千葉の難読地名(55) 将監 大廻 草深 武西
≪将監 しょうげん≫ 印西市(旧本埜村)
≪大廻 おおば≫ 印西市(旧印旛村)
≪草深 そうふけ≫ 印西市(旧印西町)
≪武西 むざい≫ 印西市(旧印西町)

印西市の地名を少し集めてみました。
≪将監 しょうげん≫ 印西市(旧本埜村)
利根川の分流の「将監川」沿いに開発され田土地で「将監新田村」と呼ばれた。
寛文11年(1671)に村名が見える。
将監(しょうげん)の地名は、この地方の開拓者の名前からつけられたといわれており、将監川(しょうげんがわ)の名前はこの地名から採用されたと考えられている。
将監川は利根川が氾濫や蛇行して残された川を、水田を開発(干拓)するために利根川の分流として整備した川である。
≪大廻 おおば≫ 印西市(旧印旛村)
元禄郷帳には「おおはさま」と書かれ、天保郷帳では「大迫」と書かれている。
江戸期に、大ハザマが「大廻村(おおばむら)」とかかれるようになったが、経緯は不明。
大ハザマ:大きな(美称か?) ハザマ=谷が狭まる地形 が語源と考えられる。
≪草深 そうふけ≫ 印西市(旧印西町)
印旛沼と手賀沼に挟まれた台地上に位置する。
惣深と書いていた。
草深野(惣深野)の新田開発(寛文、延宝年間:1661~1681)が行われ、江戸期から明治22年まで「惣深新田」村とよばれた。
その後、船穂村の一部になり、大字名として「惣深新田」となった。
明治44年に名前を「草深(そうふけ)」と変更した。
地名はアイヌ語(縄文語)なら、【sar 葦原、湿地】+【深=ふけ=浮気 で蒸気が沸き立つような湿地】などが考えられるが、湿地地形を示しているのはほぼ間違いなさそうだ。
本シリーズ「No48」で紹介した「桑橋(そうのはし)」の桑=ソウ も同じような湿地を意味したのかもしれない。
≪武西 むざい≫ 印西市(旧印西町)
神崎川下流左岸に位置する。
寛永2年(1625)の書状に村名があり、元禄郷帳には「ムザイ」の訓が付されている。
地名は「武蔵」などと同じように、【ムス=林などを蒸す焼畑 +i=所】などが語源とも考えられる。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪大廻 おおば≫ 印西市(旧印旛村)
≪草深 そうふけ≫ 印西市(旧印西町)
≪武西 むざい≫ 印西市(旧印西町)

印西市の地名を少し集めてみました。
≪将監 しょうげん≫ 印西市(旧本埜村)
利根川の分流の「将監川」沿いに開発され田土地で「将監新田村」と呼ばれた。
寛文11年(1671)に村名が見える。
将監(しょうげん)の地名は、この地方の開拓者の名前からつけられたといわれており、将監川(しょうげんがわ)の名前はこの地名から採用されたと考えられている。
将監川は利根川が氾濫や蛇行して残された川を、水田を開発(干拓)するために利根川の分流として整備した川である。
≪大廻 おおば≫ 印西市(旧印旛村)
元禄郷帳には「おおはさま」と書かれ、天保郷帳では「大迫」と書かれている。
江戸期に、大ハザマが「大廻村(おおばむら)」とかかれるようになったが、経緯は不明。
大ハザマ:大きな(美称か?) ハザマ=谷が狭まる地形 が語源と考えられる。
≪草深 そうふけ≫ 印西市(旧印西町)
印旛沼と手賀沼に挟まれた台地上に位置する。
惣深と書いていた。
草深野(惣深野)の新田開発(寛文、延宝年間:1661~1681)が行われ、江戸期から明治22年まで「惣深新田」村とよばれた。
その後、船穂村の一部になり、大字名として「惣深新田」となった。
明治44年に名前を「草深(そうふけ)」と変更した。
地名はアイヌ語(縄文語)なら、【sar 葦原、湿地】+【深=ふけ=浮気 で蒸気が沸き立つような湿地】などが考えられるが、湿地地形を示しているのはほぼ間違いなさそうだ。
本シリーズ「No48」で紹介した「桑橋(そうのはし)」の桑=ソウ も同じような湿地を意味したのかもしれない。
≪武西 むざい≫ 印西市(旧印西町)
神崎川下流左岸に位置する。
寛永2年(1625)の書状に村名があり、元禄郷帳には「ムザイ」の訓が付されている。
地名は「武蔵」などと同じように、【ムス=林などを蒸す焼畑 +i=所】などが語源とも考えられる。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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