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千葉の難読地名(63) 検儀谷 磑森 (南房総市)

≪検儀谷  けぎや≫ 南房総市
≪磑森  するすもり≫ 南房総市和田町


千葉難読地名63


≪検儀谷  けぎや≫ 南房総市

岩井川中流域で、津辺野山の南麓に位置する。
慶長2年(1597)の検地高目録に「毛儀谷原村」とある。
正保郷帳には「検儀谷原村」とあり、以降江戸時代から明治22年まで「検儀谷原村」といった。
昭和30年から富山町の大字名として原の字がとれて、「検儀谷(けぎや」となった。

地名は「検見(けみ)」に関したものと考えられている。

検見(けみ)を調べると、中世・近世の徴税法の一つで、米の収穫前に、幕府または領主が役人を派遣して稲の出来を調べ、その年の年貢高を決めることをいう。また、「けんみ」、「毛見(けみ)」ともいう。と書かれている。

いっぽう検見川(けみがわ)の名前由来には、
検見川に玄蕃所という俘囚(大和朝廷の侵略前の現地人たちの捕虜)を一時収容する施設があり、この玄蕃所で俘囚たちを、良く検見したことに由来するとありました。

すると、この地にも同じような俘囚を収容し、検見する場所があったのかもしれません。
千葉の地名を調べていくと、数多くの俘囚を収容所に関すると思われる名前が出てきます。
茨城県の方にはあまりないように思います。

≪磑森  するすもり≫ 南房総市和田町

三原川の上流域に位置する。
慶長2年(1597)の検地高目録には「摺須森村」とある。
正保郷帳には「磑森村」とあります。

「磑(ガイ、うす)」は、石と石をすり合わせる「いしうす、ひきうす」を表す漢字です。

地名の由来としては
1) この地が源頼朝の名馬「磨墨(スルスミ)」を産出したという伝説からきている。
2) 「す(砂)・うす(地辷り)・もり(盛)」の転訛で山崩れの砂が堆積した地。
などがありましたが、なかなか解釈が難しい地名です。

<その他の南房総市の読みにくい地名>
≪平舘  へだて≫ 南房総市千倉町

≪海発  かいほつ≫ 南房総市和田町

 木更津市に室町時代に見える「開発の浜(かいほつのはま)」がある。
 頼朝が伊豆より逃れてきて、再起を図るためにこの開発の浜に3000騎が集まったとある。
 この浜は、現在の木更津市貝淵あたりとみられているが、

≪真浦  もうら≫ 南房総市和田町

≪仁我浦  にがうら≫ 南房総市和田町

  仁賀浦・二賀浦とも書く。単に仁我村、仁賀村などとも書いた。
  仁我浦海岸は海岸浸食がはげしく砂の流出が問題となっています。




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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/07/15 17:30
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