千葉の難読地名(58) 木下(印西市) 松崎(成田市)
≪木下 きおろし≫ 印西市
≪松崎 まんざき≫ 成田市

我孫子駅~成田~銚子 を走るJR成田線は、いかにも昔からの地名が残された鉄道だ。
普通に人名に使われている名前も、少し読み方が違う。
ここでは次の2つを紹介しよう。
≪木下 きおろし≫ 印西市
明治22年に竹袋・平岡・小林・宗甫新田の5ヶ村が合併して誕生した。
しかし、ここには市川市中山まで「木下街道」が通っており、利根川から江戸への物資輸送の要のルートとして利用されていた。
木下河岸は、「木颪」とも書いたという。
颪(おろし)は山から吹き降ろす風のことだ。
松尾芭蕉が鹿島紀行で潮来へ向かうときにこの街道を通り、布佐(ふさ)で宿泊している。
名前の由来は、利根川周辺の材木を川で運んできて、この場所で降ろしたところという意味ともされる。
他にも地形説などもあるようだが、よくわからない。
ただ、近隣に「木」「木村」地名も散見される。(白井市、流山市、富津市)
また我孫子から成田への成田線駅では「布佐(ふさ)」「木下(きおろし)」と来て、その次が「小林(こばやし)」、「安食(あじき)」{下総松崎(しもうさまんざき)」である。
この「小林」地名も印西市に旧印西町と本埜村にあり、茂原市にもある。
≪松崎 まんざき≫ 成田市
成田線の駅名は「下総松崎 (しもうさまんざき)」である。
1901年(明治39)に成田鉄道が開通したときは「松崎(まんざき)駅」であったが、1920年(大正9年)に成田鉄道が国有化されたときに「下総松崎駅」と名称を変えた。
永正6年(1509)の証状に、「松崎郷神宮寺」とある。
また、文禄3年(1594)の検地帳には「香取郡埴生(はぶ)庄松崎村」とある。
「松崎=まつざき」という地名は、この利根川周辺にも何箇所か存在する。
ただ、この成田市の松崎のみ「まんざき」と読ませている。
千葉県市原市松崎 まつざき
千葉県印西市松崎 まつざき
千葉県印西市松崎台 まつざきだい
千葉県香取郡神崎町松崎 まつざき
千葉県香取郡多古町東松崎 ひがしまつざき
一般に「まつざき」が古くからある地名なら、 「まつ(曲)・さき(山の先端)」で川の曲流部に位置する山の突き出した所などといわれているようだ。
「まんざき」は単なる訛か?
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪松崎 まんざき≫ 成田市

我孫子駅~成田~銚子 を走るJR成田線は、いかにも昔からの地名が残された鉄道だ。
普通に人名に使われている名前も、少し読み方が違う。
ここでは次の2つを紹介しよう。
≪木下 きおろし≫ 印西市
明治22年に竹袋・平岡・小林・宗甫新田の5ヶ村が合併して誕生した。
しかし、ここには市川市中山まで「木下街道」が通っており、利根川から江戸への物資輸送の要のルートとして利用されていた。
木下河岸は、「木颪」とも書いたという。
颪(おろし)は山から吹き降ろす風のことだ。
松尾芭蕉が鹿島紀行で潮来へ向かうときにこの街道を通り、布佐(ふさ)で宿泊している。
名前の由来は、利根川周辺の材木を川で運んできて、この場所で降ろしたところという意味ともされる。
他にも地形説などもあるようだが、よくわからない。
ただ、近隣に「木」「木村」地名も散見される。(白井市、流山市、富津市)
また我孫子から成田への成田線駅では「布佐(ふさ)」「木下(きおろし)」と来て、その次が「小林(こばやし)」、「安食(あじき)」{下総松崎(しもうさまんざき)」である。
この「小林」地名も印西市に旧印西町と本埜村にあり、茂原市にもある。
≪松崎 まんざき≫ 成田市
成田線の駅名は「下総松崎 (しもうさまんざき)」である。
1901年(明治39)に成田鉄道が開通したときは「松崎(まんざき)駅」であったが、1920年(大正9年)に成田鉄道が国有化されたときに「下総松崎駅」と名称を変えた。
永正6年(1509)の証状に、「松崎郷神宮寺」とある。
また、文禄3年(1594)の検地帳には「香取郡埴生(はぶ)庄松崎村」とある。
「松崎=まつざき」という地名は、この利根川周辺にも何箇所か存在する。
ただ、この成田市の松崎のみ「まんざき」と読ませている。
千葉県市原市松崎 まつざき
千葉県印西市松崎 まつざき
千葉県印西市松崎台 まつざきだい
千葉県香取郡神崎町松崎 まつざき
千葉県香取郡多古町東松崎 ひがしまつざき
一般に「まつざき」が古くからある地名なら、 「まつ(曲)・さき(山の先端)」で川の曲流部に位置する山の突き出した所などといわれているようだ。
「まんざき」は単なる訛か?
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
歩くことが前提の道だし、町並みができると広げることが難しくなりますね。
木下から銚子道やまた茨城側に渡るか、船で潮来・鹿島へも多くの流れがあった要の場所だったようです。
芭蕉が船宿(漁師の宿?)に泊まって魚臭くて眠れなかったなどというような話が、当時の様子を想像させてくれます。