千葉の難読地名(62) 武射田 砂古瀬 (東金市)
≪武射田 むざた≫ 東金市
≪砂古瀬 いさごぜ≫ 東金市

≪武射田 むざた≫ 東金市
「むしゃだ」とも称し、「武佐田」とも書く。
作田川下流域右岸に位置する。
平安時代の「和名抄」に書かれている上総国山辺郡武射(むさ)郷の遺称地と考えられている。
のちに山辺郡は隣の武射(むさ)郷と統一され、山武郡となった。
「武射」は昔から「むさ」と読まれていたが、江戸時代には「むしゃ」と読むのが慣例化されたという。
また、参考までに、本居宣長は、古代の国名として、佐斯国(さしのくに)という名前を挙げている。
この国は、後の令制国では相模国・武蔵国を合わせた範囲に当たると解釈されているが、どうだろうか。
柳田國男は武蔵の地名は、ムサシ(武蔵) ⇒ 【ム 蒸す+サシ=焼畑】で蒸した焼畑地 というような解釈をしていたと思う。
どうも「ムサ」に意味が隠されていそうだ。
「武射(ムサ)」は、「総(フサ)」 と同類といえそうで、律令制の時代よりも前から呼ばれていた名前のようだ。
≪砂古瀬 いさごぜ≫ 東金市
南白亀川中流に位地する。
上総国山辺郡の「砂子瀬村」
文禄3年(1594)の村高帳には「砂瀬村」とある。
慶長19年(1614)には「沙瀬村」と見え、元和2年(1616)には「砂瀬村」とある。
砂=いさご と読むので 「砂瀬=いさごせ=砂古瀬」になったものと思われる。
地名は、場所が海岸からは内陸に入った川沿い地であるので、「川沿いの砂地」の意味か。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪砂古瀬 いさごぜ≫ 東金市

≪武射田 むざた≫ 東金市
「むしゃだ」とも称し、「武佐田」とも書く。
作田川下流域右岸に位置する。
平安時代の「和名抄」に書かれている上総国山辺郡武射(むさ)郷の遺称地と考えられている。
のちに山辺郡は隣の武射(むさ)郷と統一され、山武郡となった。
「武射」は昔から「むさ」と読まれていたが、江戸時代には「むしゃ」と読むのが慣例化されたという。
また、参考までに、本居宣長は、古代の国名として、佐斯国(さしのくに)という名前を挙げている。
この国は、後の令制国では相模国・武蔵国を合わせた範囲に当たると解釈されているが、どうだろうか。
柳田國男は武蔵の地名は、ムサシ(武蔵) ⇒ 【ム 蒸す+サシ=焼畑】で蒸した焼畑地 というような解釈をしていたと思う。
どうも「ムサ」に意味が隠されていそうだ。
「武射(ムサ)」は、「総(フサ)」 と同類といえそうで、律令制の時代よりも前から呼ばれていた名前のようだ。
≪砂古瀬 いさごぜ≫ 東金市
南白亀川中流に位地する。
上総国山辺郡の「砂子瀬村」
文禄3年(1594)の村高帳には「砂瀬村」とある。
慶長19年(1614)には「沙瀬村」と見え、元和2年(1616)には「砂瀬村」とある。
砂=いさご と読むので 「砂瀬=いさごせ=砂古瀬」になったものと思われる。
地名は、場所が海岸からは内陸に入った川沿い地であるので、「川沿いの砂地」の意味か。
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