千葉の難読地名(65) 外部田、久々津、古都辺、大厩、田尾
≪外部田 とのべた≫ 市原市
≪久々津 くぐつ≫ 市原市
≪古都辺 こつべ≫ 市原市
≪大厩 おおまや≫ 市原市
≪田尾 たび≫ 市原市

≪外部田 とのべた≫ 市原市
養老川の中流域に位置する。
文禄3年(1594)の村高帳に村名がある。
地名由来として、平安時代に大館氏の御園の御園生(みその)館という館があったといわれているので、この「館=殿」の端か?
または、地形語で「たな(棚)・へた(辺処)」=棚状地沿いの土地 の意か。
同じ読みを持つ地名が芝山町にある。 こちらは「殿部田」または「殿辺田」と書く。
この芝山町の地名については、ここに千葉常胤の弟の館があったため、【殿=館で、部田=辺田=端】で館の端にあったことによるか。(角川日本地名代辞典) となっている。
部田(ヘタ)の地名は各地にあり、古代の「部=ベ=職業人たちの集団)によるものも多いが、この地名については関係性は不明。
≪久々津 くぐつ≫ 市原市
村田川中流に位置する。
寛永17年の水帳に「久踏」とある。
地名は「くぐ(屈)・つ(津)」で丘陵の内側の低湿地で降雨時に水の溜まりやすい場所か、ともある。
≪古都辺 こつべ≫ 市原市
村田川上流の山間部に位置する。
地名は平将門が奈良の地に居館し、将来この地に移り国政を執ろうした。その古い都奈良の付近にあるという意味で付けられたいうが不詳。(角川 日本地名代辞典)
隣に「奈良村」がある。将門はこの奈良村の地に居館し、大和の南都に擬して「奈良」と名付けたとの伝承もある。
文禄3年(1594)の村高帳に村名「古都部」がある。江戸時代は「古都部」または「古津部」などと表記されていた。
明治22年に「古都辺」と大字名がなった。
将門の由来説は少し根拠は薄いが、将門が相馬に移った後も妃や妾を住まわせていたので都の名が残り、古い都の付近にあるという意味でつけられたというが、これはあくまでも地名を漢字で考えたときの後付けだろう。
恐らくは地形語で「くつ(崩れ) べ(辺)」ではないかと見られる。
≪大厩 おおまや≫ 市原市
村田川下流南岸に位置する。
治承4年(1180)に頼朝が市原八幡宮に寄進した神田のなかに「市原庄大厩谷村五町」がある。(平凡社 千葉県の地名)
地名は「大馬屋」とも書いており、古代の駅(うまや)との関連が考えられるが不詳(角川 日本地名代辞典)
また、地形語で、「おお(美称)・まま(崖)・や(谷)」で崖のある傾斜地という意味か。
江戸期には「大馬屋村(おおまやむら)」とあり、明治22年に「大厩」が大字名となった。
≪田尾 たび≫ 市原市
養老川支流平蔵川流域に位置する。
地内の「じんばだい(陣馬台)」と呼ばれる台地は戦国期の小田原北条氏、または大多喜城主正木大膳の陣跡がある。
(角川 日本地名代辞典)
文禄3年(1594)の村高帳に村名がある。
地名は「たふ(耐ふ)」の転訛で崖崩れの危険地と見られるという。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪久々津 くぐつ≫ 市原市
≪古都辺 こつべ≫ 市原市
≪大厩 おおまや≫ 市原市
≪田尾 たび≫ 市原市

≪外部田 とのべた≫ 市原市
養老川の中流域に位置する。
文禄3年(1594)の村高帳に村名がある。
地名由来として、平安時代に大館氏の御園の御園生(みその)館という館があったといわれているので、この「館=殿」の端か?
または、地形語で「たな(棚)・へた(辺処)」=棚状地沿いの土地 の意か。
同じ読みを持つ地名が芝山町にある。 こちらは「殿部田」または「殿辺田」と書く。
この芝山町の地名については、ここに千葉常胤の弟の館があったため、【殿=館で、部田=辺田=端】で館の端にあったことによるか。(角川日本地名代辞典) となっている。
部田(ヘタ)の地名は各地にあり、古代の「部=ベ=職業人たちの集団)によるものも多いが、この地名については関係性は不明。
≪久々津 くぐつ≫ 市原市
村田川中流に位置する。
寛永17年の水帳に「久踏」とある。
地名は「くぐ(屈)・つ(津)」で丘陵の内側の低湿地で降雨時に水の溜まりやすい場所か、ともある。
≪古都辺 こつべ≫ 市原市
村田川上流の山間部に位置する。
地名は平将門が奈良の地に居館し、将来この地に移り国政を執ろうした。その古い都奈良の付近にあるという意味で付けられたいうが不詳。(角川 日本地名代辞典)
隣に「奈良村」がある。将門はこの奈良村の地に居館し、大和の南都に擬して「奈良」と名付けたとの伝承もある。
文禄3年(1594)の村高帳に村名「古都部」がある。江戸時代は「古都部」または「古津部」などと表記されていた。
明治22年に「古都辺」と大字名がなった。
将門の由来説は少し根拠は薄いが、将門が相馬に移った後も妃や妾を住まわせていたので都の名が残り、古い都の付近にあるという意味でつけられたというが、これはあくまでも地名を漢字で考えたときの後付けだろう。
恐らくは地形語で「くつ(崩れ) べ(辺)」ではないかと見られる。
≪大厩 おおまや≫ 市原市
村田川下流南岸に位置する。
治承4年(1180)に頼朝が市原八幡宮に寄進した神田のなかに「市原庄大厩谷村五町」がある。(平凡社 千葉県の地名)
地名は「大馬屋」とも書いており、古代の駅(うまや)との関連が考えられるが不詳(角川 日本地名代辞典)
また、地形語で、「おお(美称)・まま(崖)・や(谷)」で崖のある傾斜地という意味か。
江戸期には「大馬屋村(おおまやむら)」とあり、明治22年に「大厩」が大字名となった。
≪田尾 たび≫ 市原市
養老川支流平蔵川流域に位置する。
地内の「じんばだい(陣馬台)」と呼ばれる台地は戦国期の小田原北条氏、または大多喜城主正木大膳の陣跡がある。
(角川 日本地名代辞典)
文禄3年(1594)の村高帳に村名がある。
地名は「たふ(耐ふ)」の転訛で崖崩れの危険地と見られるという。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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