千葉の難読地名(54) 酒々井 猿楽場
≪酒々井 しすい≫ 印旛郡酒々井町
≪猿楽場 さかくば≫ 印旛郡酒々井町

≪酒々井 しすい≫ 印旛郡酒々井町
印旛沼の中央部の丘陵地上に位置する。後に開拓した平坦地が北西部にある。
台地の中央を成田道が通り、通り沿いに酒々井の宿場が形成された。
場所は佐倉と成田の中間である。
応永17年(1410)の納帳には「須々井」とあり、本土寺過去帳に「ススイ」とある。
戦国時代頃迄「ススイ」と呼ばれていたようだが、その後、江戸時代を通して「シュスイ」となった。
戦国期を描いた常総軍記」には「出水」と表記がある。
江戸時代には「酒々井町駅場」と称された宿場として栄えた。
地名「酒々井」の由来は、同地区の円福院神宮寺に伝わる「酒の井」伝説によるとされます。
これは所謂、「養老の滝」や「子は清水」などの親孝行説話で、一般には「親は諸白(酒)、子は清水」といわれるように、親孝行の息子には水であっても親が飲めば美味しい酒である泉などの話しで、北関東方面にたくさん広がっていますが、しかし、ここでは親孝行の親と子の両方には酒となり、その他の人々にはただの水である井戸となっています。
この井戸が、円福院神宮寺の孝子酒泉[こうししゅせん]伝説の井戸で、次第に「酒々井(しゅすい、しすい)」と呼ばれるようになったようです。
もともとこの地区は湧き水の井戸が多く、「しゅすい(出水)」と呼ばれていたようです。
そして江戸末期に国学者たちが、古い書物に書かれている「盃の井」の場所が、この「酒々井地区」の井戸であると紹介したことからこの地の伝説も広がったといわれています。
酒どころに広がる「酒の井」伝説の多くは「子は清水」の地名となって残されています。
もう9年も前にこの伝説に類するものをネットで検索した事があります。そのときのブログ記事から抜粋します。
<「子は清水」などの言葉で>
1)「親はうま酒、子は清水」:松戸市常盤平(金ケ作)・・・「子和清水」の像
2)「親は諸白、子は清水」「関東養老の泉」:石岡市村上
4)「子は清水・親は酒」:習志野市
5)「親はうま酒、子は清水」:佐倉市直弥、四街道市吉岡
6)「子和清水」:郡山市西田町丹伊田
7)「親は諸白、子は清水」:福島県会津若松市河東町八田字強清水(住所は強清水)
8)「親ハ諸白子ハ清水」:福島県桑折町南半田
9)「親はもろはく、子は清水」:新潟県弥彦村大字麓
<子清水の湧水があるところ>
「親清水子清水」:長野県清内路街道
<強清水(こわしみず)という湧水や滝があるところ>
・強清水:岐阜県中津川市神坂
・強清水の滝:群馬県沼田市
・強清水:長野県長和町広原
・強清水:秋田県男鹿市
(住所に強清水、子ハ清水がつくところ)
・新潟県佐渡市強清水
・福島県西白河郡矢吹町子ハ清水
など
関東から東北方面が多くあり、灘など関西や中部地区にはあまり見つかりませんでした。
松戸市常盤平の「子和清水」には、一茶の句碑があります・・・ 「母馬が番して呑ます清水かな」
またここは金ケ作陣屋があったところで、前の街道を生(鮮魚)街道と言います。
江戸時代に銚子で水揚げされた魚を布佐まで利根川を船で運び、時間短縮のため、ここから陸揚げして松戸まで陸路を運んだのですが、途中この「子和清水」の湧き水で魚を冷やしたそうです。
≪猿楽場 さかくば≫ 印旛郡酒々井町
この「酒々井町」に変った地名があります。
ただ、本地名は住所表記には書かれていません。
バス停と集会所に名前が残るくらいのようです。
地名由来は良くわかりません。
ただ、読み方はともかく、「猿楽(さるがく)=申楽」は室町時代に始まったとされる「能」や「狂言」などの芸能を指していた。
特に江戸時代は「能楽」のことを「猿楽」というのが普通だった。
この能が行われる舞台がこの辺りにあったのかもしれない。
ただ、よく記録がなくわからないので、「常勝山 妙胤寺の何代か前の住職が動物好きで、猿を飼って いた」などの説明もあります。
また、「サカクバ」と発音される地名があって、そこにこの漢字を充てたということも十分考えられます。
東京都の千代田区と、渋谷区に「猿楽町(さるがくちょう)」という地名があります。
この地名は明治5年に武家屋敷などがあった所につけられた地名ですが、猿楽(能楽)が盛んに行われていた地域を偲んで付けられたようです。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪猿楽場 さかくば≫ 印旛郡酒々井町

≪酒々井 しすい≫ 印旛郡酒々井町
印旛沼の中央部の丘陵地上に位置する。後に開拓した平坦地が北西部にある。
台地の中央を成田道が通り、通り沿いに酒々井の宿場が形成された。
場所は佐倉と成田の中間である。
応永17年(1410)の納帳には「須々井」とあり、本土寺過去帳に「ススイ」とある。
戦国時代頃迄「ススイ」と呼ばれていたようだが、その後、江戸時代を通して「シュスイ」となった。
戦国期を描いた常総軍記」には「出水」と表記がある。
江戸時代には「酒々井町駅場」と称された宿場として栄えた。
地名「酒々井」の由来は、同地区の円福院神宮寺に伝わる「酒の井」伝説によるとされます。
これは所謂、「養老の滝」や「子は清水」などの親孝行説話で、一般には「親は諸白(酒)、子は清水」といわれるように、親孝行の息子には水であっても親が飲めば美味しい酒である泉などの話しで、北関東方面にたくさん広がっていますが、しかし、ここでは親孝行の親と子の両方には酒となり、その他の人々にはただの水である井戸となっています。
この井戸が、円福院神宮寺の孝子酒泉[こうししゅせん]伝説の井戸で、次第に「酒々井(しゅすい、しすい)」と呼ばれるようになったようです。
もともとこの地区は湧き水の井戸が多く、「しゅすい(出水)」と呼ばれていたようです。
そして江戸末期に国学者たちが、古い書物に書かれている「盃の井」の場所が、この「酒々井地区」の井戸であると紹介したことからこの地の伝説も広がったといわれています。
酒どころに広がる「酒の井」伝説の多くは「子は清水」の地名となって残されています。
もう9年も前にこの伝説に類するものをネットで検索した事があります。そのときのブログ記事から抜粋します。
<「子は清水」などの言葉で>
1)「親はうま酒、子は清水」:松戸市常盤平(金ケ作)・・・「子和清水」の像
2)「親は諸白、子は清水」「関東養老の泉」:石岡市村上
4)「子は清水・親は酒」:習志野市
5)「親はうま酒、子は清水」:佐倉市直弥、四街道市吉岡
6)「子和清水」:郡山市西田町丹伊田
7)「親は諸白、子は清水」:福島県会津若松市河東町八田字強清水(住所は強清水)
8)「親ハ諸白子ハ清水」:福島県桑折町南半田
9)「親はもろはく、子は清水」:新潟県弥彦村大字麓
<子清水の湧水があるところ>
「親清水子清水」:長野県清内路街道
<強清水(こわしみず)という湧水や滝があるところ>
・強清水:岐阜県中津川市神坂
・強清水の滝:群馬県沼田市
・強清水:長野県長和町広原
・強清水:秋田県男鹿市
(住所に強清水、子ハ清水がつくところ)
・新潟県佐渡市強清水
・福島県西白河郡矢吹町子ハ清水
など
関東から東北方面が多くあり、灘など関西や中部地区にはあまり見つかりませんでした。
松戸市常盤平の「子和清水」には、一茶の句碑があります・・・ 「母馬が番して呑ます清水かな」
またここは金ケ作陣屋があったところで、前の街道を生(鮮魚)街道と言います。
江戸時代に銚子で水揚げされた魚を布佐まで利根川を船で運び、時間短縮のため、ここから陸揚げして松戸まで陸路を運んだのですが、途中この「子和清水」の湧き水で魚を冷やしたそうです。
≪猿楽場 さかくば≫ 印旛郡酒々井町
この「酒々井町」に変った地名があります。
ただ、本地名は住所表記には書かれていません。
バス停と集会所に名前が残るくらいのようです。
地名由来は良くわかりません。
ただ、読み方はともかく、「猿楽(さるがく)=申楽」は室町時代に始まったとされる「能」や「狂言」などの芸能を指していた。
特に江戸時代は「能楽」のことを「猿楽」というのが普通だった。
この能が行われる舞台がこの辺りにあったのかもしれない。
ただ、よく記録がなくわからないので、「常勝山 妙胤寺の何代か前の住職が動物好きで、猿を飼って いた」などの説明もあります。
また、「サカクバ」と発音される地名があって、そこにこの漢字を充てたということも十分考えられます。
東京都の千代田区と、渋谷区に「猿楽町(さるがくちょう)」という地名があります。
この地名は明治5年に武家屋敷などがあった所につけられた地名ですが、猿楽(能楽)が盛んに行われていた地域を偲んで付けられたようです。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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