い有名な交差点の名前ですので知っておられる方も多いと思います。
ここは昔も、柏宿から我孫子宿へ向かう旧水戸街道の交通の要所でした。
柏村の南西には小金牧の上野牧が広がり、同牧の中を北進してきた水戸道は根戸村を経て我孫子宿へ向かった。
牧境の水戸道には木戸が置かれていた。水戸道に沿って村のほぼ中央に本村、北端に「呼塚(よばつか)」の集落が形成された。
(平凡社 千葉県の地名)
この呼塚は、大掘川が流れ込む手賀沼の北西岸に位置し、大堀川に「呼塚大橋」が架かっていた。そこに幕府未公認ながら呼塚河岸があった。
そして手賀沼を開発して柏市と我孫子市にまたがって「呼塚新田」が出来た。
また、昭和43年に近隣と合併して柏市「あけぼの(ひらがな表記)」の一部となった。
「あけぼの」も昔「明仄」と書いていた地区があった。
呼塚(よばつか)の地名由来として
・ 源頼朝の愛馬・生食(いけづき・池月とも)を葬った塚から
・ 馬が沢山いた丘だったので呼べば馬が来たから
などがあります。
全国に同じ地名が郵便番号簿では見つからない。
ただ、手賀沼湖畔の「呼塚河岸」あたりが交通の要でもあり、洪水も発生していることから、別な地名由来もありそうです。
≪篠籠田 しこだ≫ 柏市
昔からある地名で、
・ 平安時代の大治5年(11130)の書状に「志子田谷」とある。
・ 室町時代の明応7年(1498)の本土寺過去帳に「シコタ」、まtその後も「シコタ」「シコダ村」などの地名が見られる。
・ 江戸時代の慶安(1648~52)頃に初めて「篠籠田村」の表記が見られる。
地名の由来については柏市のHPでは
「地名である篠籠田の元の姿は「迫田(せこた)」のことで「迫」は、「山や岡に挟まれた狭い谷のような所」の意味で、大堀川ぞいの谷津田も上手に行くにつれて幅が狭くなり、その姿を物語っています。」(柏人への道より)
と書かれています。
その他、「しし(崩壊地)・た(処)」の転訛で含水量の多い崩壊地を指したものというものもありました。
いずれにしても「志子田(シコタ)谷」とよばれていたようですので、これらの地形語と考えてもよさそうです。
≪若白毛 わかしらが≫ 柏市
手賀沼南に位置する。
寛永2年(1625)の目録写に「若白毛新田村」とある。
地名の由来については、
・ 当地から将軍へ献上した栗毛の馬が白馬になったことから。(沼南風土記)(角川 日本地名大辞典)
・ 5世紀末?の清寧(せいねい)天皇の家来が当地に住んでおり、天皇の名の「白髪武広国押稚日本根(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)」をとって白髪部(しらがべ)とした。
・ 「わ(廻)・か(接続詞)・しる(汁)・か(処)」で周囲を丘陵で囲まれた湿地。
・ アイヌ語(縄文語)【wakka 水 + sira 擦る + ka 上、表面】 などが語源?
全国の地名に「ワカシラガ」地名は見つかりませんでしたが、
奈良県桜井市 白河 しらが
がありました。
初瀬の支流の奥まった地区です。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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