千葉の難読地名(53) 海士有木
≪海士有木 あまありき≫ 市原市

江戸時代に≪海士村 あまむら≫と≪有木村 ありきむら≫の2村があり、たびたび一村として扱われる場合がおおかった。
明治7年にこの2つの村が合併して≪海士有木村 あまありきむら≫が誕生した。
≪海士村 あまむら≫
1) 平安時代の辞書「和名抄」に上総国市原郡に6つある郷名の一つに「海部郷」がある。
この和名抄の高山寺本の訓は「安万」、東急本では「阿万」となっている。
2) また鎌倉時代には「海郷」との記載がある。
3) 文禄3年(1594)の村高帳に「海士村」(あまむら)と記載されている。石高は771石、幕末は772石でほとんど変化なし。
また、江戸時代には隣の「有木村(ありきむら)」と一村扱いとなっている場合がある。
「海士(あま)」の地名由来は、海士が住んでいたところとの説もあるが、古代縄文系人である海人族がいたところであるとの説が強い。
≪有木村 ありきむら≫
1) 戦国期に「有木」の地名があった。
また、当地区に戦国時代の城、有木城(蟻木城)があり、北条方の上総介綱吉がいたとされる。
2) 文禄3年(1594)の村高帳に「有木村」(ありきむら)と記載されている。
石高は101石で幕末まで変わっていない。
「有木(ありき)」の地名由来は「新しく開拓した地」という意味ではないかとされる。
<全国の有木地名>
島根県隠岐郡隠岐の島町有木 あらき
広島県神石郡神石高原町有木 あるぎ
香川県観音寺市大野原町有木 ありき
福岡県宮若市上有木 かみあるき
福岡県宮若市下有木 しもあるき
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江戸時代に≪海士村 あまむら≫と≪有木村 ありきむら≫の2村があり、たびたび一村として扱われる場合がおおかった。
明治7年にこの2つの村が合併して≪海士有木村 あまありきむら≫が誕生した。
≪海士村 あまむら≫
1) 平安時代の辞書「和名抄」に上総国市原郡に6つある郷名の一つに「海部郷」がある。
この和名抄の高山寺本の訓は「安万」、東急本では「阿万」となっている。
2) また鎌倉時代には「海郷」との記載がある。
3) 文禄3年(1594)の村高帳に「海士村」(あまむら)と記載されている。石高は771石、幕末は772石でほとんど変化なし。
また、江戸時代には隣の「有木村(ありきむら)」と一村扱いとなっている場合がある。
「海士(あま)」の地名由来は、海士が住んでいたところとの説もあるが、古代縄文系人である海人族がいたところであるとの説が強い。
≪有木村 ありきむら≫
1) 戦国期に「有木」の地名があった。
また、当地区に戦国時代の城、有木城(蟻木城)があり、北条方の上総介綱吉がいたとされる。
2) 文禄3年(1594)の村高帳に「有木村」(ありきむら)と記載されている。
石高は101石で幕末まで変わっていない。
「有木(ありき)」の地名由来は「新しく開拓した地」という意味ではないかとされる。
<全国の有木地名>
島根県隠岐郡隠岐の島町有木 あらき
広島県神石郡神石高原町有木 あるぎ
香川県観音寺市大野原町有木 ありき
福岡県宮若市上有木 かみあるき
福岡県宮若市下有木 しもあるき
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「天」の付く地名ももあり、このあたりは海人族といわれた人々の名残でしょうか。
海上国などといわれますから。
茨城の方にいるとあまり、この言葉(海士、海人、海上)は使われません。