千葉の難読地名(70) 蕃昌(野田市)、古間木(流山市)、幸田(松戸市)
≪蕃昌 ばんしょう≫ 野田市
≪古間木 ふるまぎ≫ 流山市
≪幸田 こうで≫ 松戸市

≪蕃昌 ばんしょう≫ 野田市
江戸川と利根川の間の下総台地脊梁部に位置する。
・ 地名は野馬除けの番所があったため。
・ 草木の繁茂する辺土(蕃所)であったため。
などという。(野田の地名)(角川 日本地名大辞典)
享保11年(1726)に「蕃昌新田」が開発された。
それ以降明治22年まで蕃昌新田と呼ばれた。
「蕃昌」地名は、明治22年に七福村の大字となった。
≪古間木 ふるまぎ≫ 流山市
江戸川中流に位置する。
寛永2年(1625)の知行宛行状に「古間木村」とある。
地名は「古牧(ふるまき)」の転訛かともいう。(角川日本地名大辞典)
他に、「ふる(崩壊地形)・ま(間)・き(処)」で台地の端の崖地に挟まれた地勢との説もある。
しかし、日本各地の同じ地名を探してみると、
青森県三沢市古間木 ふるまき
青森県三沢市古間木山 ふるまきやま
青森県上北郡おいらせ町古間木山 ふるまぎやま
茨城県常総市古間木 ふるまぎ
茨城県常総市古間木新田 ふるまぎしんでん
茨城県常総市古間木沼新田 ふるまぎぬましんでん
長野県上水内郡信濃町古間 ふるま
などがあり、「古牧」説ではなく、地形語と考えたほうがよさそうだ。
≪幸田 こうで≫ 松戸市
江戸川支流坂川上流域に位置する。
室町期の「本土寺過去帳」に「カウテン」と見える。
縄文時代前期初頭と見られる大集落跡(幸田貝塚)があり、注目されている。
地名は、荒田の展化か。(角川日本地名大辞典)
<各地の幸田=コウデ・・・>地名
岐阜県下呂市幸田 こうでん
京都府京都市南区西九条御幸田町 こうでんちょう
などがありますので、「こうでん」 ⇒ 「こうで」 となったのかもしれません。
また、千葉県東金市には「幸田=こうだ」地名がありました。
「幸田=こうだ=国府田」であれば、その地の収穫した米を律令制時代の国府(こふ=こう)に納めた地で、免税地ということも考えられます。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
≪古間木 ふるまぎ≫ 流山市
≪幸田 こうで≫ 松戸市

≪蕃昌 ばんしょう≫ 野田市
江戸川と利根川の間の下総台地脊梁部に位置する。
・ 地名は野馬除けの番所があったため。
・ 草木の繁茂する辺土(蕃所)であったため。
などという。(野田の地名)(角川 日本地名大辞典)
享保11年(1726)に「蕃昌新田」が開発された。
それ以降明治22年まで蕃昌新田と呼ばれた。
「蕃昌」地名は、明治22年に七福村の大字となった。
≪古間木 ふるまぎ≫ 流山市
江戸川中流に位置する。
寛永2年(1625)の知行宛行状に「古間木村」とある。
地名は「古牧(ふるまき)」の転訛かともいう。(角川日本地名大辞典)
他に、「ふる(崩壊地形)・ま(間)・き(処)」で台地の端の崖地に挟まれた地勢との説もある。
しかし、日本各地の同じ地名を探してみると、
青森県三沢市古間木 ふるまき
青森県三沢市古間木山 ふるまきやま
青森県上北郡おいらせ町古間木山 ふるまぎやま
茨城県常総市古間木 ふるまぎ
茨城県常総市古間木新田 ふるまぎしんでん
茨城県常総市古間木沼新田 ふるまぎぬましんでん
長野県上水内郡信濃町古間 ふるま
などがあり、「古牧」説ではなく、地形語と考えたほうがよさそうだ。
≪幸田 こうで≫ 松戸市
江戸川支流坂川上流域に位置する。
室町期の「本土寺過去帳」に「カウテン」と見える。
縄文時代前期初頭と見られる大集落跡(幸田貝塚)があり、注目されている。
地名は、荒田の展化か。(角川日本地名大辞典)
<各地の幸田=コウデ・・・>地名
岐阜県下呂市幸田 こうでん
京都府京都市南区西九条御幸田町 こうでんちょう
などがありますので、「こうでん」 ⇒ 「こうで」 となったのかもしれません。
また、千葉県東金市には「幸田=こうだ」地名がありました。
「幸田=こうだ=国府田」であれば、その地の収穫した米を律令制時代の国府(こふ=こう)に納めた地で、免税地ということも考えられます。
千葉の地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから
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