千葉の難読地名(68) 登戸 誉田 大椎町
≪登戸 のぶと≫ 千葉市中央区
≪誉田 ほんだ≫ 千葉市緑区
≪大椎町 おおじちょう≫ 千葉市緑区

≪登戸 のぶと≫ 千葉市中央区
都川河口部に位置し、西は東京湾に望む湊町であった。
「のぼと」「のぼっと」ともいう。(元禄郷帳に「ノボット」と訓がある)
地名は、南北朝著木之人、千葉新介の歌、
<筑波根の峰の嵐を吹きおろすふじの波間を乃ぼり戸の船>
にちなむという。(鈴木家記)(角川 地名大辞典)
ただ、他の「登戸」地名を見ると、地形語で「のぼり(登)・と(処)」で急傾斜地の入口と解されている。
また、アイヌ語のアイヌ語のヌプルット=【nupki(濁った)+pet(川)」から生まれたという説もあるようです。
九十九里浜北部の海岸平野部(匝瑳市)に、同じ「登戸=のぶと」地名がある。
また、香取市(旧佐原市)の新市場地内に「登戸(のぶと)」という小字名がある。
全国地名では
<のぼと>
・ 岩手県上閉伊郡松崎村光興寺(旧:光興寺村)登戸(現:遠野市松崎町光興寺4地割 登戸橋)
<のぼりと>
・ 埼玉県鴻巣市登戸
・ 埼玉県越谷市登戸町
・ 神奈川県川崎市多摩区登戸
≪誉田 ほんだ≫ 千葉市緑区
都川の最上流域の下総台地と谷津田に位置する。
地名は野田村の八幡神社の祭神誉田別命に由来する。(角川 日本地名大辞典)
明治22年に 野田・高田・平川・平山・編田・東山科 の6か村が合併して成立した村で、村名はその時につけられた。
旧6か村の名はそれぞれ大字として残った。
≪大椎町 おおじちょう≫ 千葉市緑区
村田川上流域、両総の分水嶺土気(とけ)丘陵とその周辺の谷間に位置する。
室町時代の応永33年(1426)の大慈恩寺文書に「大椎郷内」の記載がある。
読み方も「大ち井郷」、「大志井郷」、「大じ井郷」などとの表示もある事から「おおじい」「おおちい」「おおしい」などと読まれていたものと考えられる。
また、文禄3年(1594)の村高帳に「大椎村」が記載されている。
地名由来としては、「おお(美称)・しい(浸食地形)」で川に浸食された地勢を指したものと考えられる。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪誉田 ほんだ≫ 千葉市緑区
≪大椎町 おおじちょう≫ 千葉市緑区

≪登戸 のぶと≫ 千葉市中央区
都川河口部に位置し、西は東京湾に望む湊町であった。
「のぼと」「のぼっと」ともいう。(元禄郷帳に「ノボット」と訓がある)
地名は、南北朝著木之人、千葉新介の歌、
<筑波根の峰の嵐を吹きおろすふじの波間を乃ぼり戸の船>
にちなむという。(鈴木家記)(角川 地名大辞典)
ただ、他の「登戸」地名を見ると、地形語で「のぼり(登)・と(処)」で急傾斜地の入口と解されている。
また、アイヌ語のアイヌ語のヌプルット=【nupki(濁った)+pet(川)」から生まれたという説もあるようです。
九十九里浜北部の海岸平野部(匝瑳市)に、同じ「登戸=のぶと」地名がある。
また、香取市(旧佐原市)の新市場地内に「登戸(のぶと)」という小字名がある。
全国地名では
<のぼと>
・ 岩手県上閉伊郡松崎村光興寺(旧:光興寺村)登戸(現:遠野市松崎町光興寺4地割 登戸橋)
<のぼりと>
・ 埼玉県鴻巣市登戸
・ 埼玉県越谷市登戸町
・ 神奈川県川崎市多摩区登戸
≪誉田 ほんだ≫ 千葉市緑区
都川の最上流域の下総台地と谷津田に位置する。
地名は野田村の八幡神社の祭神誉田別命に由来する。(角川 日本地名大辞典)
明治22年に 野田・高田・平川・平山・編田・東山科 の6か村が合併して成立した村で、村名はその時につけられた。
旧6か村の名はそれぞれ大字として残った。
≪大椎町 おおじちょう≫ 千葉市緑区
村田川上流域、両総の分水嶺土気(とけ)丘陵とその周辺の谷間に位置する。
室町時代の応永33年(1426)の大慈恩寺文書に「大椎郷内」の記載がある。
読み方も「大ち井郷」、「大志井郷」、「大じ井郷」などとの表示もある事から「おおじい」「おおちい」「おおしい」などと読まれていたものと考えられる。
また、文禄3年(1594)の村高帳に「大椎村」が記載されている。
地名由来としては、「おお(美称)・しい(浸食地形)」で川に浸食された地勢を指したものと考えられる。
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